負の世界に飲み込まれることで湧き出る孤独感と表しようのない開放感は、その回数を重ねる毎に強く濃く、または深くなっていく。 溺れて忘れては思い出す。 自分の体が焼けるほどに光っても、「ここにいるのだ!生きているのだ!」と声帯が壊れるほど叫んでも本当の事は映らず、その光も影も壁には決して映らず、作り話として、なかった事としてその芝居の幕は閉じる。 これは、「蛍の影絵」の著者である作という男性が書き残していった、どこにも映らなかった話。その断片である。 ◇ ◇ ◇
雪の深い深い朝に、ヨーコは小さな手で新品の雪を丁寧に固めてだるまを作っていた。 さっきまで「おにいだけお山に行くなんてずるい」と駄々をこねていた女の子とは思えない、無邪気な春が庭で舞っている。 「ヨーコ、寒くないかい」 「たいじょうぶだよおっとさん。こんなにげんきだよ」 毛布のような羽織をゆるく巻き付けたおっとさんは、庭ではしゃぐヨーコをただ縁側に座って見ていた。 ほうっ、と息をして微睡み、ヨーコに話しかけられると薄ら目を開けて顔をくしゃっとしてわらった。 「おっとさん」 「
私と同じく寝ぼけている電車の中で浅く息をしながら、車窓に投影されたいつかの景色を眺めていた。 今にも折れそうな下弦の月が、柔らかく燃える空に浮かぶも刹那。街の路地や窓が白く光り出し、永遠かと思われたそれはあっという間に鎮火された。 向こうで鳥が二羽飛び立ち、やがて電車と肩を並べ、朝の纏う霧を掴んでみるみると追い抜くと、よだかを仰いで昇って逝くのだった。 いつの間に、朝陽に焼かれた冬の遺灰が丁寧に電車内に撒かれていた。 電球色の太陽が破顔するのを確かに視界に収めると、僕はよ
8本目のライブを終えて、350個の悔しさを引連れて地元に帰る。 この冬一強烈な寒波が襲い、辺りは無垢な、または無垢のふりが得意なシルクで覆われていた。 電車に揺られなから音楽を聴いていると、訳もなく涙が溢れて止まらなくなった。 端の席に座っておいて良かった。みんなかスマホに夢中で助かった。 差し込む陽の光と雪景色のおかげで、くらい気持ちが幾分か希釈された。 きっと夜なら、希死念慮が遠慮なく僕の首を鷲掴みするところだった。 帰宅後、自身の穢れを落とすようにゆっくり入浴を済
去年の10月からライブ活動を始めて、顕著になってきた心の摩擦について。 創作に対して真面目になればなるほど、バケモノたちの作品に蹂躙されるほど、歌うこと、書くことを単純に楽しめなくなっている。 そんな気がするのではなくて、確かにそうなのだ。 身の丈に合わないクオリティを着ようと手を伸ばして、体を捻って暴れては炎症を起こし、酷く火照っている。 周りの人間には言っていないのだが、創作が結構苦しい。 大問題だ。さてどうする。 映画や小説を読んで充電したり、好きな音楽に没頭した
縛るものが消えた世界で、時間もなく、 よく晴れた空や、魂さえ透かしそうな月夜もなく、 吸収どころか、噛み砕く暇も与えられずに 次々と更新され、投与される「最新」「最適」「常識」。 便利さ故に、情緒や今までの濃度を失った生活。 無益なのに引き剥がせない、非常に下らない、反吐が出る人間関係。 そういったものも一切なくなり、 お金がこの世から消え、ツタとアスファルトに走るヒビまみれの廃れた世界で、ゆったりと数年過ごす。 そして眠るようにして死にたい。 よく空想してみる。
今日は僕の癖みたいなのを紹介します!! “?”を付けたのは、もしかしなくても、皆にとっては当たり前のことやもしれぬぞ殿、、?そう思った故にござりまする。 さぁ、ご覧!! 開始4行足らずで迷子になり始めた活字を!さぁ!! こんなにも困った顔を見たことがありましょうか? ほんで、これは「なんなんだろうね〜」の延長で書いてるので、オチはありません。 時間をここで浪費したくない方は、悪いことは言いません。ね、もっといい記事ありますよ。 急に本題。脳内での映画とかドラマの演技の再
15m先がギリギリ見えるくらいの、人並以下の秘色(ひそく)の中を潜水している。息を潜めて、底の水色のタイルを眺めて、ただぼくは生きている。 「よーい、、」ピッ!という音と共に、スタート台の方からしぶきの残骸がこちらに潜り込んでくるが、名残惜しさも見せずに水面に帰っていく。 塩素が、髪の色素をバレないようにようにくすねていくのを、みすみすと見逃した。自分自身に、幼年期の無垢な瞳をくすねられるのを、見て見ぬふりをして、何事もなかったかのように毎夜眠る。今日も夢をする。 *
時間がどこまでもゆっくり流れている。 今週末に控えたギターのレッスンに向けて、バリオスの“大聖堂 第三楽章”の暗譜を済ませ、零時過ぎに、疲れの溜まった体をベッドに横たえる。 生憎今日は空がくすんでいて、窓から眺めていた星も月も見えない。 戸建て二軒分離れたところに立つ会社の明かりを薄っすら浴びながら、歌を聴いていた。 目を閉じる。 新しく開拓した、とんでもなくおいしいコーヒーとコーヒーゼリーが食べられるカフェ。 普段は行かない、神社の奥の薄暗い木のトンネル
雨の抱擁に安らぎを覚える前に、梅雨が明けた。 明るすぎる道路や、白い壁達から目を背ける。 隣の市の病院へ行く車内で小説を読もうとしたが、すぐに睡魔に襲われる気がして、鞄の中にしまう。 妙に現実味の無い感覚に心を預けて、ずっと窓の外を眺めていた。 自治体の人だろう、道路沿いの花壇に笑顔で水をやっている老人達。 田んぼの向こうで、脚立に乗って雨樋の掃除をする住人。 木漏れ日で潤う森の入り口。 それと同じだけの空き家や、ポイ捨てされ
こんばんは。 部屋の湿度が中々のものになってきたので、除湿器を買いました。 六月も下旬ですね。浅い眠りから覚めて、窓の外で外で雨が降っていると、ヨルシカの「六月は雨上がりの街を書く」が脳内で流れます。 いつもこういうのって夜に書くんですよね、朝とか昼ってどうも落ち着かなくて。魂が抜けたかと思ったら謎に焦って、本棚の掃除とか始めちゃったりして。ご飯の時間とか気になるしね。 その点、夜はいいです。ご飯の時間気にしなくていいし、環境音も最小限で、いい意味でも悪い意味
「今日も何もなかったな」 と、自分の中では正常な感覚と共に夜を迎えた。 まぁ、本当に何もしていない人間なんていないし(もし遭遇した場合、それは恐らく人間じゃないので、すぐその場から逃げて通報しましょう)、疲れの所為で脳がヤケクソになって吐いた口癖のようなものだと思う。 そんな「何もできなかった詐欺」な日々を振り返ってみると、あれまぁ実に多くの副作用で溢れているじゃないか!と、さっきストレッチと同時進行でかき氷を食べながら思ったので、これを書いている。 朝食を摂れば
取り留めがないのでサーッと読んじゃって下さい。 二週間ほど前、背中の辺りで常に回っていたネジの動きが遅くなって、ついには止まってしまった。年に数回は起こる不具合が、今回は長引いている。 ちなみにさっき夕寝から覚めたばっかりで(絶対にしてはダメ的な記事をいつか見かけたが、疲れに逆らえるわけがない)、身体にごみが溜まっているような感覚だ。出来れば二度寝したい。 「一ヶ月、療養のため休ませて頂きたいのですが」 バイト先の店長にそう言ったのは、食事の量が減り過ぎて点
またどこかで。 「ねぇ、さすがに歩き過ぎじゃない?もう丸二日も休んでないよ」 居心地のいい場所を探すための終わりのない長旅に辟易していた僕は、前をズンズン歩く逞しいアリ二人に、ついに弱音を吐きました。 彼らは丸二日歩き続けているというのに、疲れを一切見せないどころか楽しくてたまらない様子でした。さっきも仲良く駄弁りながら、大きな半透明のラムネの蓋の上を、ものともせず超えていったのです。 僕の後ろのもう一人のアリは、何も言わず僕の後ろを付いてきています。僕が後ろを振