愛着

愛着が安定した。愛着障害が治った、その実感がある。これ自体は本当に幸運で、喜ばしいことだと思う。理由はなんのことはないが、ちゃんとした友達が出来た、ということだ。彼らには感謝している。

しかし、同時に、何か新たな虚無感を抱えている。空っぽな自分、という実感だ。かなり長い期間、私は無意識のうちに愛着障害に陥っていて、それによる飢餓感を癒そうとすることが行動原理になっていたのだと思う。そしてその飢餓感を失い、愛着が満たされた今、それだけで全てに満足してしまったような感じがある。それほど空虚な自我しかないということが浮き彫りになった。

普通の人なら、愛着が安定した状態からスタートし、様々な刺激や成長を受けて自分のやりたいことを、行動原理を見つけていく。それを私は今から始めなければいけないのか。今から始めるには遅すぎる気がする。もう学生でもない。

こんな空虚な自我しかない存在が、社会でやっていけるはずもないだろう。しかしまあ、私は今これで満たされているので、社会的成功をしたいと思っている訳でもない。自立して慎ましい生活が出来ればそれでいいので、それくらいは出来るかもしれない。しかしそんなことで、そんな空虚を重ねるだけの人生に意味はあるだろうか。


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