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ビフォア・アフター

 あ、さわる。
 お客さま、と勢いあまって裏返った一声で、客が手を引っ込めた。傷がつかなくて良かったと少しほっとして、たいへん壊れやすい作品なのでお手は、とつづけたその隙に、今度は、左側にある絵の方で結界がわりのアルミ板を踏み越えていく人影が視界をかすめた。あれは間に合わない。制止を諦めたところでおなかがきゅうと鳴り、左手を上に重ねた両手を押し付けて、これ以上鳴らないよう祈りながら腕の時計をみると、時刻は三時を回っていた。交代人員がこない。もしやわたし抜きで休憩が回っているのでは?という不安が募るにつれ、床を踏みしめたかかとの骨の痛みが下肢全体にじわじわと沁み広がっていくのを感じて、久実は背後の椅子を憎らしく思った。
 
 会場スタッフ用にと作家がみずから持ってきたというその椅子に、久実はむかし座ったことがある。母親が懇意にしていた呉服屋に置かれていた。曲がった薄い木の板が二枚合わさっただけの頼りない形状でいて、腰かけると意外なほどお尻の丸みにしっくりと馴染んだのでよく覚えていた。けれどこの展示室では、一度も座れたためしがない。鑑賞者がいないあいだは座っても良い、というオペレーションは、まったくの机上の空論だった。なにしろ人が多い。あまりにも作品にさわってしまう人が多いので、人の動きに目が届くようにと決められた、作品に近い定位置から離れられないのだった。会期が終わろうとしている今はなおさらで、どんなに神経を尖らせていても、どこかで作品への接触が発生した。起こるときはなぜかいつも同時多発的だった。目が乾く。たぶん見開いているからだ。また作品に近づく人がいたのでじっと見つめると、視線に気づいた相手から居心地悪そうに見返された。咎めるような目線に、久実の胸はずんと重さを増した。だれかを疑いの目で見るのは、どうしたって消耗する。

 かしゃ、と背後で音がした。振り返ると、椅子に向かってレンズを向ける客がいた。なぜ、と思うが、どこかで納得もあった。事実その椅子たちは「作品」でもあった。工芸の美術館ならどこか収蔵しているところがあるはずで、座られることもなく、ただ脇にある資料ボックスを守るために置いておくには、およそ不釣り合いな代物だった。しかも椅子は、そばにある作品にあわせて巧妙に選ばれていた。森や花が描かれた絵のかたわらには蝶々の形をしたこの椅子が、重厚な洋館風の作品の前には、海外の建築家がデザインしたという、背もたれが六角形の椅子が配されていた。
 今回の展覧会では、この空間全体が作家の「作品」です。
 開幕前日に行われたスタッフレクチャーで伝えられたことばが頭によみがえった。久実は、この椅子をぜんぶパイプ椅子にすり替えてやりたくなった。

 全開になった蛍光灯に照らされて、空間は白くフラットに光っている。あちこちでシャッターの音がする。垢抜けた装いの若者たちが、スマホ片手に作品を見つめていた。接触が多いのは若い人が多いからだという同僚もいたが、会場にいる誰もが神妙な顔をしていた。原因があるとすれば五月蠅いからだ、と久実は思う。遠慮がちなささやきが重なり合うこの空間はいつもどこか落ち着きがなく、開演前の客席のようだった。まだ見ぬ何かへの期待だけがそこにある、夢のような場所。そういえば、作品に使われている曲もたしか『夢想』だった。

「交代です」
 いつのまにか横に来ていた同僚が、休憩を告げた。了解と小さく手を振って立ち位置を譲り、絵の前を横切ってバックヤードに抜ける。外の空気が吸いたくて、コートを取って休憩室をあとにして外に出ると、急につめたい風がふいた。生け垣の縁に腰をおろす。気が抜けてため息が漏れた。空腹はとっくに通り越していて、脱力感だけがあった。座る自由さえない場所にある椅子たちの美しさが、今日は妙に空しかった。
 雲の隙間から射しはじめた光はもうずいぶんと黄色く、始まりすらしなかった公演の終わりを告げるかのようだった。

本作はフィクションです。以下の展覧会を鑑賞して感じたことなどをもとにしていますが、実在の人物や団体とは関係ありません。

|参考展覧会|
ユージーン・スタジオ『新しい海 After the rainbow』
(2021~2022年、東京都現代美術館)


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