見出し画像

ヘラカン滞在記《一》【カルマ・ヨーガ 上】

⚫️ヘラカン滞在記《一》

【カルマ・ヨーガ 上】

▼インドの奥山。ヒンドゥー聖地にある道場で寝起きしている。修行道場の事をサンスクリット語でアシュラムと言う。

▼ここのアシュラムはヘラカン・ババジと言う聖者により開かれた。アシュラムの細かな配置・方向・デザインまで、ババジの指示で造られた。寝る暇もないほど、弟子達は懸命に働き一つ一つ手作業で建造したと言う。

▼彼の号令力は、本当にカリスマ的であった。弟子や村人達は、ババジの指示の下でもう信じられない熱狂で自ら働いたと言う。当時を知る人は、まるで何かに憑かれたごとく、実際に一日中寝ずに働いた時もあったと言う。

▼村人達は、労働後に毎日賃金と食べ物を貰った。貧しい村の雇用の創出でもあった。とんでもなく貧しい村だったヘラカン村。ババジが来てアシュラムが建てられ、今や舗装路や電気が通り、アシュラム内にはほぼ無料の病院(近隣88の村人が利用)もあり大きく変わった。

アシュラムでは村人の萬相談もやってた。
いざ!と言う時の駆け込み寺でもある。

▼さて、『時間がない!』とよくババジは仰ってたそうだ。実際、彼が指導したのは、たった14年間であり、その後に涅槃寂静にて旅立たれた。

▼彼の中心の教えの一つは『カルマ・ヨーガ』であった。ヨーガは体操だけでない。いろいろなヨーガの道ある。カルマは業だとか行為と訳す。つまり、日常の実践をとうして道を極める『実践道』である。

▼実際にヘラカン・ババジは貧乏な人、救いを求めてる人、病に苦しむ人、道を求める人に自ら出向いて行って、率先して手を差し伸べた。何となく助けるでなく、あまたのあまたの人々を積極的に救ったのであった。

▼アシュラムの前にある茶屋のご主人は、子供の時に非常に貧乏な家族で育った。よくババジが来て助けてくれただけでなく、茶屋をここに開けとサポート頂いた。

▼それで茶屋の主人は高校(college)まで行けた。主人の子供達はさらに軍隊や政府関係の仕事につき、みんな立派に就職できた。流暢な英語で話してくれた。


茶屋のご主人。ヒラ・シン氏。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?