婆と孫

お婆ちゃんが死んだとき、泣かなかった。あまり悲しくもなかった。
あの人は私のことを愛してくれてはいたと思う。でもそれは、「お婆ちゃんは自分の孫を愛する」という役割に心底準じていただけのように思える。

だって、あの人は私の趣味を知らなかった。私が漫画やアニメが好きなこととか、インターネットばかりやっていることとか、持病に苦しんだこととか、何も、私の内側にあるものを何も知らずに、「孫」という概念が好きだっただけではないのか。

私自身、彼女と接するとき、「お婆ちゃんと孫」という役割を演じていただけなんじゃないだろうか。私も彼女のことをあまり知らない。もっとお互い深い会話をすべきだったのかもしれない。核家族化で、お婆ちゃんに会うのは「たまのイベント」であり、「お婆ちゃんと孫」という定期イベントをこなすだけだった訳だ。

そうして、結局お互いの人間的な、内側の部分を何も知らずに終わってしまったので、悲しくなかったし、一度も泣いていない。ふ~ん、そうか。という感じ。

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