Goro Kimura

ネパール在住17年目。 天真体技をネパールやチベット子供たち約1000名へ教える。稽古…

Goro Kimura

ネパール在住17年目。 天真体技をネパールやチベット子供たち約1000名へ教える。稽古歴33年目。エヴァ・マヤ・ネパール事務局長。世界遺産バクタプール市等、5市と共に生ごみ堆肥化事業。世界遺産ボウダ地区等、レストラン、カフェを共同経営。日常を生きる基盤は“赦し”の不二一元。

最近の記事

野犬と共に考えた〜

【野犬と共に考えた〜】 久方ぶりに森をハイキングしつつ滝場に向かう。森の入り口で野犬に囲まれた。八匹ぐらい居ただろうか。初めワンワン吠えていたが敵意が無いと分かると直ぐに逆になついてきた。 さて、松林の山道を登る。 山道は30センチほどの道なき道。かなり急角度にて枯れ松葉が絨毯のように一帯に積もっていた。傾斜角度がつくにつけてシューズでは松葉で滑り、靴を脱いで裸足で四つん這いになり、ゆっくりゆっくりと休憩しつつ登った。 すると近づきつつ離れつつ四匹の野犬が楽しそうにつ

    • 風土風土の流れ〜

      初めて天真体道(新体道)の合宿に参加したのは もう二十数年前の富士山の麓の山中湖でのことだった。 一番嬉しかったのは 滅茶苦茶に稽古はハードなのに、底抜けに明るい稽古人達がいて みんなが子犬がじゃれる如くに天真爛漫に戯れてたこと、、、 ここには何かがあると強く感じた。 何かを求めに求めてやって来て出会えたわけだ。 ただ、その時は、それに全くついてけなくて、 どん底につき落された感じだった、、、 さて、夜には創始者への質問会があった。 そこではあれだけ稽古でピカピカ輝いて

      • 【笑いの大疑団:死と創造】

        【笑いの大疑団:死と創造:】2015・2・28 一番初めに指導を受ける先生と言うのは良きにつけ悪きにつけいつまで経っても影響大である。良いことも悪いことも無意識にダウンロードしてしまうのだろう。一端インストールされると消去しようにも消去出来ないわけだ。 自分の場合は初めての先生は”ネガティブY”と呼ばれていた。今はどうか知らないがどこか暗く相当に否定的な先輩であった。自分だけでなくある地方国立大学の空手正師範もすぐに彼の話題になると全く同じことを指摘してたから事実だろう。

        • 【真理の追究】

          ▼”道”と言うのは、机上の空論で終わっていては、もともこうもない。真理の追求とは基本は実参実究であろう。力を尽くして心のかぎり叡智を尽くし求めていく。稽古人の当たり前の“姿勢”だろう。 ▼昭和の正信論争と言うのが禅仏教界であった。仏教大学の学者達が仏法は「学問によって解明し得る」と主張した。他方、それに激怒した禅の師家達を中心に「実参実究によって解明し得る」とした。お互いに激しい論争をした。 ▼天下の禅道において、そんな論争があったこと自体が面白い。禅道には常識外れな過激

        野犬と共に考えた〜

          生と死(2017-02-24)

           一昨日は早朝4時に起きて瞑目してからシヴァプリ国立公園へ滝行へ向かった。その日はシヴァー誕生祭でありウチの周りは交通規制が厳しく一日家に居ないといけなくなるからだった。  交通規制で家に戻ることも出来ないので山にて滝行三昧、一日三回の入滝を行った。  ネパールの滝は野性味溢れて純粋であり峻烈、春先は日中は暖かい分、さらに水が冷たく感じられて厳しかった。二回目の滝行は滝場に虹が美しくかかっていた。入滝は厳しかった。  フッと気づくと目の中に眩い虹の光が輝き始めていた。

          生と死(2017-02-24)

          娑婆という夢物語り

          ▼娑婆という夢物語の中で日々われわれは懸命に生きている。この娑婆世界は、飴と鞭、緊張と解放、恐怖と安心、成功と失敗、苦痛と快楽、問題と解決などなど、己が主人公の夢物語とも言えよう。 ▼ホラー映画を観てる最中は怖くて怖くて二度と見たくないと思うのも束の間、 もう一回観たいなんて思う。刺激がたまらない。同じ所同じ世界同じパターンを一見多様な姿で、面白おかしく見たい。クルクル回る回転木馬。 ▼何度も何度も何千回も何万回も同じことやってきたが、自分から手を上げてハイッ!もう一回や

          娑婆という夢物語り

          【悟後の修行(稽古の日常化)】

          御嶽山の王滝口を開いた普寛上人 の故郷の秩父大滝村にての滝行後に瞑目していると“魔境”に入り抜けられなくなった事がありました。もうそれは非常に危ない意識状態だったと思います。 その虫の息となっていた状態で最後の最後にもうダメだー!となった時に響いてきたのが 「許そう、許そう、許し尽くそう~」 という慈愛の女神(大自然)の永遠・無限なる”響き”でした~。 その響きに導かれて劇的に執着していた心はほどかれていきました。凝り固まり自縄自縛の意識は広がりに広がっていきました。

          【悟後の修行(稽古の日常化)】

          【玉ねぎ理論―漸修禅を超えて】

          ▼こちらのヒンドゥーのグル(師匠)達が、稽古を玉ねぎの皮むきに喩える。 稽古は学んだ事を日常生活の場面場面にて応用するわけであるが、その本人はその瞬間!場面場面で何が起ったか皆目わからない。 何てこともないし普段どおり過ぎるので自覚ない。 しかし、その認識や行為は時空を超えて仰天の事が起きていると師匠達は言うわけである。一つの柵や固定観念が剥がれ落ちたのであるという、、、 ▼それを玉ねぎの皮むきに喩える。 日々道を歩むと一枚一枚玉ねぎの皮(固定観念)は剥かれていく。

          【玉ねぎ理論―漸修禅を超えて】

          30年の滝行体験

          ▼滝行は30年ほど打ち込んでやってきた。日本全国でもインドでもネパールでも滝があればどこでも入りまくった。また先導の方も延べで言ったら1000人はやらさせて頂いた思う。天真体技の中でも滝行は頓悟禅の最高峰だと自分は思ってる。 ▼2015年、天真体技にて心法(哲学・智慧の道)としての天真華厳瞑想が公開されたが、滝行を徹底で打ち込むとより、その世界の真髄を直ちに大変に分かりやすく、実体験が得られるので無いだろうか? ▼さて、滝行を行じてくと日常の多忙かつ複雑さ極まるコンクリー

          30年の滝行体験

          【滝行から見る先祖供養】

          【滝行から見る先祖供養】 先祖供養というと何だか抹香臭さがある。実際にそれを行っているとき、線香を焚いたりお仏壇やお墓や位牌の前で手を合わせているからなのだろう。 滝行を私は長くやっていたが、そういう方向性で行っている人がたくさんいた。先祖を供養するためだとか、見えない浮かばれない霊を供養するだとか、先祖からの因縁を解消するだとか、何やら見えない竜神や神様の指令でおこなっているだとかである。 ようするに、何か妄想なのか?見えないものに向って懸命に拝んでいたわけだ

          【滝行から見る先祖供養】

          人間殺すのやめられない!

          ◆『人は戦場だから異常心理になったの だろうといふが、決してそうではない。 文化の仮面で覆われていた人間内部の獣的な本性が 偶々機会を得て露呈したに過ぎない。 人間は動物であることを全く脱したものではない。 赤裸な人間は必ずしも純粋ではない。 むしろ人間の原罪性は戦場のような所では 剥き出しになると云うべきだ。 私はそれをこの身をもって味わったのだ。』 ◆北原白秋のご子息の隆太郎さんの戦争手記の抜粋。 この方は久松真一禅師のFAS協会(※1)にて 生命かけて座った方

          人間殺すのやめられない!

          【集中から融和へ】

          【集中から融和へ】 ▼友人を朝6時から待ち合わせ場所に車で送ってあげた。学校開始まで時間ある。学校から20分ほどの滝に向かった。 ▼滝は周囲を巨石に囲まれてる。その裏は洞窟になっている。朝から数人の方が洞窟の中で儀式をしてた。自分は静かな雰囲気で滝行を楽しみたい。滝場に儀式のサウンドが裏から響く。 もう一つ下の滝に向かった。 ▼下方の滝は、ワンバンドして流れる。乾季は3−4mほど岩を這いつくばり登らないと滝行が出来なかった。一度、自分は他の滝場で岩場から3mほど落ちて

          【集中から融和へ】

          【無限の許し】

           真は真と観て、偽は偽と観る。 その識別をしっかりする大切さある。いつまでたっても妥協の妥協で糞味噌一緒にしていたら混沌状態を離れられるわけがない。 日々、味噌は味噌壷へ。糞は便器へ流す(笑。 あたりまえのことをあたりまえに“認識”でやるということである。    徹底して大疑団の塊となって己の認識を研ぎ澄ます。識別力を磨きに磨いて鏡のように照らす。“観照力”を生活の中で日々身につけていく。稽古人にとって生命であろう。 さて、偽を偽としてあるがままに認識したならば

          【無限の許し】

          【長期絶食で思い出した〈下〉】

          絶食の一つの醍醐味は休息と安らぎであろう。 しかし、二年半休んだのですっかり忘れてたことあった。二日目からすぐに気づいたのが、己のエッセンスが天とか理想とか神と呼ばれるものへ自然に急上昇していくのである。 アッー!そうだった! 思い出したー。 実は、1日目の夜に耳の中で、飛行機の音がゴーゴーとなるごとく、面白い現象が続いて、胎内へいるごとくだった。絶食になれば絶食の心身へどんどん移行していく。 絶食始まれば、毎日毎日刻々と心身は変わっていく。 とても身体的には弱くて

          【長期絶食で思い出した〈下〉】

          【長期絶食で思い出した〈上〉】

          ⚫︎水だけ八日間絶食が今夜終了。長期絶食では短い方だろう。2年半ぶりだった。実践しつつその感覚を思い出した。 ⚫︎先ず、絶食により五感の感覚が鋭く研ぎ澄まされていった。これすっかり忘れてた。カトマンドゥの上水道は汚くて有名。シャワー浴びてると水の土臭さ、その浴びた感覚のなんとも言えない気持ち悪さ感じた。 ⚫︎歯磨きする時に上水道の水でうがいする。その泥臭い味に吐き気を催した。たまらんとペットボトルの水でうがい。しかしペットボトルの水もプラスチックの匂いがするのだった😆

          【長期絶食で思い出した〈上〉】

          【寒 山 拾 得】

          【寒 山 拾 得】  禅の系列から輩出された和合二聖として大変に有名な唐時代の伝説的な僧。禅画や文学などのテーマとして、禅僧や詩人や文学者によく取り上げられる。  二人は7生の因縁で生まれ変わり続けたソウルメイトだと言われるが、豊干禅師(阿弥陀如来の化身)のもとに因縁を解消する。 拾得の方は、豊干禅師に拾われて、掃除ひとすじで解脱した普賢菩薩の化身(慈愛と理知と菩提心の象徴)。他方、寒山は俗世を嫌い、巌窟に住んで詩を書きながら解脱した文殊菩薩の化身(智慧)とされる。

          【寒 山 拾 得】