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愛着

愛着が安定した。愛着障害が治った、その実感がある。これ自体は本当に幸運で、喜ばしいことだと思う。理由はなんのことはないが、ちゃんとした友達が出来た、ということだ。彼らには感謝している。 しかし、同時に、何か新たな虚無感を抱えている。空っぽな自分、という実感だ。かなり長い期間、私は無意識のうちに愛着障害に陥っていて、それによる飢餓感を癒そうとすることが行動原理になっていたのだと思う。そしてその飢餓感を失い、愛着が満たされた今、それだけで全てに満足してしまったような感じがある。

    • 2024/02/06

      わんだふるぷりきゅあ!は面白い。1話を既に2回観た。そうだ、これぞプリキュアだ。これがプリキュアの面白さだ、そう思う。妖精キャラはいた方がいい。 というか、ひろプリという悪夢が終わってくれて本当に良かった、という気持ちがある。ひろプリのストーリーは特に後半、破綻していて、本当に観るのが苦痛だった。やっと終わってくれた、と思っている。やっと解放された、という気持ち。

      • 2024/01/15

        バッタモンダーが一回フェードアウトするまでの話運びにあった「ひろプリらしさ」って、「プリキュアらしくない殺伐感」だったと思う。それが、「ひろプリ」ならではのオリジナリティとして自分は好きだった。ミノトンあたりからはそれが、「上っ面だけの薄っぺらいプリキュアらしさのようなもの」で上書きされていった印象で、それが本当に残念。作品には、その作品ならではのオリジナリティを開花させてほしいと私は思う。

        • 2023/09/21

          なぜ生きているんだろう。何のために生まれてきたんだろう。やはり、それを考えない日は少ない。今の仕事は向いているとは思えないが、他に何をやりたいのか、何が出来るのかわからない。こんなことをするために生まれてきた訳ではないんじゃないか、とよく思う。生まれてきた意味なんて無くても、楽しんで生きれればそれでいいんだろう。だがそれが出来ない。やはり家族と仲良くないし、パートナーもいないからだろうか。今の自分には友達がいる。それだけで十分幸せなはずじゃないのか。しかし、そうやってできる限

          愛着障害

          この本を読んだ。 自分の苦しみについてドンピシャに書いてある…という興奮で一気に読んでしまった。 ただ、自分の場合は親のことというよりは、統合失調症によるトラウマ自体が原因の比重を多く占めると思う。それは誰が悪い訳でもない。 この本で、発達障害の多くは実は環境要因であり先天的なものではない、とする一方で逆に、藤川徳美さんの理論によれば統合失調症は間違いなく先天的な体質の問題である。その統合失調症の症状自体や、そのせいで多くの人に嫌われたというトラウマが、愛着障害の原因に

          愛着障害

          婆と孫

          お婆ちゃんが死んだとき、泣かなかった。あまり悲しくもなかった。 あの人は私のことを愛してくれてはいたと思う。でもそれは、「お婆ちゃんは自分の孫を愛する」という役割に心底準じていただけのように思える。 だって、あの人は私の趣味を知らなかった。私が漫画やアニメが好きなこととか、インターネットばかりやっていることとか、持病に苦しんだこととか、何も、私の内側にあるものを何も知らずに、「孫」という概念が好きだっただけではないのか。 私自身、彼女と接するとき、「お婆ちゃんと孫」という

          宮崎駿

          「君たちはどう生きるか」、恥ずかしながら他の人の感想を読んで気付いたことで、誰かの受け売りを書くが、大叔父さんが宮崎駿であり、積み木はジブリ映画、あの異世界がスタジオジブリのメタファーだとするなら、これは完全に「遺書」だ。宮崎駿の遺書。ジブリは誰かに継がせようとしたけどダメで、自分の代で終わりです、という。 これでお別れなのか、宮崎駿。寂しい…。 説教してくれるんじゃなかったのかよ、こんなタイトルでさ 行くな……お別れだなんて言うな… インコの王国と国王は、何かこう、ジブ

          君たちはどう生きるか

          見た。面白かった。面白かったが、よくわからなくもあった。タイトルから来る印象で、もっと説教臭くダイレクトにテーマやメッセージを伝えてくることを期待してしまったが、全然そうではなかった。 でも、ジブリって基本そうかもしれない。テーマやメッセージがわかりやすいことの方が少ない。ジブリ映画って子供の頃から何度も観るうちに、初見の感情は忘れてしまうものだが、ジブリの初見ってこうなのかも。最初はよくわかんなくて、でもとにかく何度も見たくなるような。ジブリの冒険活劇って初見だとこういうも

          君たちはどう生きるか

          孤独

          この記事を読んだ。 これを読んで思うに、私が感じていた孤独感には2つの層があったらしい。ひとつは、実際に友人が少ないことによる孤独感。これは最近、満たされた。もうひとつは、この記事にあるような、友人がいるかどうかに関わらない孤独感だったのだ。 ひとつ目の孤独感が満たされたはずなのに、虚しさが拭えないのは、もうひとつの層があったから。そしてこっちは、どれだけ友人が増えても拭える日は来ないと。 虚しさを感じる。なぜ生きているのか、と思う。非凡な才能を持って何かを成し遂げるこ

          日記(2023/06/26)

          思えば私の人生は、ずっと孤独感と共にあったのかもしれない。人口の少ない地方内での転勤のせいもあり、友達作りに失敗していた。前にも書いた通り、中2の終わりくらいからは統合失調症を患い、そのせいもあってずっと孤独だったように思う。 今はというと運良く、とても良い縁に恵まれ、尊敬できる人と信頼を築けている実感がある。これが本当に、生まれて初めてのことに感じる。25歳がこんなことを言うんだけど。 これまでは、無意識のうちにその孤独感を紛らわすことが行動原理だったのかもしれない。し

          日記(2023/06/26)

          日記(2023/06/12)

          結局のところ、私は今「幸せ」なんだと思う。もちろん、一般的な「幸せ」のハードルと比べるとあまりにも低いところにある状態ではある。が、何を「幸せ」だと思うかは人それぞれだ。前述した通り、私は、恒常的にとてつもない苦痛を受け続けていた時期が長いので、その頃と比べて、という話にはなる。 具体的には、それなりに苦しいこともあるけど、その程度が常識の範囲内に収まっていて、それなりにちゃんと働けていて、尊敬できる誰かと信頼を築けている実感もある。この状態が、生まれて初めての状態であり、

          日記(2023/06/12)

          思考

          思考を巡らす。これ自体が私が一番好きなことであり、生きる理由なんじゃないかと思った。目的は無く「考えること」自体が呼吸のようなものであると同時に好きだし、そうやって豊かな思考を持てることが誇りであり、そのために生きていたい。題材は何でもいいし、答えは出なくてもいいのである。「思考」というプロセス自体が好きだし、私の幸福であり、私の生きる意味なんだと思う。 ただ、豊かに思考を巡らすには色んなことが邪魔である。肉体の疲労や空腹、睡眠の必要性、性欲など。自分が生物であることが嫌な

          騒ぐ場所

          今年に入って2回ほど、人生でほぼ初めて居酒屋を利用した。と言っても酒は飲んでいない。弱いとかいうレベルではなく、統合失調症なので、飲むと症状がぶり返すので飲む訳にはいかない。2回ともシラフである。 2回とも、ありがたいことに私は10人程度の大グループの一員であった。10人で店を占拠し、あろうことか酒を飲んで、酔っ払って騒ぐ。人前で。それが許される場所。不思議だな、と思った。周りには他のお客さんもおり、酔ってもないし統合失調症でもあるのでその目が少し気になるが、騒ぐことが許さ

          騒ぐ場所

          Wannabe

          クリエイターになりたい。けど恐らくなれない。それが今私が感じる無常観、生きる意味の感じられなさの正体であるらしい。 「100カメ 進撃の巨人」や「ドキュメント シン・仮面ライダー」と言った、プロのクリエイターのドキュメンタリーを食い入るように見てしまうし、同時につらくなる。カッコ良すぎて。自分もこうなりたかったのにな…おそらくはなれないんだな…と。 生きる意味というものは、理論だけで考えれば無い。神はいないし、生命や宇宙が存在する意味など本当は無いからだ。でもそう思う私にとっ

          闘病

          私は統合失調症という病気を抱えている。そして、ある時点からそれを治そうと努力してきた。「闘病」をした訳である。結果として、「症状をほとんど消す」という点で言えば闘病は成功した。服薬は続けた上で、ではあるが。どうやって闘病を成功させたのかというメゾットについては「藤川徳美」で調べて彼の著書を読んでいただければわかると思う。 しかし私が今回書き記すのはそのメゾットについてではなく、病気という苦痛と、そこから抜け出そうと努力するという「闘病」という行為が与えた精神への影響である。

          2023/04/01

          特に理由はなく、ただただどうしようもなく不幸で、苦しみ続けるしかない星の下に生まれた人というのはいる。 すべての人が選択と努力によって幸福を掴めると信じている人がいるが、残念ながら現実にはそうではない。だが、そう信じることのできる幸運な人は、そのまま幸福であればいいと思う。 苦しみ続けるしかない人達も、そのまま苦しみながら、苦しみを誤魔化し、だましだまし生き続けるしかないのだ。そこには前世の罪とかそういう理由も実際にはなく、ただただ偶然に不幸なだけで、そこから抜け出すことは出

          2023/04/01