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留学生のひとりごと日記#6

2023/04/22


日本語ボランティア

今日の朝は日本語を教えるボランティアをしている場所へ。

この場は親が日本人だったり日本と繋がりがあって台湾に暮らしている子供に、日本語というものを忘れないでほしい・身につけてほしいという願いから開かれている。
先生をするのは子供たちの親であり、みんなで支え合いながらこの場を作り上げている。

休日の学校の教室を借りて行われている。
どうやら休みの日は一般に開放されているとか。面白い。

そう、ここに来る子供たちは普段は現地の台湾人に混じって学校に行っている。すごく気になる人生ルートである。
なので普段は中国語を使う時間の方が長いのだろう。
咄嗟に出る言葉が中国語の光景を何度も見かけた。

自分よりも中国語が流暢であろうことに疑いはない。
自分が四年間台湾で過ごしてもああはならないのではないかと頭をよぎる。
だが、ただ言語能力を伸ばしたいと思っていても「何のため」が抜けていては意味のないものに終わるだろう。

生きるのに言語は1つできれば困りはしない。
しかも技術の進歩で同時通訳が可能になってしまえば、よほど流暢でない限り厳しいものがある。逆に言えば頼れる、代行してもらえる。

ならどうして他言語を学ぶのか?
1つは伝えたいことがあるから。
だが自分がこうやって文章で伝えていることは多分、日本という背景があるからより意味を持ち、響く内容だと考えている。
だからもし日本以外の場所に何かを伝えたい、心に届けたいと思ったらその国の文化的背景や社会背景を踏まえなければならないと思う。むう。

他言語を学ぶ理由はこれだけでは無いと思うのでまた改めて考えたい。



僕がお手伝いさせて頂いたのは幼児クラス。

授業前とある1人の子はニコニコ楽しそうに走り回っていた。
私たちもかつては走っているだけで楽しかったのかもしれない。
それが今やどうしたことか。

たぶん私たちが彼らから学べることは多く存在する。


半面大人になっていくにつれ相手目線でものを見られるようになっていく、自分をコントロールできるようになっていくというのは素敵なことであると思った。(ここでは何をもって大人というかを深掘りはしない。)

とある子は先生(自分の母親)が「もう本はおしまい」と言ったが「今がいい」と駄々をこね、最後に母をバシッと叩いた。
とある子はぎゃーと他の人が困るくらいの声で突然叫んだりした。

そんなことを大人になると一般にはしなくなる。
相手が困るのが分かったり、自分の感情をコントロールする術を覚えるためだ。

この意味で大人になるのも悪いものではない。
同時に「ワクワクする心」は持ち続けたいと感じた。
かつてはすべてにワクワクしたはずなのだ。


おとな

大人と聞いて急に思い出したことがある。
それは高校生の時とある先生が「理不尽を受け入れろ」みたいなことを大切なことのように言っていた。
それは恐らく学校組織という環境で長い教員生活を送ってきたからこその考えなのだと思う。社会に適合するという意味でそれは最もなアドバイスなのかもしれない。

でも僕はそうは思わなかった。全然かっこよく感じなかった。反感すら感じた。
それは理不尽って感じているのにそれをそのままにしておけということだろう。それのどこがいいことなのだろうと。

声あげてこうや。って思う。


リアル

その場に来られている親御さんとお話しした。
子育てのリアルだ。

例えば日本の実家に帰るのに子供がいると飛行機代だけでもそれなりになってしまう。これは海外居住ならではの出費だと思った

また塾の費用、幼稚園などなど子供を育てるのは多くの費用が掛かるものだと思った。ありがとうお父さんお母さん。

経済的自立というものはまだ自分が果たせていないものなので道を模索していきたい。(台湾はしばらーく実家に住むことを別にどうとか思う風潮は少ないということを友達が言っていたので「自立」という感覚はもしかしたら日本と差がみられるかもしれない。もう少し確認する必要があるが。)



そして社会人になったら時間がないから今のうちにできることを沢山しといた方が良いよというアドバイスを頂いた。
なるほど。今という時間を大切にしたい。

と同時に、だったら社会人になんてなりたくないとも思ってしまうのだ。
違う道を模索したいとも思うのだ。

「甘い」という声もあると思う。
実際社会で働いている人は自分の身を置く場所を決め、毎日人のためになることをなされている。とても尊敬する。自分にはできないのではと自信がない。

なんでこんなことで悩まされるのかという思いもある。
気づいたら生まれていて、夢中で遊んでたら次はなんか訳の分からない四角い箱でみんな並んで同じことしてて、そしてそこから放り出されてさああなたはどうするみたいな。知らんわとかも言いたくなります。

人生の意味を考えたこともあるがたぶん無いと思う。
だから自分で意味を見出すしかない。フランクルの考えのように
自分は人生から何を期待されているか。

僕の大学生という期間はそれについて考えるべき時間でもあると思うので考える。



日記の日記

やっと今日に今日の日記を書けている。だがもう夜だ。
もっとしようと思っていたことがあるのに、、

とここで、なぜ自分はこんなにも真剣にこの留学生のひとりごと日記
を書いているのだろうと思った。
ざっくり言うと何かに突き動かされているというのが大きいのだが。

1つは自分の変化のため。考えなどを発信する側になりたい思いがある。

このイベントに参加していることもあり今自分が本気でやらなかったらこの先変われないかもという意識感があるからという背景もある。


2つ目は日々の記録。
一時日記を書くようにしていたが途切れてしまった。そして一日に何があったか全然思い出せなかった。なので書いてみている。


こんなに力を入れて何になるのだろうとも頭をよぎる。
もっと優先すべきことがあるのではないかと。
今は分からないけど何かにつながるかもしれないと信じて続けていきます。

(何につながらなくとも誰にも響かなくとも、自分自身が自分と共に過ごす行為としてあるので良いが)

とかっこよく書いてるけど今日見た内容を割と素直に反映してるものです。


今日は早く寝る。

もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!