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恋愛『告白してボロ泣きした話』


前回の続きになります。



クリスマスが過ぎ、年末から年明けにかけて帰省目的で地元に帰っていた。
我が家系では毎年一回は帰ってこいと言うような雰囲気がある。
まったく帰る気のない私はこういう圧を与えられないと帰ってこないだろうと思う。

そのため、元々どこかしらで帰るつもりではあったが、先延ばしをする日が続いていた。今となっては大学の夏季休暇中に帰らなかったことを後悔している。
というのも、先輩と一緒にいたくてしょうがなかったのである。

「街の居酒屋は年末はとくに忙しいから入らないとバイト先に申し訳ない」

「春になったら帰るからダメ?」

「冬に帰ってもすることがない」

などと、どうにかここに残らんとあれこれ帰らないための意志表示を示してみたものの、私の意志のこもった発言とは裏腹に、親父の発言は注がれたまま放置されたコーヒーのように冷めきっており、「帰ってきなさい」の一点張りであった。

その時の心境は酷く絶望しており、私の発言はどのあみだくじを辿ってもそこにたどり着くように運命が紐付けられているようで、これはどうあがいても無理だと悟ったのを覚えている。

もちろん私にも帰りたい気持ちはあった。私の母代わりである祖母が日に日に悪くなっているのを感じているからだ。しかし、顔を見せなくてはと思いつつも、目の前の幸福に先走っていた。

だが、そんな幸福が叶うことはなかった。絶望し、どうにでもなれと中身スカスカのキャリーケースをもって自宅をあとにした。
船着き場までの道のりはとても侘しい気持ちで足取りは重く、磁力のある足かせが霧島へと引っ張っているようだった。

今思えば清々しいぐらいに態度に現れていたとおもう。なんなら船に乗ると、時計と海の向こう側との両方に目配りをしながら「いまごろ先輩は働いているのかな」「きつくないかな」「目が冷めたら霧島についてないかな」だとか段々と妄想と現実との乖離が顕著に現れる始末である。

妄想をめいいっぱい苦しんで疲れ切り感情とは裏腹に死んだように眠りにつき、約半日の船旅もあっという間に過ごすことができた。
このとき、どんなに明日を願わなかろうと時計の針は回り続けるし、人間は疲れたらどんなに嫌でも眠りにつくという生物的な抗えなさを学んだ。

ちなみに地元は鹿児島の離島である。ゆえに船や飛行機といった交通手段がもちいられる。運賃も決して安いとは言えず、さらには船ともなれば移動に約半日はかかる。帰るのを渋るのも無理はないだろうことは想像できるだろう。




さて、目が覚めると時刻は朝の4時。冬の夜はまだ暗く島に住む人の殆どは寝静まっている時間帯だ。ゆえに当たりは暗く、この船が向かう先にある港だけが活発に賑わいを見せ大きな明かりを放ちそれを目印に船が進んでいるかのようである。


「ついてしまったか」

これが正直な感想である。大きな明かりが朧朧に島の周囲を映し出す。しかし、絶望しきった目は島の景色など映ることはない。
船が着き島を眺める。その目はまるでリストラをされ行き場を失って公園にいるサラリーマンのように目に映る光景に無頓着で冷めきっていた。
これまでは帰るたびに原風景というべきか哀愁を含んだような懐かしさを覚えていたのだが、このときの私はというとそんな景色に目もくれずただ島に降り、実家に帰る。この過程という名のプログラムを淡々とこなしているだけのロボットのようであった。




しばらくして、バイト先の店長から「先輩がコロナにかかった」と連絡があった。

センパイガコロナニカカッタ?

何を言ってるんだこいつは。ちょっと何をいっているのかよく分からなかったから問いただしてみよう。

私はすぐさまどういうことか店長に電話をした。

電話越し、先輩がバイトできつそうだったことなど前日のようすを聞いたりして改めて先輩がコロナにかかったことを認識すると、現実が近づき始めすぐに先輩に連絡を入れた。

熱はないですか? 大丈夫ですか?苦しくないですか?なにかゼリーとかいりますか?などとそれはもう機関銃のように一方的な言葉のラリーを放つ放つのなんのそのである。

振り返ってみればゼリーいりますかとかは無理だろと思っている。(笑)それくらい私は慌てていたのかもしれない。

どうしていやでも残らなかったのだろう。私はすぐにでも駆けつけたい気持ちでいっぱいであった。明日にでも飛行機で帰れないか、船の切符は取れないかとか考えていた。しかし、そんなことが可能なはずもなく、私ができることといえば先輩の容態を聞いたり話をすることぐらいであった。

そんな中でもなにかできることはないかと考え、私は地元の自然な風景を見せたりなにか好きそうなお土産を買って行こうと考えた。

私は決断したらすぐ行動がモットーである。
島での滞在機関は1週間。連絡のあったその日すぐにお土産を買いに行った。「これもいいな」「これも買っておこう」などといろんな可能性を考えて様々な品物を買い込んだ。お陰で帰りは荷物は一杯になり、帰省二日目にしてがら空きのキャリーケースは役割に充てがうことができたのであった。あの絶望はこのときにして役に立ったのである。

次に島の風景を撮ることにした。
というのも自然に触れることやそういった見ることは直接ではなく何か媒介させてみても健康にいいという論文を読んでいたからである。勝手にあちこち想像を膨らませるよりいいと文献を参考に動き回り、島の隅々を撮影した。その回もあってスマートフォンを媒介し、先輩に島の風景をみせることができた。

と思いたい。(笑)





帰省がおわり、またいつものような生活に戻った。
夕方はまたいつものように居酒屋でアルバイトをしていた。しかし、まだ先輩の姿はない。この頃のコロナは二週間という長い隔離期間があるのだ。先輩も比較的良くなりつつあり安心と嬉しさをもつがやはり会えないのは寂しい。「はやくもどってこないかな」などと思慕を募らせる思いで、まだかまだかと先輩に会いたい気持ちが高ぶっていた。眠れない夜を幾ばくと明かしたことだろう。

そして先輩の復帰当日。
先輩がついに帰ってくる。私は会えるのが楽しみでしょうがなかった。
眉毛を整え髪の毛を整えと、いつもよりも身だしなみに気を使い当日に臨んだ。

出勤し、厨房を覗くと先輩が働いている。私はうれしさで胸がいっぱいになる。久々に先輩を見た私は非常に気持ちが高ぶっていた。

帰省前の先輩は金色に染めていたが、このときの先輩は夜空のような紺青の色を飾り手を伸ばせば星に届きそうな姿へと大きく印象が変わっていた。

「なんて綺麗なのだろう」これが素直な感想である。もちろん金色も似合っていたが、紺色も素敵である。というか先輩は何色でも似合うしどんな姿でも素敵だと言うと思う。私は盲目的に先輩に見惚れていた。くらみがかった紺色の髪はツヤがあり、髪先が平行になびく様はなんとも言えない美しさを醸し出していた。

先輩は宇宙が好きである。大学も宇宙に興味を持って理学部で物理を専攻するほどだ。そんな先輩にとってまるで宇宙だと言わんばかりの色はまさに先輩にぴったりであった。「宇宙みたいですね」とか言ってやろうかと思った。

それだけ星たちに引き込まれそうなくらいの魅力を感じていた。

そんな心情とは裏腹に、実際には声が出なかった。久々にあった先輩をみて何から話そうかとたくさん用意していたのにいざとなると何も言葉が出なくなる。これまで読んできた本たちは記憶ごと燃え去るようにまるで役にたたなかった。先輩に表す言葉を伝えたくて本だって読み始めたというのに素敵な言葉はこんなに溢れていると知りながらなにも言えなくなるのだ。


私は先輩を前にして、開いた口が塞がらないようにただただ立ち尽くしていた。



すると、その様子をみていた店長が「髪色かえてるやん、どう思う?」と私に聞いてきた。

先輩は反応を待つように私を見てくる。

おいおいどうしよう、なにが正解なんだ。
刹那的な時間のなか、考えが走馬灯のように頭を巡る。
そんな思考とはうって変わり。答えは反射的で「僕は前も素敵でしたがこっちも好きです」と答えていた。
私は思考より思ったことが先に出てしまう節がある。果たしてこの発言が正解なのか今でも考えている。いったあとに「これ好意をアピールしてる発言じゃないかとか?」「てかだいぶ態度にでてるきがしてきたぞ」だとか、思考回路がこのモヤモヤで揺れ動いていた。答えたとき、先輩の顔は見ていない。見るのが恐ろしかったのだ。あまり怒らせていないといいのだが。

そんな出だしで入った私はというと、なんともまぁ先輩と話せない。先輩が隣にいると良くも分からない恥ずかしさが迫ってきてまともに話すことができない。さらに顔を合わせようものなら照れと先輩が可愛すぎてそれが相乗効果を発揮してまともに見ることもできない。恋とは盲目であるとはよく言ったものである。先輩は客観的に見たらそうでもないのかもしれない。しかし、私にとってはとても魅力的でいつまでも見ていたいと思うほどである。私は先輩によりいっそう夢中になっていた。


次第に、先輩といると好きな気持ちが出てしまいそうだからと、好意がバレないように距離を取ろうとし始めた。今思えばそのほうがわかりやすいのだが。いや、あるいはもう伝わっていることに気づいていたのかもしれない。好きが伝わっているに違いないという想像が距離を作り始めたのか、これが好き避けというやつなのだろうか。もうアルバイトのことなど考えられず、頭は真っ白状態だ。あのときの私はだいぶ末期だった。同じポジションでキッチンにいながら無言で作業をしだす始末である。隙あらば店長のところに行って話すことはないのに中身のない会話を繋げながら近くにいる滞在時間を少しでも減らそうとしていた。

そうして先輩と話さなくなって一週間がたち、周りはこの異常性に心配をしだす。これまで先輩と仲良くしていた光景を見ていたものからすると確かに異常であったことだろう。二人の和気あいあいとした笑い声も減り、厨房はバイト初日のころのような落ち着きを取り戻していた。今思えばそれでも出勤する先輩のメンタルは強いと思う。


この光景に見かねたバイト仲間は「好きなのわかりやすいよ」「普通にしないと」とかわかりきった事を次々と口に出す。みんな正論を語り私へと投げかかけるのだ。しかし、悩みというのは正論を嫌う。正論はどこまでも正しい。故に悩める人間のほとんどが深層では正論を理解している。宝くじのほとんどが砂漠で砂金の粒を拾うような程度の運だということを理解しながらもそれに手を伸ばそうとするし、お酒が体に悪いことを理解していながらも口に運ぶし、好きな人にさっさと好きだと伝えればいいということだって理解している。だが、人間というのは理解していてもそれができないのだ。人はわずかばかりの空想と現実との穴埋めに希望を持つのである。ゆえに、私達は正論を理解していながらそれができないから苦しむのである。悩める者にとって正論とは一本の筋道ではなく理解されたゴールであり、この約束された筋道を辿らずこのゴールへと導くのだ。いわばゲームの攻略本を所持しながらも、それを使わずクリアを目指すようなものだ。つまり、この攻略本の扱い方と同じように正論は最後の手段なのである。


私が伝えずにいた理由は大きく分けて3つある。

一つ目は、先輩はもうじき遠くに行ってしまうこと。先輩は今年で大学を卒業し、横浜へと行ってしまうのだ。「どうせいなくなってしまうのなら」と気持ちが先行し、伝えない方針を取っていた。あと少しで遠くに行ってしまうものとわかっていながらどうして伝えようか。いまそれをしてしまえばこれまでに水を差すようで申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

次に二つ目は、恐ろしかったからである。
私は恋愛が怖い。中学のトラウマとこれまでの経験が私の足かせを引っ張るのだ。


なんて言われるのだろう、また同じことを言われるのかな。

思いを伝えようと考えると足がすくみ、ネガティブな意味合いでの自制心だけが心を成長させていた。人生を重ねるに連れ、私の鎖は深く絡まり合っていた。言葉を出そうものなら喉を縛り、足を動かそうなら進ませまいと足を縛っているのである。

最後に三つ目は、失うのが怖いのである。
伝えてしまえば、これまでの経験がはじめから無かったかのように過ごしていくことになるかもしれない。それが嫌で仕方なかったのだ。そうして何もかもなくなってしまうくらいならこのわずかばかりの一時を勝手に幸せを感じている方がいいのではないだろうかと、逃避のように現状を受け入れようとしていたのである。


そんな気持ちたちとは裏腹に、私の思いは募るばかりで私の頭に蓄積されていくボキャブラリーはそこにあるばかりではなく今もこうして指を動かす始末である。

こうして伝えない理由たちをつらつらと並べ、自身の選択を正当化しようと必死だった。

「早く終わらしてくれ」

そう願えば願うほど私は伝える理由と方法、そして終わらせるためにはどうすればよいかと模索する。

さぁどうしようか。

考えはされど、時間は有限であり先輩が過ぎ去る時間は一刻一刻と過ぎてゆく。私はいまだ先輩から離れようと必死になっていた。





だが、そんな日々にもある転機が訪れる。

先輩が料理をミスしたのだ。

デジャブだ。過去の回想が蘇る。

私はミスした先輩と目が合う。すると、先輩はニコッと笑いそんな笑顔に私は釣られて頬が引っ張られた。

ミスしたときの私達の行動は一緒である。お互いにこれどうしようか。というような反応をみせながら、それがあたかも食べてもいいもののように先輩はそれを皿に盛り付け、私は調味料の準備をしだす。そして二人で申し訳無さそうな顔をしながらも、それを口に運んでは笑うのである。


このときの笑顔が私にとってはすべてのことのように感じた。




このことを堺に改めて先輩と仲良くなることとなる。


そこから先はというと私は笑顔が絶えなくなった。
先輩と普通に話せるというだけで幸せの絶頂にいたのだ。
私の幸せはなんともコスパがいいものか。


ずっと考えていた。
お金が欲しいでもなければ自由が欲しいわけでもない。有名にもなりたいと思わないし偉くなりたいと考えたこともない。この社会に生きる人の大半が手に入れようと必死になっているものらは私には当てはまらなかった。

そんな私が求めているものはなんだろうと。


お金を欲しがる人の気持ちが分からなかったし自由だって私には苦しみのほうが大きかった。では私は何が欲しかったのか。

ここにこの答えが隠れているような気がした。


しかし、そんな答えを出そうとするまもなく時間は終わりへと近づいていた。



2023年3月26日 告白の日

先輩と一緒にするバイトも最終日。
これまでのつらつらと好きな気持を伝えないための文言を語っていた私の思考は少しづつ変化していた。

「言うことは言っとこう」と最後に好きだったことを伝えて終わらせようと考えていた。

仕事中、わたしたちはいつものように業務に徹していた。
相変わらず先輩は可愛かった。

最後だからか、先輩は手作りケーキを作って持ってきた。全部食べてやりたい気持ちを抑え一口サイズに切り分けられたケーキを口に運び、味を噛み締めてる。これがなんともうまい。「めっちゃ美味しいです」「全部食べたいくらいうまい!」と続けて味わいたい気持ちを先走りバクバクとを頬張った。食べ終わえるともう二度ともらえることはないのかと、このケーキが先輩と働ける最後の合図だと知り、少し寂しくなった。




私はいつものバイトシフトは営業が終わるまでである。
しかし、今日は特別で店長の粋な計らいで同じ時間帯にシフトを調整してくれた。
「最後ぐらい〇〇に駐車場まで送っていってもらい」と背中を押してくれたのである。

私は感謝で胸がいっぱいになり、一緒に先輩と帰った。

いまある服も一番のオシャレをして、身だしなみも整えた。

機会は作ってくれた。準備もした。あとは終わらせるだけである。


先輩はいつも車で来る。そしてバイト先から駐車場までは少し距離がある。
この少しばかりの距離を一歩一歩ゆっくりと噛み締めながら歩いていた。

先輩と歩いてる時間は一瞬のようで永遠のように長い。いつも通りのどこにでもありそうな町並みで特別なものなど何もなかったが、今日だけはいつも以上に輝いてみえた。きっと私はこの町並みを忘れることができないだろう。

このどこにでもあるような街を小さな歩幅でゆっくりと歩きながら「今日はあまり忙しくなかったですね」「バイトは楽しかったですか」などと当たり障りのない会話で繋げて歩いていた。

違う言いたいのはそうじゃないだろ。と何度も自分を否定した。




そうこうしているうちにあっという間に目的地に着いた。私は言いたいことはまだ何も言えていない。言葉のラリーは多くてあと一言、二言といったところだろう。


ここで言わなければ永遠に後悔する。

ここでついに私は縛られた鎖を噛みちぎるように口から言葉を出した。


「あの、僕、先輩のことがずっと好きだったんです。だから、その、ありがとうございました」


つまりつまりではあった。泣きそうだったからだ。


しかし、伝えたいことは言えた。

もちろん、ほんとは言いたいことはたくさんあった。「先輩を表す素敵な言葉たちで先輩がいかに素晴らしいか語ってやろう」だとか内心粋がっていた。だが、目の前にするとそんなことは忘れて何も出てこず、あるのは好きだといったありきたりでかつストレートな言葉だけであった。

「好き」だとか「愛している」だのという言葉は人間の素晴らしい発明だと思う。
それが気持ちのすべてを表している。これまでの文豪たちのように粋な言葉で好きを表現なんかしなくていい。文学はそんな気持ちを複雑に表現することを学ぶだけの一人遊びなのだ。


それを聞いた先輩は驚いたように「そうだったの?」と驚きを見せた。

私は泣くのを我慢することで精一杯でそのラリーに余裕をもって返せるほど喋れなくなっていて「はい、ありがとうございました。あっちでもがんばってください」と会話を終わらせようと必死だった。

そうして先輩が車に乗るのを見届け、後ろを振り返り歩きだした。

すると後ろから、ゆっくりとした動きで車から乗りなと言わんとしたジェスチャーで助手席に手を置き、ポンポンと合図をした。

普段なら喜んで乗ったであろう展開も、その日は複雑な気持ちであった。私は泣くのを我慢して乗り切ることができるのだろうか。そう自問しながらも少しでも先輩といられる時間が欲しくて乗ることにした。しかし、残念なことにバイト先に自転車をおいている。そのためバイト先まででとお願いした。今思えば家までといえばよかっただろうか。いやそんなことはない。家までともなれば顔はクシャクシャになり大雨で湿っているに違いない。そんな姿を見せるわけには行かなかった。

車に乗り、先輩の隣で「まだ泣くな、まだ泣くな」と言い聞かせながら明るく振る舞おうと必死だった。しかも我ながら滑稽にも「出発の日、見送り行きますよ」なんて口約束を取り付ける始末である。


そうして先輩に送ってもらい車から降りる。

「ありがとうございました」

これを合図に車は走り出す。

車が動き出す中、頭を下げ続け車が見えなくなでまっすぐと地面を見つめていた。

するとポツポツと水滴の音がした。私はそれがなんの音かは理解していた。


そのとき初めて溜め込んでいた涙がボロボロとこぼれ出たのだ。


このときは普通に喋れているし、笑顔の表情だってできる。




しかし涙が止まらなかった。生まれて初めての感覚だった。




店に帰ると店長やバイト仲間が駆けつけた。ボロボロと涙を流す私の顔を見やり、すべてを察したかのように、ただただ私の近くにいた。私は相変わらず蛇口が閉めることができない。少し落ち着き、「今日は帰ります」そういってゆっくりとバイト先をあとにした。

自宅に帰る道は先輩が過ぎ去った道で、それを見る私は数十分前までそこに存在した過去の自分を映し哀愁の気持ちを生じさせる。

私は一人自転車を漕ぎ、夜の街を進む。未だ雨が止むことはなかった。


帰宅し、スイッチが切れたようにベットへと倒れ込む。

ベッドの安心感だろうか。布団がすべてを包み込み、それに身を任せるようにまるで嗚咽のような声を漏らして泣いた。

今日はもうだめだ、一人でいたら行けない。

そう思った私は同じ寮に住んでいる友人に連絡し部屋へ駆け込んだ。部屋に入り、いつも通りテレビに向かいゲームに向き合う友人の姿をみて安心したからか少し泣き止んだ。

私のぼろぼろになった顔を見た友人は驚いていた。

友人はプレイしているゲームを止めた。質問はせずただ私が話すのを待ってくれていた。私は自分から来たくせに話を切り出すことができなかった。話したら思い出して泣いてしまうからだ。ただゆっくり静かな時間だけが過ぎていた。


すると、それをみかねた友人の一人がコンビニにでも行くかと提案した。

私はその言葉に「行こう」と同意した。

時刻は夜の11時頃、春の夜はまだ冬の肌寒さを感じる。私達は寒さに身を屈めながら夜道を歩いていた。

コンビニに着いては目標へ一直線に進みアイスやお酒、お菓子を買った。夜を楽しむ三種の神器である。

帰り道は袋を片手にぶら下げ、余った腕でアイスを頬張り三人で歩いた。

月明かりが街灯の明るさを凌ぎ、暗闇に影を映す夜だった。


寮に戻り、私の部屋へ行ってお酒を飲みながらゆっくりと談笑を始める。

私はようやく話を切り出す。バイト先の先輩が好きだったこと、今日の出来事など様々だ。友人はただただ静かに話を聞いていた。


友人たちと話をしていると、先輩からのLINEの通知が届いた。
何が送られてきたのだろう。それをすぐには見れなかった。
まだその準備ができていなかったのだ。小一時間して、少し落ち着きを取り戻してからLINEを開いた。

嬉しさ半分、怖さ半分の気持ちを持ちながら、その内容を確認しようと決意したのだ。


なぜなら、言葉はずっとそこにあるがこの激動は今しかないことを知っているからだ。

開けばそこには長文でこれまでの思い出などが綴られていた。

私は大切に一行一行読んでいく。

読み終え、私から出てきたのは言葉でもなければ声でもない。ただ、海水が沸騰したかのように涙が流れていた。

その時は友人たちも近くにいたがそんなのはお構い無しである。

その日、初めて友人に私の泣き顔を見せた。


先輩の文が送られてくるのは別れてから、少し長い時間があった。友人は「これだけの文を送ってくれてる人だから、しっかり考えて送ってくれたんだと思うよ」と言う言葉を聞いて、またそれが蛇口を捻って流れ出す。

そうか、私はちゃんと素敵な人を好きになれたのか。そう思いながら長いことただただこの文面を見つめていた。



2023年3月29日 出発の日
朝早くに鳴り響くアラームを止めシャワー室へ向かった。
今日は先輩が旅立つ日である。身だしなみを改めて、眉毛を剃る。ファンデーションを塗りたくり、ムダ毛もないかチェックをする。これが最後かもしれないから今ある自分で一番いい姿でいようと思っていたのだ。

先輩は朝一の9時に飛行機で旅立つ。

私の住む街は朝の空港行きのバスは早くしかない。陸上部が朝練習で目を覚ますぐらいの早起きで身支度を済ませ。バスに乗った。

空港につき、時間を持て余した私は空港を歩き回った。

どこがわかりやすいかな。

そういってお互いが見つけやすいポジションを探し、案内所近くのベンチに座った。

先輩に着いたことを連絡するとまだ準備中と帰ってきた。それもそのはずである。私は一時間半前に来ていたのだ。これはバスが無かったのだから仕方がないとしたい。

待ち時間先輩が来たら何を話そうと考えていたり、ズーカラデルやBUMP OF CHICKENを聞いたりしてしみじみと思い出に入り浸っていた。




先輩から着いたと連絡があった。

私は先輩はどこかどこかとあたりを見渡す。
すると先輩が向こうから歩いて来るのがみえた。可愛いから見つけやすくていい。

私は今見つけたかのような反応を見せながら先輩と合流する。

先輩の隣には両親が二人横並びで歩いていた。

私は予想外でありながらそりゃそうかとすかさず挨拶をする。

先輩の目はお父さん似だ!とか顔はお母さん似だ!といろいろ発見できて嬉しい。

控えめであまり周りと話さない先輩とは打って変わって母はとても社交的で初対面の私にも意気揚々に話しかけてくる。「この子、昔から全然人と話さないのよ」と、昔からの様子を知り、そうなんだと新しいことを知ってまた嬉しい気持ちになる。

一方、父はというと物静かなイメージで雰囲気が先輩に似ている。
性格も父似かな?とか思ったりした。




出発までの時間、たわいない話をしながら先輩と歩く。

一歩一歩が地面を感じるように神経は全集中していた。何が何でもこの時間は絶対に忘れまいと本能が訴えてくるかのようだった。

先輩が飛行機に乗るのを見届け、展望台へと向かう。

現代はスマホとかいう便利グッズがあっていい。
私達はスマホを介して居場所を伝え合い。存在を探す。
私は存在をアピールできるよう大きく手を降った。
先輩は私を見つけた。見つけながら窓を開け閉めして合図をしていたらしい。私は見つけられなかった。悔しい。



そうこうしているうちに飛行機が動き出した。


先輩を乗せた飛行機は離陸体制に入り、エンジン音が強く鳴り響く。

それが合図となり、眼の前に何者も邪魔が介さない真っ直ぐな滑走路を潔く走り飛び去った。

私はこの一連の流れを飛行機が飛び去り見えなくなるまで見つめていた。

飛び去ったあとの飛行場は静けさを増して、まるで私の心を内を表しているようだった。


一時飛び去った後の滑走路を眺め、映画が終わったかのように展望台を後にした。

私はこれまで見えていたものが視界に入らないかのように黙々と進み霧島行きのバスに乗った。

バスに乗り、空港をゆっくりと離れていく光景を見ながら私の視界は曇りかかっていた。





不器用なところが好きだった。

きっと人間が本当に好きになるのは完璧さとは間逆なのかもしれない。

社会にでるとその不器用さも見せないくらいには成長し立派な大人になっていってしまうのだろうか。

私はきっとそんなところも素敵だと思うのだろう。




バスは何事もなく霧島の街まで降りた。

バスを降りると、いつもながらの町並みはすこし靄がかかっていた。
私は物語が終わりを告げたかのように街並みを見つめ一呼吸起き空を見上げた。

そこには、曇りがかっていたモヤが晴れていくかのような天色の空が広がっていた。

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