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何とも言えない

こんにちは。Wです。

↑の写真、
山で撮影しました。

同行者によると、カモシカとのこと。

カモシカを見るのは、生まれて初めてのことで、とても嬉しく。これはnoteに是非投稿、と舞い上がりました。

ただ、この撮影をしていたときに、もう一つ、私にとっては教訓的な出来事がありました。

今日は、そのことについて書きます。

短めですので(4スクロールくらい?)
読んでいただけたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



ある日、家族で山へ行き、偶然カモシカに出会いました。

カモシカは、お食事中。こちらに気づいても動じず、一人草を食んでいます。


夢中になってカモシカにスマホのカメラを向けていたそのとき、別の方々が同じ場所にやって来ました。そこは滝の名所だったので、おそらく滝を見に来たのでしょう。

若い男性の二人組でした。


山道を歩き続け、やっと辿り着いた滝を前に、既に放心状態のご様子。

カモシカには気付かずにいたので、おせっかいは承知で「あそこ」と滝壺の上の草地を指差したら、最初は、なかなか姿を捉えられないようでした。

しかし、カモシカに焦点が定まったその瞬間、彼らのうちの一人が急にこちらに顔を向けたのです。それも目をまん丸に見開き口をあんぐりと開けて・・・・・・!!!


彼もカモシカを見たのはおそらく初めて、山へ足を運ぶことも普段はあまりない方だったのでしょうか。それは「見て!」と母を振り返るあどけない子どもの仕草を思わせました。

未知の世界を発見し、その驚きを誰かと共有し、「ほんとだね!」と笑顔で受け止めてもらい、また日常にもどる。そんな道筋を、どこか求めているかのような。



そんな彼を他所に、そのときの私は、撮影のことで頭が一杯。彼をチラリと見たままそのときは何をしていいやらわからず。そそくさと自分の世界に戻り、彼らと別れて暫く妙な違和感が続きました。


そして、下山しながらまた彼らと偶然すれ違ったとき、ようやく、その違和感の正体に気付きはじめました。

一つは、あの時あの場所で、私は母役を担える数少ない一人だったのに、それを果たせなかった罪悪感。もう一つは、日頃、人と関わることの少ない私にとって、珍しくまわってきた出番をみすみす逃してしまったことへの後悔のようなものでした。



今でも、あの日のことを振り返ると、撮影よりも、目の前の人とのやりとりを、もっと大切に出来ていたらとやり切れない気持ちになります。 

とはいえ、これは私の心が勝手に産み出した空想に過ぎず、彼はそんなこと微塵も求めていなかったかもしれません。



本当のところを言うと、もっと手放しで、たまたま居合わせた彼らと私たち家族とカモシカと、そこに流れる時間をただ感じていたかった。



素晴らしい瞬間を逃してしまったな、と。










追記


初投稿時に読んでくださった皆さまへ

誠に勝手ながら、投稿後に、何度か加筆修正しました。その旨、ご了承いただけたら幸いです。

読んでくださり、
本当にありがとうございました。

皆さんとも、いつか山でご一緒出来たら
幸いです。



おしまい








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