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【試し読み版 2/4】 投資に正解は存在するか - 第一章:「投資する」とは実際には何をすることなのか

このページは書籍「投資に正解は存在するか:堅実な株式投資と資産形成の入門ガイド」の試し読み版(全4ページ)で、2ページ目「『投資する』とは実際には何をすることなのか」の章です。

本書の正式版は、ペーパーバック版およびKindle版が発売中です(Kindle Unlimitedにご加入の方は無料で購読できます)。書籍の詳細については、シロイブックス公式サイトの書籍情報のページもご参照ください。

※本書は当初、有料マガジンの「note版」としても公開されていましたが、Amazonの規約の関係で独占販売とする必要が出たため、note版は公開終了して「試し読み版」として公開し直す形とさせていただきました。


儲け話で儲かるのはいったい誰?

みんな自分のために行動している(それが普通である)

普通の大人であれば、苦労せずにお金が手に入ることはないという事実を知っているし、人からうまい儲け話を持ちかけられたら、まず疑ってみるというのが当たり前の反応だと思います。この本で投資という難しいテーマを考えていくにあたって、あなたの周りに存在する見えない「意図」の話を最初に取り上げることにしましょう。

一般的に、あなたにわざわざ何かを見せようとしたり、何かを勧めたりする人は、そこに何らかの動機を持っています。たとえば、ネット上には無料で読める記事が無数にありますが、このような記事はすべて、誰かが時間をかけて取材したりじっくり考えたりした上で文章を書いているはずです。どうしてタダで読ませてもらえるのでしょうか?

ここには、無料で見られるコンテンツで人を集めることによって、そこに一緒に載っている広告(あの邪魔くさい広告です)を見てもらい、その広告経由で何かを買ってもらったり、サービスの契約をしてほしいという意図があるのが普通です。広告主から掲載メディアにお金が流れているので、メディアは無料のコンテンツでも商売を成り立たせることができます。メディアは執筆者に原稿料を支払います。そして広告主は、広告を見た消費者からお金を回収していくというわけです。つまり、あなた自身はその記事の書き手に直接代金を払うことはありませんが、お金の流れとして「広告を見た一部の消費者→広告の商品やサービスの売り手→記事を掲載したメディアの運営者→記事の書き手」という構造が存在していることになります。

今あなたが読んでいるこの本も、書籍という有料のコンテンツとして世の中に流通しているものですね。私が本書を書いた動機は、立派な顔をして言ってみるのなら、自分が長年苦労しながら勉強してきた投資の知識と、その実践によって得られた生の経験を、他の人たちに共有したいという気持ちです。さらに、読者の興味を引く話題によって、自分が書いた他の本やネット上に公開している他の記事を広く読んでもらいたいという目的もあります。もっと言えば、ただ単純に何かを考えて文章を書くことが好きなのだという理由もあります。

それでも、人が本を出版するということの第一の目的は、その売り上げから得られる利益です。これを「違う」と言い張るのは、正直な人間のすることではありません。いろいろと他の理想とか目的といったものはあるし、それが大切だからこそ、本を書くという簡単でない仕事を続けることができるのですが、私にも生活というものがあるので、お金という要素を無視することはできないわけです。これを無視できるのは、何らかの幸運な偶然によって一生遊んで暮らしていけるような特権を得られた、ごく少数の限られた人間だけです。

人は理由のないことをわざわざ時間をかけてやったりはしません。5分以上の集中力を要するような事柄に関して言えば、目的がない行為というのはこの世にあまり存在しないはずです。

金融商品は誰のためにあるのか

明らかな投資詐欺であれば、その目的はあなたからお金を騙し取ることです。そこで、もう少しまともな存在である(はずの)証券会社について考えてみましょう。

証券会社の口座を利用して取引を行うのならば、あなた自身が儲けることは一応は可能です。しかし、証券会社の目的は、あなたを儲けさせることではありません。証券会社も営利企業ですから、何か自分たちの利益のためにそれをやっているはずです。

企業というのは、基本的には世の中の人々の求めているものを提供しないと成り立つことはできません。食料品や自動車などの商品でも、鉄道やジムのようなサービスでも、通常、消費者が求めているものというのは、その人にとって役に立つものであることが普通です。しかし、消費者の欲求を満たすものであれば、実はそれが役に立つものである必要は全然ありません。ほとんどの人がガラクタだと判断するようなものを売っていたとしても、一定数の人々が「欲しい」「価値がある」と言うのならば、その商売は成立します。

証券会社の主な目的は、あなたが株や投資信託を売買するときに発生する手数料で商売をすることです。あなたが儲かっても損をしても、取引さえ行われれば証券会社は儲かるので、とにかくあなたに積極的にたくさん取引をしてほしいと考えています。ということは、証券会社から何かをおすすめされたとしても、それはあなたを儲けさせるための親切心から出たものではないということになります。

最初のポイントはここです。つまり、あなたに何か耳寄りな情報を持ちかけたり、魅力的に見える商品を勧めたりしてくる人がいたとしても、それを無闇に信用してはいけないということです。

投資で利益を得たいのなら、自分から勉強する必要があります。それも書店で派手な色の表紙をした安直な投資本や投資雑誌を適当に選ぶのではなく、経済と金融について研究しているきちんとした学者とか、投資の現場でまぐれ以外の要因で既に成功していて、それ以上他人からお金を巻き上げる必要がなくなった投資家が誠実に書いた本などを読む必要があります。

さきほどお話ししたように、本を書く人はそれを売りたいという動機を持っているし、ネット上で無料で見られる情報も、特定の商品や広告に誘導することが目的だと考えるのが自然です。あなたがこの先囲まれることになるのは(あるいはもう既に囲まれているのは)、そうした動機の上にまとめられた、無数の情報たちです。当然、その動機はあなたには伏せられています。動機の存在とその情報自体の価値は別なので、これらの情報はあなたにとって役に立つ場合もあるし、役に立たない場合もあります。

投資の世界に飛び込むのなら、隠された他者の思惑を常に意識してください。投資で失敗するということは、あなたの大切なお金を失うということです。誰でも知っているように、お金を貯めるには時間もエネルギーもかかりますが、失うときは驚くほど一瞬です。こうした意識は、自分の身を守るために必要なことです。

危険性を認識してから始める

この第一章の見出しは、「投資する」とは実際には何をすることなのかという問いかけになっています。本書で最初に行っていきたいのは、この「投資」という行動の正体を明らかにすることです。

これはもちろん、ネットで証券口座の画面を開いたときにどういう操作が必要になるのかという話ではないし、投資に関する法律や株式会社という制度の細かい話をしたいわけでもありません。こうした内容に触れる部分も少しだけありますが、筆者が意図しているのは、そのような制度や手続きの教科書的な説明とは異なります。本書の序盤で明らかにしていきたいのは、投資をするという行動が本質的に何をすることなのか、社会や私たち自身にとってどういう意味を持つ行動なのかという点を明らかにすることです。こうしたことは、意外と改まって説明されることはないものです。

自分が何をしているのかということを知るのは大切なことです。自動車の運転免許を取得するのはそれなりに大変なことですが、それは運転免許というものが「本来は危険である道具を、その危険性を理解して制御する能力を身につけた人にのみ、使用することを許可する」という仕組みになっているからです。しかし、私たちが日常の中で目にするドライバーには、その危険性をいまいち認識していないように見える人がけっこういますね。運転中にスマホを一瞬見たときに、車が何メートル進むかという話を聞いたことのある人もいるでしょう。

自動車の事故であれば、罪のない他人を巻き込むことがあります。投資の失敗は、その規模によっては家族の生活を巻き込む可能性もありますが、基本的には本人が損をするだけです。傍観者として見るなら、その点では交通事故よりはマシだと言えます。言い訳の利かなさという点を考えれば、おそらく投資の失敗のほうが、周囲の目は厳しいでしょう。大抵の人は「欲のために大損したのだろう」という冷めた見方をするでしょうし、そしてそれはだいたい当たっているのです。

自分が何をすることになるのかを認識してから始めましょう。本書では、何に投資したらいいのかという「答え」を述べる前に、そこまでの道のりにどのような落とし穴が存在するかという説明にかなりのページ数を割いています。それは投資という世界が本当に危険であり、多くの人はその事実を認識することもなくその世界へ飛び込んでしまうということを、筆者は知っているからです。それも、車の運転に熟練しているかどうかというレベルでなく、高速道路に自転車で突っ込むようなことをたくさんの人が平気で行なってしまいます。そういう人だって、徒歩で高速を走り抜こうとする人に比べたら、多少は分別のある人間という側に分類されるでしょう。

普段の生活では常識も判断力もあるように見える人が、投資の世界で同じように理性的に振る舞うとは限りません。そして、自分から「愚かで危険な振る舞いをしよう」などと考えてそうする人はいないはずです。つまり、自分が足を踏み入れる領域について十分に理解していないのなら、今述べたような無茶苦茶な行動を誰でも行なってしまう可能性があるということです。これは何も例え話を大げさにして見せたのではなく、どちらかといえば「よくある話」として理解すべきものです。

では、そろそろ第一章の本題に入りましょう。それは、投資と呼ばれる行動の正体はいったい何なのかということです。

そもそも株って何だろう

何をするにもお金がかかる

投資という言葉で、真っ先に連想されるものは何でしょうか。話題性で考えるのなら、近年(2010年代以降)ではビットコインなどに代表される仮想通貨がありますし、このように名前が挙げられるものは時代によって次々と変わります。しかし、古典的には「投資といえば株」と認識している人が多いのではないかと思います。

株式の歴史について調べてみると、その起源は16世紀から17世紀にまでさかのぼります。世界史の時間に「東インド会社」という言葉を聞いた記憶はないでしょうか。これはヨーロッパとアジアの貿易を行った組織で、世界で最初の株式会社とされています。この名前が教科書に載っているというのは、植民地支配の歴史といった国際情勢の話と関係したものですが、経済や金融の歴史という視点からも無視のできない存在です。東インド会社の事業内容は、現代人である私たちからすると地味な仕事にも見えてしまいますが、香辛料やお茶などを西洋に輸入するというものでした。

商売の基本は「差」の存在に目をつけることです。お茶のような嗜好品を楽しむ習慣というのは、どこの国の文化にもあっておかしくなさそうなものですね。しかし、すべての国の土地や気候が茶葉を栽培するのに適しているとは限りません。安定した質と量で供給しようと思えば、労働力の問題や産業の機械化の具合といった事情も関わってきます。土地によってお茶を効率的に栽培できる場合とできない場合があり、栽培できない地域にもお茶を求める人々が存在するなら、お茶を栽培できる地域の人たちはそこに向けて商売ができます。これは地域の差に目をつけたものです。

さらに、地域内で茶葉を生産できるのはそのためのノウハウ、土地、道具といったものを揃えられる人たちであり、商取引に長けた人がそれを仲介し、陸路や海路で運搬するための手段を持っている人たちが実際に商品を運びます。ここでも人々や組織の持つ能力の差が商売のコアになっており、社会の中での分業というものが、その構成員が何に秀でているかに応じて行われていることがわかります。役割というのは、それをうまくやれる人に割り振られるものです。あなたが学生時代に何かを勉強して、今している仕事に就いたように、特定の分野で役に立つ知識や技能を保有していれば、社会の中でその役割を担うポジションを得られる可能性があります。

さて、商売を行う上で、重要な分業の領域があります。それは「誰が元手を出すか」という点です。何か画期的な発明に理論と図面の上で行き着いた人がいるとして、ここですぐに現れるのは、それを物理的に実現できるだけの設備やお金を本人が持っているかという問題です。たぶん、持っていないことのほうが多いでしょう。試作品をなんとか作ることはできても、同じものを量産して広い地域に普及させられるような力は持っていないことのほうが普通であるはずです。もっと現実的な見方をすれば、そこにまとまった資金がないのなら、そもそも試作品といったレベルの話が出てくるまで研究開発を行うことすらできません。

これは東インド会社の行ったような事業についてもそうです。航海ということだけを考えても、船乗りとしての技術と経験のある人たちが、国と国との間を行き来できるような巨大な船を何隻も建造して、それを維持・運用していくだけの資金を持っているかというと、それは難しいだろうということはすぐに想像できます。

株式の役割は、この出資という点にあります。何か新しくて大きな事業をやりたいという野心やビジョンのある人たちがいて、そこにある程度まとまったお金を持っている人が株主として出資することができれば、その時代には夢物語と考えられていたような事業を現実にできる可能性が生まれます。

株式にするとみんながどう助かるのか

株式という仕組みの「便利さ」を考えてみると、事業を行う側にも出資する側にも、複数のメリットがあることがわかります。

まず、単純に出資の大きさを小口にできるということの効果です。工場をひとつ建てられるような資金をただひとりだけ(もしくは互いに信用して話をまとめられる数名だけ)で負担するとしたら、それほどの資産を持つ人はどんな社会でもかなり限られてきますし、事業の失敗というリスクを考えれば、実際に出資してくれる可能性はさらに低くなるはずです。事業が大きくなれば大きくなるほど、またその事業が挑戦的なものであればあるほど、そこに対して出資してもらうことが難しくなります。こうした状況は、社会全体の発展に対してもマイナスです。この必要金額の全体を数百や数万といった数に分割することができれば、そこに出資することはぐっと容易なものになります。

出資の単位が小口になれば、出資者はリスクの分散を行うことができます。これは現代の私たちが目にする投資情報にもよく出てくる言葉ですね。昔ながらの航海と貿易という事業を考えれば、それは多額の費用を投じる必要があるにも関わらず、船が難破したり海賊に遭ったりするリスクが常にあり、利益は約束されたものではありません。利益どころか、元手となったすべての物資が失われる可能性まであるわけです。さらに、一つひとつの事業の規模があまりにも大きいものである場合、ひとりの人間が並行していくつもの事業に出資するのは資金的に困難です。ここで、小分けにされた株式という仕組みがあれば、出資者は自分にとって適切な金額だけを、適切なバランスで複数の事業に分散投資することができます。

また、事業者(実際に仕事をする人)と出資者(そのためのお金を出す人)が分離されることによって、従業員がリスクを負わないで済むというメリットがあります。これは普通に暮らしているとあまり意識されることではありませんが、本書で投資という行動を考えていく上では重要なポイントになってきます。

現代でニュースを見ていても、名前の知れた会社が倒産したとき、負債総額が何十億円といったことが報道されることがありますね。しかし、このような事態が発生した場合に、普通にそこで課長をやっていた人がいきなり多額の借金を背負うということはありません。最終的な損失のリスクを背負うのは、出資者の仕事だからです。もちろん、人が世の中で生活していく上で、失業という事態は軽く考えていいものではありませんが、少なくともそこに一線は引かれています。突然の失業という心理的なダメージはあったとしても、経済的なダメージを追加で負わされることはないので、気を取り直してまた別の勤め先を探せばいいだけです。ここでも、社会全体での役割分担というものが行われていることになります。

株式という仕組みを考えるとき、特に注目すべきなのは、実はこの「従業員はリスクを負う必要がない」という点です。これはどういうことなのでしょうか。

誰かがリスクを背負っている

本書の読者にとってはやや古い話題になるかもしれませんが、2005年頃にIT企業の経営者がテレビ局を買収しようとして、連日ニュースを騒がせたことがありました。この報道に関係して「会社は誰のものか」という議論が盛んに行われたようです。(ちなみに、当時の筆者は年齢的に社会と経済の難しい話がよく理解できなかったので、この事件がどのような意味を持っていたのかということは、ずっとあとになってから知りました)

商法という法律の話をすれば、会社は株主のものです。そこで働いている従業員、さらには組織のトップである経営者ですら、株主から任されてその事業に従事しているだけということになっています。言うまでもなく、この世に楽な仕事というものはありません。それが華やかで周りに自慢できるようなタイプのものではなかったとしても、人は自分の仕事に対しては一種のプライドを持っていることが多いと思います。現場で汗水垂らして(もしくは、膨大な書類をやっつけたり組織の人間関係のゴタゴタに悩まされたり顧客に振り回されたりしながら)働いている人からすると、これは納得いかない話だという感情が起こるのは自然なことです。

しかし、普通に会社員をやっていると、商売を行うのにどれほど多額の元手が必要で、それがどれほど簡単に失われるリスクに晒されているかということはあまり意識しないものです。自分のいる会社の仕組みに山ほど文句があるとしても、それは多数の人々が何十年間も試行錯誤した上で積み上げてきた「一応なんとか動くし、利益も出る仕組み」です。そして、それは最初にリスクにさらされた多額の元手がなければ、その組織の中に生み出されることはありませんでした。それを蓄積するための入れ物である組織そのものだって、そうした元手がなければそもそも始まらなかったものです。

あなたが最初に株を買うときには、それがほんの数万円であっても、顔も知らない他人の仕事と予測不能な景気の波によっていつでもそのお金が目減りする可能性があるという事実には、かなりの不安を感じるはずです。これは実際に投資に取り組もうとするまで見えていなかった世界です。世の中の会社は、そうやってリスクを背負っている無数の人たちの存在で成り立っています。従業員と出資者のどちらがいなくても、会社は成立しません。

世の中に「お金の話をするのは品がない」という考え方をする人はそれなりに多いですし、お金持ちと聞いて清らかなイメージがあるなどという人もあまりいないでしょう。人の世は公平でも公正でもないので、たまたま生まれた家庭が裕福だったというだけで多額の経済的恩恵を受け取る人は一定数います。こうした人たちが投資によってさらに資産を増やしていくというのは、あまり気持ちのいい話ではないですが、少なくともこのような人たちは、経済的リスクを背負うのに適任と言える人たちです。

この世の中で、確実に成功する商売というものはあり得ないので、必ずどこかで誰かがそのリスクを背負っています。それこそが投資家の仕事だということです。

投資を行うとき、あなたがする仕事

以上の話から、本書を購入したあなたがこれから何をすることになるのかという点が明らかになりました。投資を本格的に始めるということは、そのようなリスクを背負う側の世界に足を踏み入れるということを意味しています。

従業員が資金を用意するために奔走したり、金銭的なリスクを負ったりせずに働くことができるというのは、よくできた仕組みです。戦後から平成にかけて、この国で「サラリーマン」というのは平凡でこれといった特徴のないことの代名詞のように考えられてきましたが、普通の会社員というのは、実はかなり人工的に整えられた環境で生きています。そして、投資を行う側になるということは、何か特殊な行動をするというより、どちらかといえば自然界での生き物の行動に近くなると考えたほうが適切です。

自営で農家をしている人にとって、結果を得るためにはとても長い時間が必要であるとか、それが自然災害のような偶然で一度に失われる可能性があるというのは、どちらも当たり前のことです。それを避けることは不可能です。投資で儲けたいけどリスクは負いたくないというのは、食べてもなくならないケーキが欲しいとか、使ってもなくならないお金が欲しいと言うことと同じような要求です。

株のような世界に存在するリスクを「避けられない付属品」ととらえることは正しくありません。リスクは付属品というより、むしろ投資の本質だからです。会社に何かあったとき、資産を失うのは従業員ではなく投資家の役割だという話はさきほどしました。基本的には、この世の中で何も仕事をせずにお金を得るということはできません。あなたが投資によって利益を得ることができるとしたら、それはリスクを背負うという仕事の対価として与えられるものになります。

ここで、第一章のテーマである「投資する」とは実際には何をすることなのかという疑問について、ようやくひとつの答えにたどり着きました。投資家の仕事は、社会の中で成功が約束されていない事業を行う人たちに対してお金を出し、そのリスクを引き受けることです。

それって株価チャートの話とどう繋がるの?

売買されている「株」の中身とは

ここまでに述べた「株式」という仕組みの話と、私たちが普通にイメージする「投資」や「株」とは、やや離れたものであるように感じられた方がいるかもしれません。投資というのは価格が上下する何かを売買するもので、その上がり下がりによって儲かったり損をしたりするというのが一般的なイメージです。簡単に言えば、投資というのはローソク足のチャート(株価チャートと聞いてあなたがすぐにイメージできるあのチャート)や折れ線グラフの動きがすべてであって、低いところで買って高いところで売れば成功という話になります。

投資とは出資することだという理屈で考えるなら、それは会社が設立されるときとか、規模を拡大するときに増資をする場合にのみ発生するはずですね。でも、普通に私たちが株をやるというときには、それは平日の昼間にいつでも売買できるものになっていて、その価格は常に目まぐるしく変化しています。これはいったいどうなっているのでしょうか。

「株を売買する」というときに、実際には何が売買されているのかというと、それは「分け前を受け取る権利」です。これは最初に出資をした人にとっても同じで、誰かのやる事業にお金を出すということは、当然そこから出た利益を見返りとして受け取ることを目的としています。これは配当金という形になっていて、毎年決まった時期に1回か2回、その会社が出した利益が株主に分配されることが普通です。私たちが「株を買う」というときには、通常は最初に出資した人が手放した、この配当金をもらえる権利を売り買いしているという形になっています。(株主の権利は他にもありますが、議決権などはすぐさまお金に関わってくる要素ではないので、ここでは話の外に置いておくことにします)

配当金というものを考えてみても、これは頻繁に上下するタイプのものではないので、一般的な株のイメージからはまだ少し離れていますね。さきほど「低いところで買って高いところで売れば成功」という例を出したように、「株で儲けた」というときには、それ自体の価格(つまり株価)の上がり下がりで利益を得ることを先に思い浮かべる場合が多く、配当金というのはどちらかというとおまけのようなものと考えられがちです。

というわけで、次は株というものの価格の変動について考えてみましょう。

状況が変われば、会社の価値は変わる

株式、つまり会社が生み出した利益から分け前を受け取る権利ですが、この価格は常に変動しています。創業期の会社に最初に出資した人は、少なくともそうやって投じたお金を回収できるだけの分け前を将来的に受け取れるであろうということを見込んで投資しているはずです。そして、分け前がどの程度の量、どの程度確実に受け取れるだろうかという予測は、時間の経過とともに当然変わってきます。

その会社の商売が思ったほどうまくいっていないことがわかれば、一定の配当金を出しながら会社を存続させるということが怪しくなるので、その権利は数年後には紙屑になってしまう(紙の株券はずっと昔に電子化されているので、実際には紙の券すら残らない)可能性が出てきます。そうなれば、その会社の株を求める人は以前より少なくなり、そこに対して「これだけのお金ならば出してもいい」という金額は下がるので、その株の価格は下がります。

逆に、その会社が着実に業績を伸ばしていることがわかれば、配当金の額が増えたり、将来に渡って配当が続くことが以前よりも強く期待できそうだという見方が広がります。そうなれば、その会社の株を求める人は多くなり、その株に対して出していいと考えられる金額は上がっていくので、その株の価格は上がるというわけです。

このようにして絶え間なく上下している株価は、その会社そのものの現在の価値に連動しているものと考えて、だいたい間違いありません。もっと正確に言えば、「現在の価値」というより「現在の価値がどれくらいだと皆が考えているか」です。会社の価値は時価総額という言葉で測られることが多いですが、これは現在の株価に発行済み株式の数を掛けたものです。

仮にある会社の発行済みの株式が1億株ならば、その会社が1億個の権利に等しく分割されて、そこに値段がついて売買されているということになります。株式ひとつあたりの株価というものがあって、そこに1億株という数を掛ければ、それが会社全体の価値になるということです。

プラスもマイナスもリスクである

ここで、既に出てきた「リスク」という言葉の定義についても少し触れておきましょう。株とは何かということの説明の中で、それは出資したお金が倒産などによって失われるリスクを引き受けることだという話をしました。日常会話で使われれるリスクという言葉は、何か回避すべきマイナスの出来事の可能性のことを指していますね。しかし、金融の世界で使われる「リスク」という言葉は、これとは定義もニュアンスも異なる専門用語で、そこから得られる収益の不確実さを指しています。

会社の価値というのは、何らかの測定機器で物理的に測るようなことができないので、そこにつけられる値段は必然的に「皆がどう考えているか」を総合した値になります。その会社が持っている技術や資産が一日にして劇的に変化するようなことはありませんが、社会情勢の変化、もっと正確に言えば「皆が社会情勢をどのように解釈するか」はたったひとつのニュースによって大きく変わります。株価が不安定で、そこから得られるであろう収益が不確実であるというのは、株価が実態よりも解釈によって動くものだからです。

専門用語としてのリスクという言葉を使うなら、実は価格の上昇もリスクの一部です。ある会社の株価チャートが上下しているとき、その動きが「ある平均的な水準の株価を割ることはあまりないが、価格が急激に上がって元に戻るということを何度か繰り返している」というものだとしたら、これも「リスクが大きい」に含まれます。

繰り返しになりますが、確実に成功する商売というのは存在しない以上、あらゆる会社の株はリスクを背負っているということになります。

チャートの向こう側には人間がいる

株価が上下するときに起きていること

株式投資において、あまりにも当然のことであるにも関わらず、忘れられがちな事実があります。それは、あなたが何かの株を買うなら、反対側には常に売り手がいるということです。

株というものは、誰かがそれを注文するたびに新しく製造されたものが手渡されるタイプの商品ではありません。世の中に出回っている株式の量は既に決まっており、これが売買によって人から人へと移動するだけです。この決められた量というのが発行済株式数であり、ついさきほど「その会社の権利を1億個に等しく分割したもの」という例でも出てきた、その会社全体に関する権利をいくつに分割して流通させているかという数字のことです。

さらに、値付けの仕組みも普通の商品とは異なります。コンビニで日用品を買うときには、まずお店側が値段をつけていて、あなたはその値段に納得したときだけそれを購入しますね。ここでは、お店と消費者というのは異なる立場になっています。これに対して、株の売買では、売り手と買い手が行うのは対等な手続きです。

普通の人が株を買うときには、成行注文という方法を使うことが多く、いくらで買いたいという価格の指定までは行なっていないことがほとんどだと思います。しかし、ネット証券の画面で「板」というものを見られるように、ある会社の株に対しては「いくらならば買ってもいい」「売ってもいい」という人が無数に存在していて、売買が成立するのは両者が一致した場合のみです。成行注文であれば、こちらの「買ってもいい」という値段は省略されていますが、注文が成立したのなら、その値段で「売ってもいい」という注文をした相手が必ず存在しています。ある会社の「株価」というのは、この売買が直前に成立したときの値段を指しています。直前というのは、夜に株価を見た場合であれば市場の閉じる15時ちょうどにまとめて行われた取引ですし、日中であれば5秒前や0.1秒前といった瞬間に誰かと誰かが行った取引のことを指します。

株価が上昇するということをもう少し細かく考えてみると、ある会社の株価が1000円から1001円に上がるのは、「1000円ならば売ってもいい」と考える人がひとりもいなくなったときです。さらに、1001円で売ってもいいと考える人もいなくなれば、次は1002円になります。逆に、ここで1002円は高すぎると感じられているのであれば、今度は1002円で買おうとする人がいなくなり、再び1001円で売買が成立するようになります。株価の上下というのは、常にこのようにして発生しているのです。

株価のチャートとは、一本の線が自らの意思を持って動いているのではありません。市場に存在する数えきれない参加者の思惑が、結果的にひとつの数字に集約されているおり、たまたまあなたに見えるのがその数字だけだということです。この変動の軌跡がチャートとして描かれると、直感的には何か「ひとつのものが自分で動いている」という印象を受けますが、これは錯覚です。確かに、それはひとつの会社の価値に対する解釈を集約したものではありますが、その解釈を行なっているのは膨大の数の個人、企業、コンピュータアルゴリズムなどです。そして、この全員が別々の立場で別々の事情を抱えており、それぞれが異なる思想と判断で動いています。

株価チャートを見たときに、なんとなく「上がりそうだ」と予測できたような気持ちになっている人がいます。しかし、家でパソコンに向かっている一個人が、世界中に散らばっている無数の市場参加者の動向を完全に把握しているということはあり得ません。では、その直感と予測は信頼できるものだと呼べるでしょうか? 少しでも分別のある人ならば、これにイエスと答えることは難しいでしょう。

投資は常に難しくなるようになっている

株がいつでも売買できるという事実は、実は投資という行動の難しさを表しています。ある値段で買えば得するのだと考えている人がいる一方で、その値段で売ったほうが得なのだと考えている人が同じくらいいます。これがアンバランスであれば、すぐに株価が動きます。たとえば、ある会社の業績から見て、1000円という現在の株価は低すぎる評価で、1200円くらいが妥当だというのが誰の目にも明らかっただったとしましょう。

この「誰の目にも明らか」という状況は決して続きません。株価が1000円のうちに急いで買いを入れようとする人たちがすぐに現れる一方で、既にその株を持っている人たちは当然このチャンスに可能な限り高い値段で売りたいと考えていますから、これを1000円で売るようなことはさっさとやめて、1200円付近で売ろうとするはずです。このような駆け引きが落ち着くのは、常に両者の読みが均衡する微妙なラインになります。実際には、これは「誰の目にも明らか」という状況が発生する前に先を読んで動く人たちがいるので、1000円から1200円への値上がりは、そのような値段が妥当であると確実視されるずっと前からじわじわと進んでいることになります。つまり、割安や割高が明らかな状況は「続かない」というより「そもそも現れない」のです。

株式に限らず、投資というのは基本的に何らかの権利を売買するものです。そして、あなたが喜んで買おうとしている権利に付けられた値段は、そこで売ってしまったほうが得だと誰かが判断した値段です。そのように判断した人がいなければ、その株価で手に入ることはありません。このような仕組みで市場が動いている以上、取引が成立したときにはほとんど常に「自分のほうが得をするはずだ」と両者が考えているということになります。

このような背景を考えると、目まぐるしく更新され続ける株価について、高すぎるとか安すぎるということを簡単に言うことはできないということがわかります。株は判断が難しい価格でしか取引されません。いつだってそうなのです。

当たり前の理屈は、投資の世界にも働いている

あなたが週末に冷やかしでたまたま立ち寄ったお店で、「こんな値段でこれが買えるなんて信じられないほどお得だ」という商品を見つけたとしましょう。それが事実ならば、売り手にとっては「明らかに損をする」ということなので、そういう状況で喜んで売りたいと考える人は本来いないはずです。値段が下げられているだけの理由が何かあると想像して、レジへ持って行く前に立ち止まって警戒するのが普通でしょう。

投資の話になると、難しい理屈がいろいろと出てきそうで身構えてしまいますが、ここには常識的に理解できる値付けの原則が働いているだけです。「あなたが株を買うときには、それをその価格で売りたいと思っている人から買うことになる」という事実を、もう一度強調しておきます。投資について語っている人たちをよく見てみると、この当たり前すぎる認識が抜け落ちている人があまりにも多いということに気がつきます。前提を知らなければ、常識的に考えればこうなるはずだという理屈を正しく積み上げることはできないので、結論は必ずおかしなものになります。

この章で最初にした、隠された意図の話を思い出してください。ときどきお店で見かける大安売りだって、それは販売する側にとってメリットがあるからこそやっていることです。少し考えてみただけでも、店舗に足を運んでもらって値引き対象以外の商品をついでに買ってもらう、新規のお客さんを呼び込んで固定客を増やすきっかけにする、抱えすぎた在庫を整理するなど、合理的な理由がいくつも思いつきますね。

この世の中で、明らかに自分だけが得をすると思うような状況に出くわしたのなら、おそらくあなたは何かを見落としています。そしてそれは、あなたよりもよく頭を働かせている誰かの思惑どおりなのかもしれないのです。

第一章のまとめ

ポイントのおさらい

ここまでの第一章では、株式の仕組みについて詳しく解説しました。これは株というものが古典的でよく知られた投資の対象であると同時に、「投資する」という行動の本質を考える上で、株式が最も理解しやすい例だと筆者が考えたからです。

しかし、ここまでに考えてきた内容は、株以外の投資対象にも当てはまることが多くあります。債券というものを考えてみても、リスクを引き受けてリターン(見返り、利益)を得ることや、世間の見方によってその価格が変動するという点は、株式とまったく変わりません。貸したお金は返ってくるとは限りませんし、信用というのは物理的な物差しで測ることができないので、これも人々の評価次第です。

この第一章の目的は、今までぼんやりと持っていた「投資する」「株を買う」というイメージを明確にし、これから投資を始めようと思っているあなたが実際には何をすることになるのか、正しく認識するということでした。ここまでに述べたポイントを箇条書きにすると、以下のようになります。

  • 他人の隠された意図と、その危険性に注意しよう。あなたの周りにいるほとんどの人は、自分の利益のために行動している

  • あなたが投資をするとき、あなたの仕事はリスクを背負うことである。リスクのない投資は存在しない

  • 株価を動かしているのは、その会社の実態そのものではなく、それに対する人々の解釈と判断である

  • あなたが望んで買い手になるとき、反対側にいるのはそれを望んで売ろうとしている売り手である

  • 投資対象の価格は、常に判断が難しい水準に落ち着く。誰の目にも明らかな儲けの機会は存在できない

これらはいずれも重要な認識です。自動車の教習の例を出したように、根本的な部分でその危険性を理解していないのなら、事故を起こすのは時間の問題です。本人がどれだけ運転が上手いと思い込んでいるかというのは関係ありません。投資についての詳しい知識を学ぶ際も同じで、これらは投資で致命的な事故を起こさないために、最初に理解すべき事柄です。

次の章で考えたいこと

第一章では株式の歴史の話などが出てきたので、「もっと具体的な投資方法の話を早くしてくれ」という読者もいるでしょう。しかし、筆者はみなさんが教習所に通う前に高速道路に乗り込み、お約束どおりの大事故を起こすことを望んでいません。「正しい投資方法」の話にたどり着くまでに、これから何に注意していくべきなのかという話がもう少し続きます。

次の第二章では、株以外の具体的な投資手段をいくつか取り上げて、そこに存在する落とし穴、もっとはっきりと言えば「どうしてそれが儲からないのか」について明らかにしていきたいと思います。投資の世界には、避けられない本質的な難しさがある一方で、無視しても構わない怪しげな話が無数にあります。これは少しでも深く考えれば「儲からなくて当たり前だよね」ということが一般常識によって理解できることがほとんどであり、一度そのパターンを理解してしまえば、同じような話に惑わされるようなこともなくなるはずです。

第二章では、これからあなたが正しく無視していくべき、お金の誘惑についての話をしていきたいと思います。

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