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明日世界が終わりますように

不謹慎なのはわかっているが、世界が終わればいいと幼い頃から思っている。永遠なる厨二である。

だから、大きな津波がきて被災したあのときも、流行病で世界が混乱し始めたあのときも、正直このまま終わればいいと思った。少し期待をした。
でも、あんな経験してもなお、世界が終わることはなかった。続いている。ここは地獄だ。

言ってはいけないことを思ってしまう自分がいる。
私が産まれる前に起きたこと、広島と長崎に原爆が落ちた。私は資料館などでしかその様子を知らないけど、言葉を失うほどの惨状だったことは想像に容易い。その他の場所でも、惨たらしいことが沢山あった。硫黄島では、ゲリラ戦で片腕が無くなっても手榴弾をもって敵に突っ込むほど、激しい戦場だったらしい。
私が毎日当たり前のように飲んでいる水すら、飲めずに苦しんで亡くなった方々が沢山いる。

それでも、人は日本で生きることを辞めなかった。
今硫黄島は一般人が訪れられる場所ではないけど、温泉もあるしいつかリゾートになるかもしれないらしい。
やはり、あんなことがあっても、世界は終わっていない。

広島市は、かなり都会だ。とっても発展している。
長崎市もそうだ、かなり栄えている。新しい施設の開発も進んでいる。
硫黄島もそう、かなり先だけど、そのうち一般人も行けるようになるとか。

東日本大震災のときだってそう。私はあのとき宮城県にいた。被災した。津波でなんにも無くなった。沢山の人が亡くなった。
あの時の傷みは、何年経っても消えるものではない。
ただ、あの大きな揺れが続く時間に、私は「あぁ、私は今日こうやって死ぬのか」と安心したのを覚えている。結局生き延びたけど。

それでも、人は復興を進めた。いま三陸に行くとかなり盛り上がっている。東北の人は、諦めなかった。

その他の震災もそう。いつも世界のどこかで大きな災害や戦争で、この世の終わりを感じている人がいる。
でも、みんな生きるのをあきらめない。

こんなに真っ直ぐに生きている人達がいるという事実に、昔大きな被害を受けた土地が今は発展しているという事実に、世界は簡単に終わってくれないことに、私はほんのり絶望する。
この気持ちが不謹慎なのはわかっている。人と同じ心がなくてごめんなさい。
きっと、人々にとってこういったことは、希望である。
でも、私にとってこういったことは、地獄である。
大きな国の偉い人が命令して落とした爆弾でも、人には太刀打ちできない地球が起こす地震でも、世界が終わることは無かったのだから、何も出来ない私が終わらせられるわけが無い。
世界が終わる未来を諦めて、自分は終わっていくのだろう。
願うことしかできない。明日世界が終わりますように。

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