見出し画像

つれづれ北海道ひとり旅

2022/1/16- 1/18の二泊三日で、北海道(札幌・小樽)旅行に行った。生まれて初めての一人旅だった。(カバー画像は小樽運河で撮ったもの)
きちんとした「旅行記」を書こうと意気込んでいたのだが、気力と時間がないので、飛行機や電車の中で書き留めた短い文章をここにまとめ、旅行記の代わりとしたいと思う。

2022/1/16 12:25(羽田→新千歳 飛行機内)


11:50に飛行機に乗った。窓辺の席だ。離陸直後の飛行機は、数分目を離しただけで窓の景色がガラリと変わるのでとてもおもしろい。いまは雲の海を見下ろしている。

離陸してすぐ、ぐんぐん小さくなる人家やビルを見ていたら、私なんて空から見たら点にすら見えないんだなぁ、と思った。なんてちっぽけなんだろう、と。
よく、「人の悩みなんて宇宙から見たら些細なものだから気にするな」なんて文句を目にするたび、「いや、それいま私がつらいこととなんの関係もないし」と思っていた。
でも、いま実際に、点になって、やがて個々として識別すらできなくなっていく家々を見ていたら、実感できた。ああ、私がいつも世界のすべてだと思っているものなんて、こんなにも小さかったんだと。
もう全部嫌だとか、なにもかもうまくいかないとか、そう思っている「全部」はあっけないほど瑣末だ。

これから先、なにもかも嫌だと思ったら、飛行機に乗るのがいいかもしれない。「なにもかも」がどれだけ小さいかを目の当たりにしたら、きっと少しだけ、息をするのが楽になる。

2022/01/17 14:48(南小樽→札幌 電車内)


南小樽駅から、「快速エアポート146号」に乗って札幌へ戻っている。
行きのときは「山ばかりだなぁ」と思っていたのだが、いま眼前には大海原が広がっている。
どうやら、行きと帰りで逆向きの席に座ったらしい。

海が見えた途端、私は大慌てで席を立ち、ドアの前に立った。そういえば、関東の電車は両開き扉で窓が狭いが、この電車は片開き扉なので窓が大きい。理由は知らないが、海を見るのにはとても都合がいい。
周りの乗客はみな地元民のようで、海など見向きもせずにスマホをいじっていたが、私はぜんぜんかまわずにひとりではしゃいだ。

初めて見た北海道の海は、今まで見たどの海とも違っていた。青黒く重たげな日本海とも、色つきガラスのような青緑の沖縄の海とも。
それはグレーに薄い青を混ぜたような色で、波が持ち上がったところは薄緑に見えた。冴え冴えとして、いかにもつめたそうだった。雪の色とも、かき氷の色とも違った。しいて言えば、ラムネの瓶に近い色だったように思う。
砂浜は見当たらず、海岸には丸い石ころがごろごろ転がっていた。人が入る海ではないと思ったが、なんと人影がふたつ見えた。サーファーなのだろうか、水面に浮いているように見えた。


ずっと海が続いていくように思えたが、海の景色は唐突に街並みに遮られ、見えなくなってしまった。私が海を見ていたのは、ほんの4分ほどのことだったようだ。
夢中で撮った写真を見てみたが、あの透き通った美しさは見る影もない。だから私は書くのだ。あの海の色を。写真よりも鮮明に。
「写真の方が正確だ」と言われるかもしれない。それでも、「私の目に見えた景色」は、私の中にしかないのだ。それがカメラに映らないのならば、絵の描けない私にできることは、書くことのみである。

2022/01/18 16:23 (新千歳→羽田 飛行機内)

16:00、新千歳発の飛行機に乗った。窓際の席で、通路側は空席である。
機体の翼の根元に位置しているらしい。窓を覗き込むと、翼の先端の折れ曲がったところに、白いくまが赤い本を読んでいる絵が描かれているのが見える。
これはいい席だ、くまかわいいし、と思ったのも束の間。離陸した途端、私の大好きな、遠ざかっていく地表が見えないことに気がついた。窓から見える範囲の下半分が、翼で覆われているためである。しかも、雨か雪か、そのようなものが窓を濡らしてしまい、重度の近視の私が眼鏡をかけても外しても、もはや見える景色は同じなのだった。

ふてくされて眼鏡を外し、ぼんやりしていたら、CAの女性がイヤホンなどを持って巡回しにきた。右手親指の爪の端がささくれになっていることにさっき気がつき、気になってしょうがないので、呼び止めて「つめ切り貸してもらえますか?」とたずねた。女性は確認してくれたようだが、「つめ切りは搭載しておりません」(搭載、だった気がする。PC以外でその言葉使うんだ、と驚いた)と答えた。
実は今朝ホテルのフロントでもつめ切りを借りたので(そのときは左親指だった。爪がぱきりと割れていた)、貸してもらえるのではと期待したが甘かったようだ。私は触ると痛いささくれをぴろぴろといじりながらこれを書いている。
かつてないほどくだらない文章になっている気がする(Twitterを除く)。


そういえば、離陸して10分ほどあとに、窓の濡れた箇所と翼の合間から、雲の絨毯が見えた。夕陽が当たって、グレーの雲が、オレンジとピンクの混ざったような色に光っていた。印象派の絵画のようだった。モネが現代を生きていて、飛行機に乗ったとしたら、どんな絵を描くのだろうか。ちょっと見てみたいと思う。
などと東京の積雪のように薄っぺらな知識でインテリを気取ったところで、とりあえず筆を置く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?