留学生のひとりごと日記#4

2023/04/20


朝の光景

ザーザーという音がする。今日も雨なのだろう。

朝の支度をするため部屋から出て歩き始めると、水たまりのある光景が洗面所近くにあった。

おいおい。

なんせそこは外との仕切りが無い場所である。窓も空いていた。
雨が凄まじかったのを静かに教えてくれる。


最近天気のことばかり書いている。
でも大雨がニュースにもなってるくらいなので許してください。

天気というと雑談における良い話題である。
当たり障りがない。
だが気を抜いてはいけない。

「え、?!天気?」と相手に思われるような持ち出し方をしてはナンセンスである。
(できるように語っているが違う。おさらいしているのです)
あくまでも自然に。

それでいうとここ数日のような極端な天気は、皆がそこに意識が向かうはず。

つまり話題にしやすい。
また「被害者顔できる」という点もある。(ただし雨大好きさんは微妙なライン)

雨でみんな大変だという意識感を共有できる、雨が共通の対戦相手のようになる。
人は共通の敵ができるとまとまるもので、雨の日は人が仲良くなりやすいのではないか?とも思った。めっちゃ暑い日とかでもか。

少なくとも一体感がある。

もっと抽象化すれば困ったことの共有意識。
それがあれば少しお互いを近く感じられるはず。

環境問題って全人類共通して困ると思うんだけど。
だからさ_


絵本を作る授業

これまた面白そうだった絵本を作る授業。

文学学科、歴史学科とかからいろんな先生が来て全部で6人の先生が関わる授業。なんか新鮮。
そして外部講師?的な位置づけで絵本作家として活動している先生が来てアドバイスとかをしてくれる。(今度ちゃんと名前を聞いておこうと思った)

そしてデジタル技術とも関係させるということで、ARやQRコードを読み取ってもらう仕掛けなどを使って展覧会をしたりする予定もある。

絵本はグループで作る。
メンバーの人たちが優秀で、ストーリーを考えたり絵を描いたりがスムーズに進んでいる。
そう、実質自分が力になれそうなことは少ない。ほぼ無いともいえるかもしれない。

まあそれもあり、絵本作成ではなく展覧会計画グループにいる。
一番最初のこのグループの討論の時に、「あなたは何ができる?」と聞かれた。核心的な問いだと僕には思えた。

僕は「自信を持ってできると言えること」が取り立てて無い。
いや、嘘だ。早寝早起きは得意だ。

しかしこの質問の文脈な社会において聞かれる「何ができる」は無意識にスキルを示しておりどれだけ生産性のある能力があるかを聞いているのだと思う。
そうすると僕の答えは自然と「無い」になる。


でもそれはまだ何もしていないから自信が無い訳であって、積み重ねをすれば少なくとも今よりはそのことに対しての自信が生まれるはずだ。

だからこの大学での四年間での時間は積み重ねの時間でもあるのだと思う。
頑張る。(だが、自信が出て謙虚な姿勢を失うようではあってほしい様子ではないので戒めとしてここに残しておく。失望するからなと未来の自分へ。)


日本語

でも面白いことに「日本語」はこの環境では「できる」と言えてしまうものなのである。当たり前に話してきた、こうして文字を打っているこの言葉は、環境が違えば「強み」ともいえるようなものになるのである。

まあ台湾という日本の文化が身近にある環境だから日本語に関して価値や親しみを持ってもらえているという側面も大いにある。(ご飯屋さんのテレビでドラゴンボールやちびまる子ちゃんが流れているのを見かけたこともある。)


よく言われるのが台湾が「親日」ということだ。
しかし、同時にかつて日本が台湾を統治していたことは事実であるし、反日感情が存在することも認めなければいけない。

タイトルのインパクトに反して2本目は中立に書かれており、「親日」「反日」というわかりやすいものを超えた、すなわち一括りにしないという視点の大切さを強調している。その通りだと思う。

この方面のことは台湾にいる間にもう少し探ってみたい。


プログラミングの授業

僕の大学では今学期にプログラミングの必修授業がある。
といってもコードを書いたりはしない。(今のところ)

簡単な概念は以前習ったこともあるので、今日やったforループ、whileループがとかは分かる。
やはり数学とかコンピューター系の知識は世界共通のものなのだと感じる。
(名前とかは中国語になってるものもあるが。)


かといって僕はそんなにこういう内容が得意ではないのでゆっくり一つ一つを考えてやっていくタイプ。

その日の課題として問題が出されたのだが、どこか上手くいかない。
それを見て隣のクラスメートがコードをLINEに送ってくれた。
「これを貼り付けたらいけるよ。と言わんばかりに。」

「ありがとう」
そう答えたがそういうことではない。自分で理解して納得したいのだ。
(ここでは違うかもだが、意外と自分は頑固なところもある)

数回試してもうまくいかない。 
どこがおかしいかだけ知りたかったので質問した。
そうしたらアシスタントの人や先生が説明とこうやるんだよという方法を教えてくれた。
非常にヘルプ精神が高い人たちでとでもありがたかった。

だが自分が考えながらやっていたのを彼らは理解していないと捉えたのか答えを教えてきた。いや教えて下さいました。
自分は自分のペースで一歩一歩確認して噛み砕きながらやりたかったが言われるがままにやった。
(今思えばそのように言えば良かったと思う。が自分は同時に色々なことをできないし、素早い反応とは真逆の人間だ。まずは意識から。)

現代には近道が多い。
〇〇のコツ、効率よくetc…
しかしコツコツと取り組む過程においてのみ得られるものもきっとある。今回においては思考力かと。
(まあ、今回のような作業はさっさと聞いて終わらせて他の思考に時間を割くというのも賢い方法であるから自分がどちらを選びたいか。)

だから今回のように助けないことが考える力を伸ばしたりもするかもしれない。
助けないことが時として助けになる。

でもそんなの見極めが難しいので、やっぱり助けが必要か聞くこと。それに対して必要かどうか答えを伝えること。

「伝え合い」ということはきっと必要なのでしょう。欠けてるな自分に。


今日はドロンすることにする。

もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!