見出し画像

『無意味』の奔流―フランク・ステラについて

制作するという行為そのものについて、最近改めて関心が深くなってきている。このことについて考えるとき、私は、どうしてもフランク・ステラのことを考えずにはいられない。

学生時代、1回生向けのゼミの授業のテーマに取り上げたのは、ミニマリズムの作品だった。
実家にあった西洋美術の本を見開く中で、最も不可解だったミニマリズム。
前の記事にも書いたことではあるけれど、解説を読むと、「主観を排除」し、「芸術の純粋性」なるものを追求した作品たちとされている。図版を見ても、ほぼ白か黒のモノトーンで、わずかなトーンの差や微かな線しかない。(こうしたわずかな差こそが重要だと気付くのは、はるか後になってからだ。)
純粋さを突き詰めた果ての虚無。芸術はなんと荒涼とした世界に到達してしまったことかと、図版を眺めながら、何とも言えない無常観を禁じ得なかった。フランク・ステラの「ブラック・ペインティング」シリーズは、そのとき眼にした作品の一つだった。
この時から、私にとってのフランク・ステラ像は、「芸術の極北」を体現した作家の一人としてインプットされた。

しかし、そのイメージは、直島のフランク・ステラとの出会いをきっかけに崩れることになった。
2008年の3月頃、大学のサークル仲間たちと共に初めて訪れた直島でのこと。
海風の強い肌寒い日で、生協で調達した菓子パンやカップ麺を「つつじ荘」のパオの中で侘しくいただくなどしつつ、美術館を巡った。

そんな私にとっての「はじめての直島」体験のハイライトは、地中美術館で初めて「現代美術」なるものを理解できた気がしたことと、ベネッセハウスミュージアムにあったフランク・ステラの《グランド・アルマダ》《シャーク・マサカ》を見た衝撃の2つである。
ベネッセハウスミュージアムの天井の高い吹き抜けのギャラリースペースに、異様に巨大で、過剰にカラフルな構造物が2点。ずいぶん派手な作品があるなとまず驚き、キャプションを見てさらに驚いた。その時は、同じ名前の別の作家ではないかと思ったが、後に調べてみて、ミニマリズムの作家であったフランク・ステラその人の作品であることを知り、困惑は深まるばかり。ミニマリズムの作品に「寂しい」印象を持つ一方で、悟りを得た人を見るような謎の憧れも恐らく同時に抱いていた私は、ステラが「芸術の純粋性」とやらを追求することを諦めたのだろうかという気持ちになった。
ちなみに、そのとき同時に訪れた地中美術館が「印象派の画家」モネに対するクールでミニマルな解釈を展開してみせていたことも、その困惑を深める一因となったのではないかと思う。

当時は直島で働くことになるとは思ってもみなかったけれど、何の因果か、直島に来てからの私は、ステラの作品と深く関わることになった。2015年のはじめに、自身の業務の中で、長らく収蔵庫に収められていたこの2点の作品を改めてベネッセハウス ミュージアムに展示する必要に迫られたからである。

当然のことながら、まず作品を知らねばならない。
作家自らが設置作業をしている写真付きの手順書や、どのようなパーツに分かれるのかが手書きで示されたメモ。収蔵庫の中残されていたボルトなど設置器具の類。
過去の担当者が残してきた資料は数あれど、どうにも設置方法の全体像がつかめない。
長らく直島で作品の展示やメンテナンスを担ってきた業者さんへのヒアリングや、ヤマトの美術輸送チームと作品の検証などを重ねて足りない情報を何とか補い、悪戦苦闘しながら、何とか展示にこぎつけた。

パーツだけでも巨大。それなのに、ミュージアムのバックヤードの間口は狭く、天井すれすれのところをすり抜けながら搬入作業は行われた。
その後行った展示作業では、足場を組み、滑車とチェーンを使いながら、10人がかりでパーツを引き上げ、設置していく。既に経年変化で歪みが生じ始めていて、所定の位置に接合するのが困難な箇所も多い。時にはパーツ同士が擦れ合い、壊れるのではないかとハラハラさせられる金属音も響く。

しかしながら、この過程の中で気づかされたのは、作品の極端に複雑な形態に反して、作品の細部、特にパーツ同士の接合部のつくりは考え抜かれていることだった。多彩な色や模様で埋め尽くされた作品は、グラフィカルで即興的なようにも見える。考えてみれば、高さ620㎝、幅310㎝、奥行き100㎝という極めて巨大な作品を、即興的に作れるはずもない。
この作品の過剰さは、芸術に対する「諦め」ではなく、飽くなき「探求」の上にある。
実際に展示作業に関わったことで、まず私はこの事実を知った。

作品を撤去することになったのは、2年後。
瀬戸内国際芸術祭2016終了後の年明けのことだった。
大変な思いをして展示した分、作品に対する思い入れは確実に深くなっていたこともあり、当分は展示しておくことになるだろうという予想に反して決まった作品撤去に、拍子抜けする思いは拭えず、どこか身の入らない気持ちのまま、撤去作業は行われた。
複雑な思いで臨んだ撤去作業も終わりに差し掛かろうというとき、《グランド・アルマダ》の土台となっているパーツが壁から外された瞬間、私は、作品の裏面が鮮やかな色で彩られていることに気づいた。
青と紫のエナメル塗料。2つの色で彩られた裏面が、ベネッセハウス ミュージアムのメインギャラリーの大きな窓から差し込む外光を反射して、きらきらと輝いていた。
作品を取り外さない限り見ることのない部分に施された美しい色彩。それは、作品を目にする大多数の人々は目にすることも意識することもできない部分であり、ことによっては、設置や撤去に臨んでいる時でさえ気づかないことがある。(現に、展示作業の際には、私はこの部分に意識を向けた記憶がない。)
青く輝く色彩のまぶしい鮮やかさは疲れた心と身体に沁みる美しさで、大げさではなく、作品により深く関わる者にだけ許された恩寵であるかのようにさえ、感じたのだった。

動画。写真。タイムラプス。手書きのスケッチやメモ。
展示から撤去に至る一連の流れの中で、私はなるべく多くの情報を記録に残そうと試みたけれど、どんなに記録を残しても、それは断片的な情報でしかない。集めに集めたそれらの情報が統合されるのは、実際に作品を動かそうとする、そのわずかな瞬間のみ。
統合不可能なほどの膨大な思考と試行の奔流を形にしたものとして作品は存在している。思考の過程の中で生まれた情報は、いつ誰に受け取られるともわからぬまま、作品のうちにあり、ふとした瞬間、作品を向き合う者の前に現れるのである。

この情報量を、過剰だ無意味だと批判するのは簡単だ。
けれど、ステラは、「昔の作品の方が良かったのに」とぼやく大多数の人々の声をものともせず、時を追うほどに作品の構成要素を増やしていっている。画集で作品の変遷を眺めると、初期の「ブラック・ペインティング」から、実に建設的に「過剰さ」を極めていく流れが、ありありと見て取れる。
ベネッセが所蔵する作品だけを取ってみても、1983年制作の《シャーズV》から、1989年制作の《グランド・アルマダ》に至る「過剰さ」の進化は明らかである。裏面に色が施されていない《シャーズV》に対し、《グランド・アルマダ》は、側面や裏面といったあらゆる箇所に色彩が施され、構造的にも立体感が明らかに増し、複雑さの度合いが深まっている。年明けに訪れたDIC川村記念美術館では、ベネッセが所蔵する作品の以前、以後に作られた作品を同時に見る機会に恵まれ、ミニマルな作品が、形を得、色を得、曲線と立体感を得て、その果てに廃材を用いた瓦礫の塊のような作品にまで至る過程を実物の作品で追うことができた。

フランク・ステラの飽くなき探求と変遷の過程は、多くの人を困惑させる。
その困惑が、むしろ今、私にとっては興味深い。
様々な要素が詰め込まれ、もしかすると誰にも受け取られることのないかもしれない情報の塊と化した作品は、言ってみれば『無意味』の塊であるかもしれない。

けれど、ステラの作品に深く関わってみると、その「無意味」こそが、無性に愛おしくてならなくなってくる。

アートの本質とは「無意味」であること、「無意味」の豊かさを保障することなのではないか。こうした気持ちを新たにしつつ、ステラの作品についてはこれからも探究したいなと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?