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死を意識して生きたい

私は死がなかなか受け入れられない。

生物として死からは逃れることは出来ず、また本能がそれを恐れてしまう。

私は必ず死ぬのだ。周りの人も必ず死ぬ。

これが避けられぬ運命であることは頭では分かっていてもそれを実感しながら生きる人は少ない。

いや、「それを分かっていないように生きている人」が多いというのが正しいのかもしれない。

かといって、死を乗り越えた生物が行き着く先は絶望が生み出す虚無だろう。

生命として死を超越することは神に近い。
仮にそういった神が存在するのなら、絶対に消えることがないと知りながら生きる生はどのようなものか生き具合を聞いてみたい。

そして「それを分かって生きていない人達」にも聞いてみたいことがある。

君が「死を意識した時、何をしようと思う」と。

私は死を意識した時、
世界に感謝していることに気付いた。

友人と出逢えたことや美味しいものが食べられたこと等、それら全てはまるで世界がつってくれた必然を見るかのような偶然に出逢えたと思えてならなかったからだ。

だから私は会える時に会いたい、いつ消えるか分からないから。

そして私という存在がだれかのなにかで生きていたら私は嬉しい。

そんなことを思っていながらどうも
友人に感謝なんてもの、気恥しいからそれはまだ面と向かってはどうにも言えそうにない。

どうも私の本質はシャイらしい。

なかなかそんな言葉を口にはしないから

こうして私の好きな人達に言葉を残したくて言葉を探しているのかもしれない。

私は死を意識して本当に欲しかったものを知った。
それは走ることでも本を読むことでも学ぶことでもなく、それらをだれかと共に共有していたかったのだと。好きな人達と一緒にいたかったのだと。

私がやっていたことはどれも好きな人達にいろんなことを話すためにやっていたことなのかもしれない

そんなわたしが今にできる1番のことは目の前の人を楽しませ、大切にすることだと気づいたであった。





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