10万の声

〈この記事は約6分で読み終えます、お時間のある時にゆっくり読んでいただけたら幸いです〉


仕事がら、髪の悩みを聞くことが多い私は、日ごろから髪の毛の存在意義というものが気になっていました。

気になるというか、どういった意味づけがあるのかを、把握していなければいけない立場にあると思っています。

まず髪本来の役割を考えてみれば、物理的衝撃から脳へのダメージを軽減すること、そして老廃物を身体の外に出すため、です。

ただ、現代においては石を投げあって争いをすることなど無く、危険が生じるリスクのある状況においては、ヘルメットや帽子を着用することで髪の毛以上の保護が容易なものとなっています。

老廃物の排出に関しても、あくまでも予備的機能でなければ、禿げの人は除去できない身体となってしまうでしょう。

では、現代において私たちが髪の毛に持たせている役割とは何か?

それは「娯楽」「身だしなみ」「伝統・芸術

そしてもう一つ、「悩みの種」です。


⚪︎娯楽として
髪を脱色して明るくしたり、色をつけ足したり、パーマやカーラーで雰囲気を変えたり、結い髪やアレンジをしたりして色々と楽しんでいます。
美容室は基本的にそのような施術を行う場所です。


⚪︎身だしなみ
職業や行事など、TPOに合わせて整髪をします。
整髪をすることで自分の心を整えたり、目的に合わせて相手や周囲に対する印象づけをおこないます。
主に理容室は身だしなみを整えるために訪れる方が多い場所です。


⚪︎伝統や芸術
ヘアスタイルを伝統として重んじる文化は存在します。
また、独自の価値観・世界観を自分の髪の毛で表現する人たちもいます。
理・美容師においても作品撮りやデザインヘアのコンテストなど、サロンワーク以外で情熱を燃やし続ける人がいます。
ヘアスタイルの創作に没頭できる人々で、客による需要の影響は無く、その価値は生涯続く見込みがあると言えます。



「悩みの種」として

人の悩みは尽きません、特に女性は髪に対して思い入れがあり、その思い入れが強いほどに悩みと化し、日常生活に支障をきたしてしまうほどの人もいます。

無い物ねだりと言ってしまえばそれまでですが、実際に大多数の人が髪に関する何かしらの悩みを抱えています。

それもそのはず、"髪は女の命"という古くからのキャッチコピーは世間に広く刷り込まれ、それに便乗するかのように、「きれいな髪」「ツヤのある髪」「美しい髪」などの広告は、次から次へと、日常の至るところに仕込まれていきます。

それは、まんまと女性の目に留まり、「髪は美しくなければいけない」という誤解へと引きずられてしまいます。

目や鼻や口と同じように、本来の生まれ持った性質であるはずの髪を、それらは必ずしも肯定するものではなく、あたかも理想の髪へと導くような演出を印象づけます。

メーカーの広告だけに限らず、世間的な風潮も加わり、悩む必要のない髪のことで悩み、弊害をもたらすのです。

その弊害は、髪質改善などを提案し、「もっとキレイにしましょう」と呼びかける側、つまりメーカーや美容師たちの思惑であり、これは髪に関することだけではありませんが、あえて悩みを作り出し、それに対する対策として製品や技術を売り込む、本来必要でないもの必要と思わせる、といったマーケティングにおける常套手段でもあります。

また、その売り込みはドラッグストアでの販売やネット通販だけに留まればいいのですが、実は現場で働く多くの美容師たちまでもがメーカーの言うことを鵜呑みにし、良かれと思っての事でしょうが、お客に対しトリートメントを販売したり、髪を傷める施術をしたりと、あの手この手で売り上げにも貢献を果たすのです。
(実際、美容室において手っ取り早く売上げを上げる方法はトリートメントメニューの促進が一番です。勧めやすい文言でアシスタントも施術ができ、ある程度放置できるため)


根本的な悩みの解消とは成りませんが、その甲斐あって、カラー剤やパーマの技術も進み、縮毛矯正などの開発へとつながることにもなりました。

しかしながら、休むことなく生えてくる髪の毛は本来の性質のものであり、きれいな髪にするには、またきれいな髪を持続させるには、結局お金をかけ続けなければなりません。

それは、年齢を重ねるにつれ髪の状態も希望しない方へと変化しますので、かかる料金もおのずと上がっていきます。

自分へのご褒美として、または自己投資としてお金をかける事は良いのですが、必要以上に悩みを抱える事は、感情を負のスパイラルへと向かわせてしまいます。

女性に限らず、私たちがきれいな髪へ憧れを抱く事は当然です。

きれいな髪がもたらす効果、ヘアスタイルがもたらす効果、なども私は承知しています。

けど、
キレイでなければならない、
キレイを志さなければいけない、
なんて事はありません。

むしろ"容姿のひとつ"となった髪は、ウィッグでまかなう方がよほど効率的で将来性もあるものだと、私は思っています。

髪を必要としないことをひとつの個性だと、そう言って丸坊主にする女性もいます。
丸坊主のモデルさんもいます。

病気や怪我で髪が全部抜け落ちてしまっている人だってたくさんいます。
そのような人の前で、どうして髪は女の命だなんて言えましょう。


もしも髪をいたわり、健やかな状態でありたいと願うのであれば、髪にとって一番いい事は「何もしない」ということです。


それは子供の髪の毛を梳かしている時につくづく感じます。

確かに毛先のほうは髪が細いため、絡まりやすくなっています、けどそれは毛先をカットし普段から丁寧に扱っていれば問題はありません。

子供の髪はなんと言ってもパーマやカラー、ストレートなどの加工をほとんどしていない、ということです。

被膜やオイルなどでツルツルピカピカにした髪よりとても扱いやすく、健やかな髪でいられます。



最後に、

私個人としての意見ですが、まずはどんな髪質であっても一度は自分できちんと受け入れてあげて欲しいのです。

たとえ馬鹿にされても、それは髪の毛のせいでも、親御さんのせいでもありません、そのようなつまらない事を言う側の問題です。

これらのことを前提に、どうかこれを読んでいただく方にも、アナタにとって、アナタの髪の毛とはどういった存在なのか?

髪のダメージは決して治癒すること無く、元の状態に戻るには、生え代わりを待つしかありません。

広告や周りの人の髪の毛と比べることなく、ぜひともご自身の価値観で確かめていただきたいと思っています。

今回は多くの人に読んでいただきたいと思い、ハッシュタグをつけて企画参加することにいたしました。



・・髪をじっと見つめていたあの日

私には聞こえたのです

「どうして私たちのことをそんなに嫌うの?」

という10万の声が。



[追記]
このnoteの素晴らしい所のひとつは、様々な人が様々な胸の内を明かせる場である、ということだと思っています。またそれらを読むことで日常生活の励みとしている人もいるということ。今回の記事が不快と感じる立場の方もいらっしゃるかも知れませんが、私もはばからずに、一クリエイターとして胸の内を明かすことといたしました。


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読んで下さいましてありがとうございました。サポート頂けましたら幸いですm(._.)m