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首。

 皿に首。ぴたりと嵌る。それがきっかけであった。

 何年も前から作りかけのまま放置して、なんなら一緒に引っ越しまでした、石粉粘土製の球体関節人形、そのパーツ。球体関節人形と言ったが、関節を作りきれなかったから関節はない。作りかけのその首が、偶然にも、あるとき買ってきた中東の皿に綺麗に収まったのだった。人工的な青灰色の、チャイを飲むのに使うらしいその皿と、人形の顎関節の、奇跡のマリアージュ。いや、繰り返すが、関節はない。ここでいうのはつまり、人間であれば顎関節、顎と首の境目のでっぱりのことである。とにかくこれはもう完成させるしかない。そう思ったのだった。
 しかしそこからが長かった。まず磨く。ひたすら磨く。そして頭を割る。瞼を抜いて眼をつける。眼だって自作である。頭を接着する。また磨く。そうしたら彩色だ。胡粉ジェッソにボンドと絵の具を混ぜて、淡いピンクにうっすら緑を落とすと、見事なスキンカラー。乾かして軽く磨く。油絵の具をスポンジで叩いて血色をつける。乾いた絵の具を眼から剥ぎ取ったら、顔が見えてくる。そこからは化粧。眉を描き紅をさす。人形には長すぎるヒト用のつけまを切って植える。厳密には貼る。髪も貼る。サロメちゃんの誕生である。愛する男の首を所望した女だ。なぜかサロメちゃんの方が生首になっているわけだが、タイトルは《L’Apparition》。ギュスターヴ・モローの絵《出現》の、フランス語の原題である。

 「え?作ったの?」
 ある展示でお披露目されたサロメちゃんを見て、開口一番、元同僚はそう言って、そこらへんの人形の首、引っこ抜いて置いたんだと思った、と続けた。わたしは慄いた。引っこ抜くだなんて、そんな猟奇的な!しかしその叫びは声にはならなかった。首だけいそいそ完成させるその猟奇性、これ如何に?今もなお、押し入れに眠るサロメちゃんの未完の四肢、胴体。彼女に身体ができる日は、たぶんきっと来ない。

これは、筆者が現在受講している映画美学校「ことばの学校」の提出課題として書かれたエッセイです。「中学3年生」を対象読者とする、「800字程度」の、「<内輪>の<外>に出る」ことを意識したエッセイを書くというお題に基づく。このお題で2本エッセイができてしまったために、提出しなかった方をこちらにUPしました。

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