大学生ステラ1624

INFJ/工学/不定期 ふと書きたくなったことを書きたいように書いています。

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恋愛『告白してボロ泣きした話』

前回の続きになります。 クリスマスが過ぎ、年末から年明けにかけて帰省目的で地元に帰っていた。 我が家系では毎年一回は帰ってこいと言うような雰囲気がある。 まったく帰る気のない私はこういう圧を与えられないと帰ってこないだろうと思う。 そのため、元々どこかしらで帰るつもりではあったが、先延ばしをする日が続いていた。今となっては大学の夏季休暇中に帰らなかったことを後悔している。 というのも、先輩と一緒にいたくてしょうがなかったのである。 「街の居酒屋は年末はとくに忙しいから入

    • 孤高のステラ

      「人生を一言で表すと『孤独』です。」 そう答えたのは紛れもない「私」であった。 私の名はステラ。 現在、大学三年生。春休みに入り、絶賛就職活動中である。 進学も視野に入れつつも、働いてすぐに即戦力となれるようにスキル獲得に向けて活動している。 先日、面接をしてきた。 エントリーシートの好きなことの欄に哲学と書いていたこともあるのか、半分くらいは哲学のことを聞かれ、「ソクラテスのように問答法をしているのではないか?」と思うほどに哲学の話を質問された。 想像していた

      • 私小説

        序章 孤独な人生を過ごしてきました。 これは周囲との関係性の問題ではありません。 私にも友人と呼べる人は手の指の数ぐらいは出来たと自負しております。 人には恵まれた人生でした。 なんの恩恵か、大きな石ころにひとたび転ぶと 小さくもあり大きくもある様々な手のひらが私を引っ張ってくれました。 しかし、どの手をとっても私の孤独は拭えませんでした。 手のひらを掴む私の腕はどこまでも冷たく在り続けたのです。 人に囲まれた孤独を生きるにあたり、 寂しさを埋める何かを諦め

        • 【HSS型HSP】の私が精神バランスを崩して人と距離をとった話

          私はHSPである。 厳密に言えばHSS型HSPの気質を持っている。 今日はそんな私が精神バランスを崩して人と距離をとったはなしについて話していきたい。 その前にHSPとHSSについてわからない人のために説明しておこうと思う。 HSPとは HSSとはHSPの中でもその3割を占めるのがHSS型HSPである。 この2つの気質を持っているとどうなるかというと 外交的でありながら、人といるのが疲れたり、社交的に見えて本当は内向的であったりとたくさんの矛盾を抱えながら生きてい

        • 固定された記事

        恋愛『告白してボロ泣きした話』

          恋愛『先輩を好きになった話』

          私のバイト先のひとつ上に美里みたいな先輩がいる。 先輩はバイト仲間から気難しい人として認識されていた。 私が初めてバイトで見たときの第一印象は「めっちゃ美里じゃん」だった。 ちなみに美里とは私の実家の近所に住む同級生の女の子である。 先輩は容姿の問題もそうだが、性格が美里に似ているのだ。 とても親近感が湧いて、どうにかして話がしたいと思っていた。 しかし、色々試行錯誤したもののシャイな私は自分から話し出すことができなかった。 先輩だけというよりバイト仲間と話すこ

          恋愛『先輩を好きになった話』

          構造主義•ポスト構造主義を元に生き方を考える

          部活をやめて3ヶ月がたつ。 部活を辞めるという選択肢は社会構造の枠からはみ出すことができたのではないかと考えたが、それも辞めるか辞めないかの選択肢を組織という概念から選択肢を与えられているのに過ぎず、構造の奴隷なのだという考えに至った。 原始時代で見れば弓を持ち狩りを行うように、現代で言えばマックのポテトがサイズがS .M.Lと決められて好きな分量を頼めないように、意思決定は構造の枠からは抜け出せず、与えられた選択肢の中で生きているに過ぎない。 そうなると人の意思決定と

          構造主義•ポスト構造主義を元に生き方を考える

          他人のトゲをも愛してみたい

          人にはそれぞれに幸せの形があり、たくさんの幸せがあり、それはとても素晴らしい世の中であると思う。最近、ネットでマツコ・デラックスの記事を見た。 その言葉がとても共感を得たのでその全文を記す。 マツコ「結婚、出産、お金などわかりやすい幸せの共通認識をインスタでアピールして、いいねをもらうことで自分は幸せなんだって自覚してる。これは、幸せかは他者に委ねてる状態ね。でも、私は他者を介在させずに喜びを得ることが幸せだと思うわ」

          他人のトゲをも愛してみたい

          人を感じられる

          これは私が島を出たばかりの時の話 その頃の私は周辺の道などわかるはずもなく、行き先が分からず困っていると、 停留所にいた男性が「どこに行きたいの?」と声をかけてくれた。 正直、電車に乗るのかなー?と電車の近くを行ったり来たりと困ったそぶりでアピールしていたのもあるかも知れない。 周りには私とその男性しかおらず、いつも通りであろう景色の中に私の奇行は嫌でも目に映ったに違いない。 この空間内で起こった相手の善意は私が作り出したものであるが、男性が声をかけないとばつが悪いと

          人を感じられる

          私は傾聴が好きです。 そして自分も傾聴されていると思って変な話を話すように心がけています。

          私は傾聴が好きです。 そして自分も傾聴されていると思って変な話を話すように心がけています。

          我々は「まなざされている」

          『地獄とは他人のことである』 1度は聞くことがあるのではないだろうか? これはフランスの哲学者サルトルの言葉である。 言葉が汚い、柔らかく言えば言葉が強いと言ったところだろうか?そんな言葉の強いひとと会う度にこの言葉を思い出す。 さて、地獄が他人とはどういう意味だろうか? サルトルの実存主義をもとに考えてみよう。 実存主義においてこの世界で生きているにあたり実存が本質に先立つとされる。 実存が本質に先立つとは 人間はあとになって初めて人間になるのであり、人間は

          我々は「まなざされている」

          死を意識して生きたい

          私は死がなかなか受け入れられない。 生物として死からは逃れることは出来ず、また本能がそれを恐れてしまう。 私は必ず死ぬのだ。周りの人も必ず死ぬ。 これが避けられぬ運命であることは頭では分かっていてもそれを実感しながら生きる人は少ない。 いや、「それを分かっていないように生きている人」が多いというのが正しいのかもしれない。 かといって、死を乗り越えた生物が行き着く先は絶望が生み出す虚無だろう。 生命として死を超越することは神に近い。 仮にそういった神が存在するのなら

          死を意識して生きたい

          人生をどう面白くするか

          「楽しい」と「面白い」 似通っていて性質は違うものです。 楽しいから面白いに繋がるのか、 面白いから楽しいに繋がるのか、 どちらがいいでしょう。 私の答えは後者です。 面白い方に進んでいくと自ずと楽しい。 だから選ぶなら楽しいより面白いを選んで進めばいい。私はその面白いの幅を広げるための時間は惜しみたくないです。 ドイツの哲学者 ショーペンハウアーは言いました。 「誰もが自分の視野の限界を、 世界の限界だと思い込んでいる」と 自分

          人生をどう面白くするか

          過去の上書き

          先日、美里と野球を観に行った。 球場に足を運ぶのは、実に5年ぶりだった。 私は中学までは野球をしていた。 だが、中学と高校の境、ちょっとした兄弟喧嘩から野球が嫌いになっていた。 それ以降は野球と関わることもしなくなっていた。 私は運動自体得意な方ではない、 地元では父や兄の影響が強く、父や兄はスポーツ万能マンとやらであり、そのギャップを感じ、それが私には苦しかった。 あの頃の私は、よく周りから「高校でも野球やるよね?」と言われたりすることが多く、その返答に困って

          目の前を楽しませたい

          誰かといる時、 「どうしたら楽しんでくれるかな」 と目の前の人に集中するようにしたら自分も楽しくなりました。 世界が楽しくなりました。 誰かを楽しませようとすることが自分の楽しみにもつながるなんて 最高かも知れません。

          目の前を楽しませたい

          両親と話をしてみませんか?

          母との記憶はあまりない。 幼い頃に母が他界して今まで、私と父と兄の男三人で暮らしていた。 幼い頃の私は好奇心旺盛で目を離した隙にどこかにいなくなってしまうほど手を焼いていたらしい。いやいや、今とはだいぶ違うじゃないか。 きっと迷子は家族の方だ、なんて思うタイプだったに違いない。 兄はそんな私とは打って変わり、静かなタイプだったそうだ。怒る時も怒鳴ったりしなかった。兄の威厳というやつだろうか。それは今も変わらないようだ。 さて、そんな私が母を覚えているのは私が幼少期、病

          両親と話をしてみませんか?

          他人を哲学したい

          私は本を読むのが好きだ。 色んなジャンルの本を読みむが中でも一番好きなのは他人を知る時である。 きっとそれは現実でもそうであろう。 今を生きている私たちは言うなれば「未完成な小説」である。 人にはそれぞれの人生があり、ドラマがあり、考えを持っている。 なぜあの人はそう思ったのか、なぜ君はそう感じたのか。 私はそれを考えるのが楽しい。 答えなき問いに答えを見出したい。 なんてことを思うのだ。 だから私は人の話を聞くのが好きだ。みんな私に人生を話を聞かせてほしい。

          他人を哲学したい