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人を感じられる

これは私が島を出たばかりの時の話

その頃の私は周辺の道などわかるはずもなく、行き先が分からず困っていると、
停留所にいた男性が「どこに行きたいの?」と声をかけてくれた。

正直、電車に乗るのかなー?と電車の近くを行ったり来たりと困ったそぶりでアピールしていたのもあるかも知れない。

周りには私とその男性しかおらず、いつも通りであろう景色の中に私の奇行は嫌でも目に映ったに違いない。

この空間内で起こった相手の善意は私が作り出したものであるが、男性が声をかけないとばつが悪いと思ったとしてもそれは善に近いものだろう。

男性に行先を伝えると、
「僕も近くだから一緒に行くよ」
そう言って彼と一緒に乗車した。
電車は満員で男性と一緒に吊革に手を掛け、目的地まで、話をしながら時間が過ぎるのを待った。

こういう時、島出身という肩書きは話題に強い、「海、綺麗だね」「僕も一度行ってみたいな」なんて島の写真を見せれば話題に尽きない。

当時はシャイな方で、何を話そうと口が動かない。話題に救われながら、進む電車の中で島育ちでよかったーと内心ホッとしていたのを覚えている。

目的地まで着くと彼も一緒に降りた。その後少し歩き、目的地まで歩き案内してもらった。

導いてくれたことに感謝をし、そこで別れたが、

名残惜しいのか、
彼と別れとあと遠くから彼を見ているともう一度、今度は反対方向の電車に乗って行った。

どうやら彼の目的地は私より前の駅だったらしい。

反対方向へ進む電車を横目に、名前ぐらい聞いておいたらよかったな。と強く感じながら、遠くながら、見えなくなるまで電車を見送った。



自分でも助けてもらうことの多い人生だなあと思う。

私はどうも沢山の善を受けるものだから、返すものが人より少しばかり多いきがする。
しかし、私と一緒に乗ってくれた男性は返してくれなんて思わないだろう。
ならばこの気持ちをどこにやろうか。


それは、私が助けてもらったように、私が誰かの助けになればいいのだ。
行いを繋げば彼の善は繋いでいける。それは彼の知らない誰かへと繋がり、返すことができるかもしれない。
だから、誰かに私が彼のようにしたことを返そうとされる時、気持ちはもらうからまた、あなたも誰かが困っていたら助けてあげてくださいというようにしている。

追加に心で
それがいつかの彼に届くようにと言葉を添えて。

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