時間は、人生は限られている。
インドにはずっと行ってみたいと思っていた。
ヒンドゥー教の聖地・バラナシに興味があったからだ。
ガンジス川で沐浴をする人の光景を写真や映像で見た事がある人も多いだろう。
バラナシはヒンドゥー教の大巡礼地であると同時に、『死に出の街』とも言われる。
ここで死んだ人間は輪廻から解脱(解放、自由、放免、悟りのようなもの)できると言われているからだ。
インド各地から運ばれた遺体がガードと呼ばれる火葬場で焼き(焼かれ)、その遺灰を遺体によってはそのままガンジス川に流す儀式となっている。
また死期の迫った人が死を待つ施設もある。
初めてバラナシの存在を知った時、私はいったいどんな場所なのか想像がつかなかった。
だからこそ、この目で確かめたかったのだ。
バラナシに着くと、そこには本で読んだ通りの光景が広がっていた。
嘘も誇張もない世界…。
私はとりあえず船に乗り、ガンジス川からバラナシの光景を見つめた。
すぐそこで人が燃やされていたり、遺体が流されていたり、船に同乗した外国人があるガートを指差して話しかけてきたのを思い出す。
『あそこで人を燃やしている人は、あの人自身も自分の人生が終わりに近いと感じている人だ。例えば夫に先に死なれてしまい、残りの人生は1人で夫との思い出に浸りながら死を待ったり、自分が信じる教えに対して、神から《残りの人生は長くないよ》といったお告げがあったりしたんだろうね』
私は人間の生と死に対する不思議な感情を抱くと同時に、『自分の人生は限られている』、と強く感じた。
だからこそ、できる時にやりたい事、やらなければいけない事、何でもやり切らないといけない。
人生に迷っているヒマはない。
失敗しても死ぬわけでもない。
1番いけないのは、いろいろなことを考えるあまりに、やりたいことに挑戦しないことだ!
私は常に挑戦者でありたい!
そんな風に思えただけでも、バラナシに来た意味はあったかな、と今でも感じる。
うまく行かない時は皆、少し頭で考えすぎて「動くこと」が後回しになる。
がむしゃらに働いたり行動することにより払拭されることもある。
それが間違いではないことをバラナシで確信できた。
時間は、人生は限られている。
悩みすぎるより、まず行動しよう!と今日も自分自身に言い聞かせている。
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