【SS】道化の退場(1807文字)
道化は退場する。
学生時代に少しだけ英文学を囓っていたのだが、例えばシェイクスピア作品に出てくる道化役(foolとかclownとか呼ばれる)は物語の途中で必ずいなくなるのだ。
そういう、ものなのだ。
✴✴✴
右スワイプで好意を示すアプリをしていると分かることがある。
どんなに阿呆を装っても、ものをよく考えているひとであれば、思考の深さが滲み出てしまう。
一個年下の彼――Nくんは、滲み出しているひとだった。
誠実さがむしろ仇となってしまうこの場所では、彼の振る舞いは正しいのかもしれない。
単純に、会ってみたくなった。
表面上の付き合いしか得られないこの場に少し嫌気が差していたから、彼を最後にアンインストールしようと思った。
会い納め、みたいな感覚。
LINEを交換して互いの名前(私は愛理で彼は直也)が分かっても彼が私のことを「えーちゃん」と呼び続けるのが何だか悔しくて、私も「えぬくん」と呼び続けることにした。
✴✴✴
昨晩は、たくさんのことを話した。
こういった出会いの場において、自分好みの会話へ繋げるには少しだけコツがいる。
まず、ほろりと酔うまで飲む。
そして、軽口をたたいてアピールする。
暗くて面倒な人間じゃありませんよって。
打ち解けてきたら、私の場合は好きな本の話を挟んでみる。
興味がなさそうならまた軽口に戻るだけだ。
もし相手が私と同じように阿呆を装っているだけならば、結構な確率で本の話に食いついてくる。
そしたら、本の内容について語り合う。
なぜこんな面倒なステップを踏んでいるか、私にも分からない。
好きな本の話なんて、学生時代の友人たちなら喜んで付き合ってくれるのに。
Nくんは私の予想通り、よくものを考えている人だった。
だから色んな話を楽しめた。
酔っていた彼は多分覚えていないだろうけど。
彼に何かを聞くと、たまにわざと薄っぺらくしたような答えを返してきた。
こんな出会い方をした相手に対して心のうちを晒すことは、真剣さを見せることは、怖い。
場違いだし、馬鹿にされるかもしれない。
きっとそんなところだろう。
私も同じだから分かる。
私たちは互いに、おどけた言動で自分自身を守る道化なのだ。
飲み食いを終えてお手洗いに行っている間に、Nくんが会計を済ませてくれていた。
そのあとは、流れるようにタクシーに乗せられて彼の家に向かった。
いまさら嫌よ嫌よと言うような年でもない。
家に着いたらすぐにベッドに向かうのかと思っていたが、そこは違った。
Nくんは冷蔵庫からいくつか缶チューハイを取り出してきてテーブルに置くと、私に聞いた。
「どれがいい?」
「うーん、ハピクルサワー」
「うわ俺がのみたかったやつ。しゃーなしあげるわ」
ほろよいが好きなくせに、顔を真っ赤にしてるくせに、さっきは頑張って日本酒を頼んだんだね。
Nくんは床に乱雑に置かれたボードゲームたちを指さして言った。
「ねえ、オセロやろーよ」
「いまどきオセロ?」
「人生ゲームもある」
「……そっちがいいな」
「おっけ。俺、人生ゲームしながら人生について語るのが好きなんだよね」
「なんじゃそら」
人生ゲームを選んだのは、オセロより長く話せると思ったからだ。
***
翌朝。
彼の家を出てすぐ、通知音とともにLINEのメッセージが入った。
「ありがとね! 気をつけて帰って」
なんの捻りもない。
だけど優しい言葉に、喜んでしまう自分がいる。
返信せずに、ブロックした。
最初から決めていたように、その場でアプリも消した。
私はこんな年になってもまだ、拒絶されるのが怖いのだ。
調子に乗って返信して、望んでいた返事がもらえなかったらどうしようと思ってしまう。
自分は簡単にひとの善意を踏みにじるのにね。
***
道化は王に寵愛をうける。
道化が舞台から消えたとき、王は悲しむ。
私という道化が舞台から退場することを、彼は少しくらい悲しんでくれるだろうか。
私は――自分で可能性を消しておいて――私の住む世界から彼が消えてしまったことがすでに悲しい。
少しだけ、泣いた。
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