Wannabe

クリエイターになりたい。けど恐らくなれない。それが今私が感じる無常観、生きる意味の感じられなさの正体であるらしい。
「100カメ 進撃の巨人」や「ドキュメント シン・仮面ライダー」と言った、プロのクリエイターのドキュメンタリーを食い入るように見てしまうし、同時につらくなる。カッコ良すぎて。自分もこうなりたかったのにな…おそらくはなれないんだな…と。
生きる意味というものは、理論だけで考えれば無い。神はいないし、生命や宇宙が存在する意味など本当は無いからだ。でもそう思う私にとっても、それがあるように感じられるものは、クリエイターとして仕事をし、世に何かを残すことだ。

それが出来ない以上、やりたくもない仕事を苦労しながらやって、束の間の京楽でそれを忘れる、その繰り返しに意味があるとは思えないんだと思う。
闘病をしている間は病気の苦痛から逃れることが生きる目的として絶対的にあって、他のことは忘れていたが、闘病が一段落すると同時にそれを思い出してしまったんだろう。

エンタメが好きである。だが、消費するだけではなく、自分も作る側に回りたい。これは幼少の頃から思ってきたことであった。作る側への憧れ。いろいろと闘病の影響やらで、性格は変わり、過去の自分と現在の自分に連続性など無いと思っていたが、唯一と言っていいほど昔からこびり着いて離れず、連続性を保っているのはこの感情らしい。

焦がれては逃げられないこと みんなにはくだらないこと
もうどうしようもないの わたし きゅうくらりん

きゅうくらりん

そうやって本質的には生きることに絶望してはいるが、まぁそれでも、これからも生きていくんだと思う。この気持ちにもいつかは折り合いをつけて。

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