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[SR-002-02] 第一章:「投資する」とは実際には何をすることなのか

近日刊行予定の書籍「投資に正解は存在するか:堅実な株式投資と資産形成の入門ガイド」より、冒頭の章を無料で先行公開しています。(正式公開時には、内容が加筆・修正される可能性があります)

【先行公開中の章の一覧】


儲け話で儲かるのはいったい誰?

みんな自分のために行動している(それが普通である)

普通の大人であれば、苦労せずにお金が手に入ることはないという事実を知っているし、人からうまい儲け話を持ちかけられたら、まず疑ってみるというのが当たり前の反応だと思います。この本で投資という難しいテーマを考えていくにあたって、あなたの周りに存在する見えない「意図」の話を最初に取り上げることにしましょう。

一般的に、あなたにわざわざ何かを見せようとしたり、何かをさせようとする人は、そこに何らかの動機を持っています。たとえば、ネット上には無料で読める記事が無数にありますが、このような記事はすべて、誰かが時間をかけて取材したりじっくり考えたりした上で文章を書いているはずです。どうしてタダで読ませてもらえるのでしょうか?

ここには、無料で見られるコンテンツで人を集めることによって、そこに一緒に載っている広告(あのうっとうしい広告です)を見てもらい、その広告経由で何かを買ってもらいたいという意図があるのが普通です。広告主から掲載メディアにお金が流れているので、メディアは無料のコンテンツでも商売を成り立たせることができます。メディアは執筆者に原稿料を支払います。そして広告主は、広告を見た消費者からお金を回収していくというわけです。つまり、あなた自身はその記事の書き手に直接お金を払うことはありませんが、「広告を見た一部の消費者→広告の商品の売り手→記事を掲載したメディアの運営者→記事の書き手」というお金の流れが発生していることになります。

今あなたが読んでいるこの本も、書籍という有料のコンテンツとして世の中に流通しているものですね。私が本書を書いた動機は、立派な顔をして言ってみるのなら、自分が長年勉強してきた知識を他の人たちに共有したいという気持ちです。さらに、読者の興味を引く話題によって、自分が書いた他の本やネット上に公開している他の記事を広く読んでもらいたいという目的もありますし、ただ単純にものを考えて文章を書くことが好きなのだという理由もあります。

それでも、人が本を出版するということの第一の目的は、その売り上げから得られる利益です。これを「違う」と言い張るのは、正直な人間のすることではありません。いろいろと他の理想とか目的といったものはあるし、それが大切だからこそ、苦労してでも書籍の執筆という仕事を続けることができるのですが、私にも生活というものがあるので、お金という要素を無視することはできないわけです。

人は理由もないことをわざわざ時間をかけてやったりしません。人が何か五分以上かけて行うような行為に関しては、目的がない行為というのはこの世にあまり存在しないはずです。

金融商品は誰のためにあるのか

明らかな投資詐欺であれば、その目的はあなたからお金を騙し取ることです。そこで、もう少しまともな存在である(はずの)証券会社について考えてみましょう。

証券会社の口座を利用して取引を行うのならば、あなた自身が儲けることは一応は可能です。しかし、証券会社の目的は、あなたを儲けさせることではありません。証券会社も営利企業ですから、何か自分たちの利益のためにそれをやっているはずです。

企業というのは、基本的には世の中の人々の求めているものを提供しないと成り立つことはできません。食料品や自動車などの商品でも、鉄道やスポーツジムのようなサービスでも、通常、消費者が求めているものというのは、その人にとって役に立つものであることが普通です。しかし、消費者の欲求を満たすものであれば、実はそれが役に立つものである必要は全然ありません。ほとんどの人がガラクタだと判断するものを売っていたとしても、一定数の人々が「欲しい」「価値がある」と言うのならば、その商売は成立します。

証券会社の主な目的は、あなたが株や投資信託を売買するときに発生する手数料で商売をすることです。あなたが儲かっても損をしても、取引さえ行われれば証券会社は儲かるので、とにかくあなたに積極的にたくさん取引をしてほしいと考えています。ということは、証券会社から何かをおすすめされたとしても、それはあなたを儲けさせるための親切心から出たものではないということになります。

最初のポイントはここです。つまり、あなたに何か情報や商品を持ちかけたり勧めたりしてくる人がいたとしても、それを無闇に信用しないということです。

投資で利益を得たいのなら、自分から勉強する必要があります。それも書店で派手な色の表紙をしている安直な投資本を選ぶのではなく、経済について研究しているきちんとした学者とか、投資の現場でまぐれ以外の要因で既に成功していて、それ以上他人からお金を巻き上げる必要がなくなった投資家が誠実に書いた本などを読む必要があります。

さきほどお話ししたように、本を書く人はそれを売りたいという動機を持っているし、ネット上で無料で見られる情報も、特定の商品や広告に誘導することが目的だと考えるのが自然です。あなたがこの先囲まれることになるのは(あるいはもう既に囲まれているのは)、そうした動機の上にまとめられた、無数の情報たちです。当然、その動機はあなたには伏せられています。

投資の世界に飛び込むのなら、隠された他者の思惑を常に意識してください。投資で失敗するということは、あなたの大切なお金を失うということです。誰でも知っているように、お金を貯めるには時間もエネルギーもかかりますが、失うときは驚くほど一瞬です。こうした意識は、自分の身を守るために必要なことです。

危険性を認識してから始める

この第一章のタイトルは、「投資する」とは実際には何をしているのか、という問いかけになっています。本書で最初に行っていきたいのは、この「投資」という行動の正体を明らかにすることです。

これはもちろん、ネットで証券口座の画面を開いたときにどういう購入手続きが必要になるのかという話ではないし、投資に関する法律や株式会社という制度の細かい話をしたいわけでもありません。こうした内容には本書でも部分的には触れる部分もありますが、筆者が意図しているのは、そのような教科書的な形式の説明とは異なります。本書の序盤で明らかにしていきたいのは、投資をするという行動が本質的に何をすることなのか、社会や私たち自身にとってどういう意味を持つ行動なのかということを明らかにすることです。こうしたことは、意外と改まって説明されることはないものです。

自分が何をしているのかということを知るのは大切なことです。自動車の運転免許を取得するのはそれなりに大変なことですが、それは運転免許というものが「本来は危険である道具を、危険であることを理解した人にのみ、使用することを許可する」という仕組みになっているからです。しかし、私たちが日常の中で目にするドライバーには、その危険性をいまいち認識していないように見える人がけっこういますね。運転中にスマホを一瞬見たときに、車が何メートル進むかという話を聞いたことのある人もいるでしょう(これは実際にはまったく一瞬とは呼べないような長さの意識の空白になります)。

車の事故であれば、罪のない他人を巻き込むことがあります。投資の失敗は、その規模によっては家族の生活を巻き込む可能性もありますが、基本的には本人が損をするだけです。傍観者として見るなら、その点では交通事故よりはマシだと言えます。言い訳の利かなさという点を考えれば、おそらく投資の失敗のほうが、周囲の目は厳しいでしょう。大抵の人は「欲のために大損したのだろう」という冷めた見方をするでしょうし、そしてそれはだいたい当たっているのです。

自分が何をしているのかを認識してから始めましょう。本書では、何に投資したらいいのかという「答え」を述べる前に、そこまでの道のりに存在する落とし穴についての説明にかなりのページ数を割いています。それは投資という世界が本当に危険であり、多くの人はその事実を認識することもなくその世界へ飛び込んでしまうということを、筆者は知っているからです。それも運転に熟練しているかどうかというレベルでなく、高速道路に自転車で突っ込むようなことをたくさんの人が平気で行なってしまうし、そういう人だって、徒歩で高速を走り抜こうとする人に比べたら多少は判断力のある人という側に分類されるでしょう。

普段の生活では常識も分別もあるように見える人が、投資の世界で同じように振る舞えるとは限りません。そして、自分から「愚かで危険な振る舞いをしよう」などと考えてそうする人はいないはずです。つまり、知識と理解がないのなら、今述べたような無茶苦茶な行動を誰でも行なってしまう可能性があるということです。

さて、そろそろ第一章の本題に入りましょう。それは、投資というものの正体はいったい何なのかということです。

そもそも株って何だろう

何をするにもお金がかかる

投資という言葉で、真っ先に連想されるものは何でしょうか。話題性で考えるのなら、近年(2010年代以降)ではビットコインなどに代表される仮想通貨がありますし、このように名前が挙げられるものは時代によって次々と変わります。しかし、古典的には「投資といえば株」と認識している人が多いのではないかと思います。

株式の歴史について調べてみると、その起源は十六世紀から十七世紀にまでさかのぼります。世界史の時間に「東インド会社」という言葉を目にした記憶があるでしょう。これはヨーロッパとアジアの貿易を行った組織で、世界で最初の株式会社とされています。この名前が教科書に載っているというのは、植民地支配の歴史といった国際情勢の話との関係もあるのですが、経済の歴史から見ても無視のできない存在です。東インド会社は、現代の私たちからするとなんだか地味な事業内容にも見えてしまいますが、香辛料やお茶などを西洋に輸入する事業を行っていました。

商売の基本は、「差」の存在に目をつけることです。お茶のような嗜好品を飲むというのは、どこの国の文化にもあっておかしくなさそうなものですね。しかし、すべての国の土地や気候が茶葉を栽培するのに適しているとは限りません。安定した質と量で供給しようと思えば、労働力の問題や機械化の進み具合といった事情も関わってきます。お茶を効率的に栽培できる地域とできない地域があり、栽培できない地域にもお茶を求める人々が存在するなら、お茶を栽培できる地域の人たちはそこに向けて商売ができます。これは地域の差に目をつけたものです。

さらに、地域内で茶葉を生産するのはそのためのノウハウ、土地、道具を持っている人たちであり、商取引に長けた人がそれを仲介し、陸路や海路で運搬するための手段を持っている人たちが実際に商品を運びます。ここでも、人々や組織の持つ能力の差が商売のコアになっていて、それぞれの長所に沿って社会の中で広く分業が行われていることがわかります。

さて、商売を行う上で、重要な分業の領域があります。それは「誰が元手を出すか」という点です。理論と図面の上で、何か画期的な発明に行き着いた人は、それを物理的に実現できるだけの設備やお金を持っているかという問題にすぐに直面します。たぶん、持っていないことのほうが多いでしょう。試作品をなんとか作ることはできても、同じものを量産して国中に広く普及させられるような能力は持っていないことのほうが普通であるはずです。

これは東インド会社の行ったような事業についてもそうです。航海ということだけを考えても、船乗りとしての技術と経験のある人たちが、国と国との間を行き来できるような巨大な船を何隻も建造して、それを維持・運用していくだけの資金を持っているかというと、それは難しいだろうということはすぐに想像できます。

株式の役割は、この出資という点にあります。何か大きな事業をやりたいという野心のある人たちがいて、そこにある程度まとまったお金を持っている人が株主として出資することができれば、その時代には夢物語と考えられていたような事業を現実にできる可能性が生まれます。

株式にするとみんながどう助かるのか

株式という仕組みの「便利さ」を考えてみると、事業を行う側にも出資する側にも、複数のメリットがあることがわかります。

まず、単純に出資の大きさを小口にできるということの効果です。工場をひとつ建てるだけの資金をひとりだけ(もしくは互いに信用して話をまとめられる数名だけ)で負担するとしたら、それほどの資産を持つ人はどんな社会でもかなり限られてきますし、事業の失敗というリスクを考えれば、実際に出資してくれる可能性はさらに低くなるはずです。事業が大きくなれば大きくなるほど、またその事業が挑戦的なものであればあるほど、そこに対して出資してもらうことが難しくなります。こうした状況は、社会全体の発展に対してもマイナスです。これを数百人や数万人といった単位に分割することができれば、そこに出資することはぐっと容易なものになります。

出資の単位が小口になれば、出資者はリスクの分散を行うことができます。これは現代の私たちが目にする投資情報にもよく出てくる言葉ですね。昔の航海と貿易という事業を考えれば、それは多額の費用を投じる必要があるにも関わらず、船が難破したり海賊に遭ったりするリスクが常にあり、利益は約束されたものではありません。利益どころか、元手となったすべての物資が失われる可能性まであるわけです。そして、一つひとつの事業の規模があまりにも大きいものである場合、並行していくつもの事業に投資するのは資金的に困難です。ここで、小分けにされた株式という仕組みがあれば、出資者は自分にとって適切な金額だけを、適切なバランスで複数の事業に分散投資することができます。

また、事業者(実際に仕事をする人)と出資者(そのためのお金を出す人)が分離されることによって、従業員がリスクを負わないで済むというメリットがあります。これは普通に暮らしているとあまり意識されることではありませんが、投資という行動を考えていく上では重要なポイントです。

現代でニュースを見ていても、名の知れた会社が倒産したとき、負債総額が何億円といったことが報道されることがありますね。しかし、このような事態が発生した場合に、普通にそこで課長をやっていた人がいきなり多額の借金を背負うということはありません。最終的な損失のリスクを背負うのは、出資者の仕事だからです。もちろん、人が世の中で生活していく上で、失業という事態は軽く考えていいものではありませんが、少なくともそこに一線は引かれています。突然の失業という心理的なダメージはあったとしても、経済的な追加のダメージを負わされることはないので、気を取り直してまた別の会社を探せばいいだけです。ここでも、社会全体でのリスク分散というものが行われていることになります。

株式という仕組みを考えるとき、特に注目すべきなのは、実はこの「従業員はリスクを負う必要がない」という点です。これはどういうことなのでしょうか。

誰かがリスクを背負っている

本書の読者にとってはやや古い話題になるかもしれませんが、2005年頃にIT企業の経営者がテレビ局を買収しようとして、連日ニュースを騒がせたことがあります。この報道に関係して、「会社は誰のものか」という議論が盛んに行われたようです(ちなみに、この頃は筆者も年齢的に社会と経済の難しい話はよく理解できなかったので、この事件がどのような意味を持っていたのかということは、ずっとあとに知りました)。

商法という法律の話をすれば、会社は株主のものです。そこで働いている従業員、さらには組織のトップである経営者ですら、株主から任されてその事業に従事しているだけということになっています。言うまでもなく、この世に楽な仕事というものはありません。それが華やかで周りに自慢できるようなタイプのものではなかったとしても、人は自分の仕事に対しては一種のプライドを持っていることが多いと思います。現場で汗水垂らして(あるいは、膨大な書類を捌いたり組織の人間関係のゴタゴタに悩まされたりしながら)働いている人からすると、これは納得いかない話だという感情が起こるのは自然なことです。

しかし、普通に会社員をやっていると、商売を行うのにどれほど多額の元手が必要で、それがどれほど簡単に失われるリスクに晒されているかということはあまり意識しないものです。自分のいる会社の仕組みに山ほど文句があるとしても、それは多数の人々が何十年間も試行錯誤した上で積み上げてきた「一応なんとか動くし、利益も出る仕組み」です。そして、それは最初にリスクにさらされた多額の元手がなければ、その会社の中に生み出されることはありませんでした。

あなたが最初に株を買うときには、それがほんの数万円であっても、顔も知らない他人の仕事と予測不能な景気の波によっていつでもそのお金が目減りする可能性があるという事実には、かなりの不安を感じるはずです。これは実際に投資をやろうとするまで見えていなかった世界です。世の中の会社は、そうしてリスクを背負っている人たちの存在で成り立っています。

世の中に「お金の話をするのは品がない」という考え方をする人は一定数いますし、お金持ちと聞いて清らかなイメージがあるなどという人はあまりいないでしょう。人の世は公平でも公正でもないので、ずるい商売で成功する人はいます。「自分は努力したからこそ成功したんだ」と言っている人が、経済的にも教育面でも恵まれた環境で育ったということを1ミリも自覚していないということもよくあります。資本主義と格差の再生産という話になると、それだけで別の本が一冊書けてしまうので、この話題に深く踏み込むのはやめておきましょう。ここでは、金持ちも社会の中で何か役割を負担してくれているのだ、という理解にとどめておいてください。

話を本筋に戻します。この世の中で、確実に成功する商売というものはあり得ないので、必ずどこかで誰かがそのリスクを背負っています。それこそが投資家の仕事です。

投資を行うとき、あなたがする仕事

以上の話から、あなたがこれから何をすることになるのかという点が明らかになります。投資を本格的に始めるということは、そのようなリスクを背負う側の世界に足を踏み入れるということです。

従業員が資金を用意するために奔走したり、金銭的なリスクを負ったりせずに働くことができるというのは、よくできた仕組みです。戦後から平成にかけて、この国で「サラリーマン」というのは平凡であることの代名詞のように考えられてきましたが、普通の会社員というのは、実はかなり人工的に整えられた環境で生きています。そして、投資を行う側になるということは、何か特殊な行動をするというより、どちらかといえば自然界での生き物の行動に近くなると考えたほうが適切です。

自営で農家をしている人にとって、結果を得るためにはとても長い時間であるとか、それが自然災害のような偶然で一度に失われる可能性があるというのは、どちらも当たり前のことです。それを避けることは不可能です。投資で儲けたいけどリスクは負いたくないというのは、不老長寿になりたいとか、使ってもなくならないお金が欲しいと言うことと同じような要求です。

ここで、リスクを「避けられない付属品」ととらえることは正しくありません。リスクは付属品というより、むしろ投資の本質だからです。会社に何かあったとき、資産を失うのは従業員ではなく投資家の役割だという話は既にしました。基本的には、この世の中で何も仕事をせずにお金を得るということはできません。あなたが投資によって利益を得ることができたなら、それはリスクを背負ったということの対価として与えられたものです。

ここで、第一章のテーマである「投資する」とは実際には何をすることなのかという疑問について、ようやくひとつの答えにたどり着きました。投資家の仕事は、社会の中で成功が約束されていない事業を行う人たちに対してお金を出し、そのリスクを引き受けることです。

それって株価チャートの話とどう繋がるの?

売買されている「株」の中身とは

ここまでに述べた「株式」という仕組みの話と、私たちが普通にイメージする「投資」や「株」とは、やや離れたものであるように感じられた方がいるかもしれません。投資というのは価格が上下する何かを売買するもので、その上がり下がりによって儲かったり損をしたりするというのが一般的なイメージです。簡単に言えば、投資というのはあのローソク足のチャートや折れ線グラフがすべてであって、低いところで買って高いところで売れば成功という話になります。

投資とは出資することだという理屈で考えるなら、それは会社が設立されるときとか、規模を拡大するときに増資をする場合にのみ発生するはずですね。でも、普通に私たちが株をやるというときには、それは平日の昼間にいつでも売買できるものになっていて、その価格は常に目まぐるしく変化しています。これはいったいどうなっているのでしょうか。

「株を売買する」というときに、実際には何が売買されているのかというと、それは「分け前を受け取る権利」です。これは最初に出資をした人にとっても同じで、誰かのやる事業にお金を出すということは、当然そこから出た利益を見返りとして受け取ることを目的としています。これは配当金という形になっていて、毎年決まった時期に1回か2回、その会社が出した利益が株主に分配されることが普通です。私たちが「株を買う」というときには、通常は最初に出資した人が手放した、この配当金をもらえる権利を売り買いしているという形になっています。株主の権利は他にもありますが、ここでは話の外に置いておきます。

配当金というものを考えてみても、一般的な株のイメージと比べて、まだ少し離れていますね。さきほど「低いところで買って高いところで売れば成功」という例を出したように、「株で儲けた」というときには、それ自体の価格の上がり下がりで利益を得ることのほうを先に思い浮かべることが多く、配当金というのはどちらかというとおまけのようなものと考えられがちです。

というわけで、次は株というものの価格の変動について考えてみましょう。

状況が変われば、会社の価値は変わる

株式、つまり会社が生み出した利益から分け前を受け取る権利ですが、この価格は常に変動しています。創業期の会社に最初に出資した人は、少なくともそうやって投じたお金を回収できるだけの分け前を将来的に受け取れるであろうということを見込んで投資しているはずです。そして、分け前がどの程度の量、どの程度確実に受け取れるだろうかという予測は、時間の経過とともに当然変わってきます。

その会社の商売がうまくいっていないことがわかれば、一定の配当金を出しながら会社を存続させるということが怪しくなるので、その権利は数年後には紙屑になってしまう(というか、紙の株券はずっと昔に電子化されているので、紙の券すら残らない)可能性が出てきます。そうなれば、その会社の株を求める人は以前より少なくなり、そこに対して「これだけのお金ならば出してもいい」という金額は下がるので、その株の価格は下がります。

逆に、その会社が着実に業績を伸ばしていることがわかれば、配当金の額が増えたり、将来に渡って配当が続くことが以前よりも強く期待できそうだという見方が広がります。そうなれば、その会社の株を求める人は多くなり、その株に対して出していいと考えられる金額は上がっていくので、その株の価格は上がるというわけです。

このようにして絶え間なく上下している株価は、その会社の現在の価値に連動しているものと考えて、だいたい間違いありません。もっと正確に言えば、「現在の価値」というより「現在の価値がどれくらいだと皆が考えているか」です。会社の価値は時価総額という言葉で測られることが多いですが、これは現在の株価に発行済み株式の数を掛けたものです。

仮にある会社の発行済みの株式が一億株ならば、その会社が一億個の権利に等しく分割されて、そこに値段がついて売買されているということになります。株式ひとつあたりの株価というものがついて、そこに一億株という数を掛ければ、それが会社全体の価値になるということです。

プラスもマイナスもリスクである

ここで、リスクという言葉の定義についても少し触れておきましょう。株とは何かということを説明するとき、それは出資したお金が倒産などによって失われるリスクを引き受けることだ、という話は既にしました。日常会話で「リスク」というときには、何か回避すべきマイナスの出来事の可能性のことを指していますね。しかし、金融の世界で使われる「リスク」という言葉は、これとは少しニュアンスの異なる専門用語で、そこから得られる収益の不確実さを指しています。

会社の価値というのは、何らかの測定機器で物理的に測るようなことができないので、そこにつけられる値段は必然的に「皆がどう考えているか」を総合した値になります。会社が持っている技術や資産が一日にして瞬時に変化するようなことはありませんが、社会情勢の変化、もっと正確に言えば「皆が社会情勢をどのように解釈するか」はたったひとつのニュースによって大きく変わります。株価が不安定で、そこから得られるであろう収益が不確実であるというのは、株価が実態よりも解釈によって動くものだからです。

専門用語としてのリスクという言葉を使うなら、実は価格の上昇もリスクの一部です。ある会社の株価チャートが上下しているとき、その動きが「ある平均的な水準の株価を割ることは一応ないが、価格が急激に上がって元に戻るということを何度か繰り返している」というものだとしたら、これも「リスクが大きい」に含まれます。

未来は誰にも予測できず、確実に成功する商売というのは存在しない以上、あらゆる会社の株はリスクを背負っているということになります。

チャートの向こう側には人間がいる

株価が上下するときに起きていること

株式の投資において、あまりにも当たり前であるにも関わらず、忘れられがちな事実があります。それは、あなたが何かの株を買うなら、反対側には常に売り手がいるということです。

コンビニで日用品を買うときには、まずお店側が値段をつけていて、あなたはその値段に納得したときだけそれを購入します。ここでは、お店と消費者というのはやや異なる立場ですね。これに対して、株の売買では、売り手と買い手が行うのは対等な手続きです。

普通の人が株を買うときには、成行注文という方法を使うことが多く、価格の指定までは行なっていないことが多いと思います。しかし、証券口座の画面で「板」というものを見られるように、ある会社の株に対しては「いくらならば買ってもいい」「売ってもいい」という人が無数に存在していて、売買が成立するのは両者が一致した場合のみです。成行注文であれば、こちらの「買ってもいい」という値段は省略されていますが、注文が成立したのなら、その値段で「売ってもいい」という注文をした相手が必ず存在しています。ある会社の「株価」というのは、この売買が最後に成立したときの値段を指しています。

株価が上昇するということをもう少し細かく考えてみると、ある会社の株価が1000円から1001円に上がるのは、「1000円ならば売ってもいい」と考える人がひとりもいなくなったときです。さらに、1001円で売ってもいいと考える人もいなくなれば、次は1002円になります。逆に、ここで1002円は高すぎると感じられているのであれば、今度は1002円で買おうとする人がいなくなり、再び1001円で売買が成立するようになります。株価の上下というのは、常にこのようにして発生しているのです。

株価のチャートとは、一本の線が自らの意思を持って動いているのではありません。市場に存在する数えきれない参加者の思惑が、結果的にひとつの数字に集約されているおり、たまたまあなたに見えるのがその数字だけだということです。この変動が記録としてチャートに描かれると、何か「ひとつのものが動いている」という印象を受けますが、これは誤解です。確かに、それはひとつの会社の価値に対する解釈の集合ではありますが、その解釈を行なっているのは膨大の数の個人、企業、コンピュータアルゴリズムなどです。

株価チャートを見たときに、何となく「上がりそうだ」と予測できたような気持ちになっている人は、そのような無数の人々の動向をすべて理解しているわけではありません。では、その直感と予測は信頼できるものだと呼べるでしょうか? 少しでも分別のある人ならば、これにイエスと答えることは難しいでしょう。

投資は常に難しくなるようになっている

株がいつでも売買できるという事実は、実は投資という行動の難しさを表しています。ある値段で買えば得するのだと考えている人がいる一方で、その値段で売ったほうが得なのだと考えている人が同じくらいいます。これがアンバランスであれば、すぐに株価が動きます。たとえば、ある会社の業績から見て、1000円という現在の株価は安すぎる、1200円くらいが妥当だというのが誰の目にも明らかっただったとしましょう。

この「誰の目にも明らか」という状況は決して続きません。株価が1000円のうちに買いを入れようとする人たちがすぐに現れる一方で、既にその株を持っている人たちは当然このチャンスに可能な限り高い値段で売りたいと考えていますから、これを1000円で売るようなことはさっさとやめて、1200円付近で売ろうとするはずです。このような駆け引きが落ち着くのは、常に両者の読みが均衡する微妙なラインになります。実際には、これは「誰の目にも明らか」という状況が発生する前に先を読んで動く人たちがいるので、1000円から1200円への値上がりは、そのような値段が妥当であると確実視されるずっと前からじわじわと進んでいることになります。

株式に限らず、投資というのは基本的に何らかの権利を売買するものです。あなたが喜んで買おうとしている権利は、同じ値段で誰かが喜んで売ろうとしている権利です。ここにつけられる値段とは、どちらかが得をしてどちらかが損をするということが簡単には言えない、判断が難しい価格だということです。

この章のテーマである、投資の本来の意味とは何なのかという問いかけの最初の答えは、リスクを引き受けるということでした。ここで、もうひとつの答えが出ることになります。それは現在の価格に対する判断を行うということです。

当たり前の理屈は、投資の世界にも働いている

よくよく考えてみれば、「これをこの値段で買えば明らかに得するはずだ」というのなら、それは売り手にとっては「明らかに損する」ということなので、そういう状況で喜んで売りたいと考える人はいないはずです。投資の話になると、難しい理屈がいろいろと出てきそうで身構えてしまいますが、ここには常識的に理解できる値付けの原則が働いているだけです。

「あなたが株を買うときには、それを売りたいと思っている人から買うことになる」という事実をもう一度強調しておきましょう。投資について語っている人たちを目にするとき、この当たり前すぎる認識がスッポリと抜けていることがあまりにも多いということに気づきます。前提を知らなければ、常識的にはこうだという理解を正しく積み上げることはできないので、結論は必ずおかしなものになります。

この章で最初にした、隠された意図の話を思い出してください。お店で行われる大安売りだって、それはお店にとってメリットがあるからこそやっていることです。店舗に足を運んでもらって値引き対象以外の商品を買ってもらう、固定客をつけるきっかけにする、抱えすぎた在庫を整理するなど、いくつも考えられますね。

この世の中で、明らかに自分だけが得をすると思う状況に出くわしたのなら、おそらくあなたは何かを見落としています。そして、それはあなたよりも狡猾な誰かの思惑どおりなのかもしれないのです。

第一章のまとめ

ポイントのおさらい

第一章のまとめに入ることにしましょう。

ここまでの第一章で株式について詳しく解説したのは、株というものが古典的でよく知られた投資の手段であると同時に、「投資する」という行動の本質を考える上では、株式が最も理解しやすい例だと筆者が考えたからです。

しかし、ここまでに考えてきた内容は、株以外の投資対象にも当てはまることが多くあります。債権というものを考えてみても、リスクを引き受けてリターンを得ることや、世間の見方によってその価格が変動するという点は、株式とまったく変わりません。貸したお金は返ってくるとは限りませんし、信用というのは物理的な物差しで測ることができないので、これも人々の評価次第です。

この第一章の目的は、今までぼんやりと持っていた「株を買う」というイメージを明確にし、これから投資を始めようと思っているあなたが実際には何をすることになるのか、正しく認識するということでした。ここまでに述べたポイントを箇条書きにすると、以下のようになります。

  • 他人の隠された意図と、その危険性に注意しよう。あなたの周りにいるほとんどの人は、自分の利益のために行動している

  • あなたが投資をするとき、あなたの仕事はリスクを背負うことである。リスクのない投資は存在しない

  • 投資対象の価格は、常に判断が難しい水準に落ち着く。誰の目にも明らかな儲けの機会は存在できない

これらはいずれも重要な認識です。自動車の教習の例を出したように、どれほど優れた運転技術を身につけたとしても、根本的な部分でその危険性を理解していないのなら、大事故を起こすのは時間の問題です。投資についての詳しい知識を学ぶ際も同じで、これらは投資で致命的な事故を起こさないために、最初に理解すべき事柄です。

次の章で考えたいこと

第一章では歴史の話なども出てきたので、「もっと具体的な投資方法の話を早くしてくれ」という読者もいるでしょう。しかし、筆者はみなさんが教習所に通う前に高速道路に乗り込み、お約束どおりの大事故を起こすことを望んでいません。「正しい投資方法」の話にたどり着くまでに、これから何に注意していくべきなのかという話がもう少し続きます。

次の第二章では、株以外の具体的な投資手段をいくつか取り上げて、そこに存在する落とし穴、もっとはっきりと言えば「どうしてそれが儲からないのか」について明らかにしていきたいと思います。投資の世界には、避けられない本質的な難しさがある一方で、無視しても構わないあやふやな話が無数にあります。

第二章では、これからあなたが正しく無視していくべき、お金の誘惑についての話をしていきたいと思います。

【次の章へ】第二章:投資でがっかりするための確実な方法たち
【前の章へ】はじめに:本書の目的


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