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【新体道極意】証光・上げ下ろし<1>

【新体道極意】証光・上げ下ろし<1>

 新体道の極意に、「証光」なる型があるが、これを諸約束を守って、しっかりその通りに行っていけば、3カ月とか3年とかで、二元対立を超えて、絶対なる「一」へ短期間に導いてくれるものである。

 これをやる人は、集中力、胆力、意力、呼吸力、中心力、骨力、炎の情熱、愛、慈悲、光明、平和、叡智、自由、霊、神、無、虚空、絶対無などなど、様々なことを開発・成長させ気づき、学んでいけるものである。

 詳しいやり方については、本部クラスなりサークルなり、しっかりした指導員に直接に教えて貰うことをおススメする。

 こんなところで、やり方を文章化して、その文章を思いっきり誤解して、間違ったやり方を一生懸命やってもしょうもないからである。
 
 とにかく、この型は単純で誰もが行えるけれど、ただしい体(腰、目線など)の使い方、心の方向性やら、それなりの注意点を守る、あるいは、それについてある程度の知識がないと、なかなか効果が出てこないとか、まるで違うことをやってしまうだたとかの危険もある。

 それで、思いつくままに注意点だとか、これについての知識のさわりを箇条書きに少し。。。

【証光の伝授経緯】

 この型はそもそも、青木先生が江上茂先生の部屋に入られた時に、江上先生がサッと机の下に何かを隠されたのを見たのが始まりだという。
 
青木先生は、江上先生がサッと木刀を机の下に隠されたのが見えたらしいが、江上先生がその部屋で何をやってらっしゃったのかは見えなかったという。しかし、江上先生から「オマエ見ただろう~。」と尋ねられ、青木先生は全く見ていなかったのに「エッー。」とあいまいに答えたという。
 
 青木先生曰く「エッー。見ていませんでした。」と答えるつもりだったという(笑)。

 すると、江上先生は「オマエはすぐに何でも試すから、教えてやろう。」とこの証光という極意技を青木先生へ伝授されたのだという。

 この技は、江上先生が親英体道の井上方軒先生と神社へ行かれた時に、たまたま井上先生から江上先生が盗んだ技だという。

 一緒に、神社へ行かれたとき、鳥居の前まで階段を登られた際、井上先生が立ち止まれて、鳥居の中心にかざられていた、三つ巴のマークの中心へ向かって、スッーと持っていた杖を指されたという。

 その時、なんとはなしの瞬間のことであったが、井上先生の雰囲気が一瞬にして変わり、ものすごい集中と雰囲気になられたのを江上先生は見逃さなかった。

 江上先生はすべてが分かったという。

 一点遠くへ集中することによって、異常な精神集中だとか、精神の開放だとか可能になるのだ。これを木刀や手刀でやれば良いのだと。。。

 この証光技は、閉眼の手刀でやると大本教ないし神道の極意である「鎮魂帰神法」となるが、大本(井上先生はここの信者)のものはビデオで青木先生が確認したところ非常に雰囲気が暗かったという。

 そういうダメ?なところを、天真思想(キリスト思想母体の宇宙思想)で大らかに明るくリファインしたものだと思われる。

 それだから、鎮魂帰神法の意味とかをしっかり知る、その神道極意の本質がヴェーダのウパニシャドの真髄、アートマンを中府に収めて、ブラフマンへ開放し融和させるという極意にほぼ同じであることをよく知っとくと、後々、いろいろこの稽古が進展してきたとき役立つと思われる。

 もちろん、この証光や上げ下ろしの意味は、キリスト思想の1、神への賛歌・讃仰と愛2人々への愛から来たのだろうと思うが、違う古典宗教、先に示したヒンドゥーの「アートマンとブラフマンの不二一元」とかでも解釈できるのである。

 いろいろな視点で見ていくと、さらにこの技の本質が見えやすくなってくると思う。

<追記1>

 神道(鎮魂帰神)、仏教(十牛図)、ヴェーダ(不二一元論)の共通性は、小山一夫氏の学研から出ている「悟りに至る十牛図瞑想法に非常に詳しく書いてある。


<追記2>

 この経緯については、うる覚えで書きました。私の記憶です。ネパールに来る際に、16年分の新体道稽古記録と資料が紛失してしまいまい、資料が手元にありません(笑)。間違ったところは、コメントで是非是非批判をお願いします。

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