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耳を澄ます言葉

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2021年下半期に東京国際芸術協会会報に連載していたエッセイ・評論「耳を澄ます言葉」
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2022年1月の記事一覧

内なる多声の燦めき──寿明義和のラフマニノフ(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第6回)

内なる多声の燦めき──寿明義和のラフマニノフ(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第6回)

 この晩秋、長らく望んでいた、恩師である寿明義和先生の弾くラフマニノフを聴くことが叶った(11月25日、すみだトリフォニー小ホール)。演奏曲は、「ひそやかな夜のしじまのなかで」作品4-3(アール・ワイルド編曲)、ピアノ・ソナタ第2番、前奏曲作品23-4、5の4作品。
 全作品を通じて、ラフマニノフの錯綜したテクスチュアの中から、いくつもの歌が鮮やかに浮かび上がってくる様に驚いた。その歌たちが、暗い

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見えない檻──アレックス・オリエ演出、大野和士指揮のビゼー《カルメン》(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第5回)

見えない檻──アレックス・オリエ演出、大野和士指揮のビゼー《カルメン》(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第5回)

 昨年オンラインで視聴した、アレックス・オリエ演出、大野和士指揮によるプッチーニのオペラ《トゥーランドット》は、このオペラを荘重な悲劇へと変容させ、格差社会やマチズモ、犠牲を美化する思想への痛烈な批判を展開した、現代的で鮮烈なものだった。
 そのコンビによるビゼー《カルメン》が今年の7月に上演され、10月からオンライン配信が始まった。私はライヴに行くことが叶わなかったので、こちらも配信で視聴した。

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夜を想う(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第4回)

夜を想う(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第4回)

 人と話していて、言葉を探している間に話を進められたり、別の話題に移られてしまうことがよくある。
 たんに私の思考の速度が鈍いだけなのかもしれない。しかし現代人が、解決を急ぐあまりに、相手の話をよく聴き自らの内に染み込ませる時間、何かを言う前にそれは語るべきことなのかと立ち止まって自問する時間を失っているのは、間違いないだろう。
 昨今、希望を語る紋切り型の表現が消費され、「寄り添う」や「小さな声

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「今ここ」ではない場所へ(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第3回

「今ここ」ではない場所へ(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第3回

 リヒャルト・シュトラウスの『4つの最後の歌』を知ったのは、大学三年のソルフェージュの授業のときだった。先生が、ピアノで第3曲「眠りにつくとき」の冒頭の一節を、巧みな転調の例として弾いたのである。聴いた瞬間、絡み合う官能的な音が生み出す魔力に惹き込まれ、授業が終わっても旋律と和声が耳から離れなかったのをよく覚えている。
 全篇、ロマン主義の極限と言うべき魅力に満ちた作品だが、中でもその第3曲は格別

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光と闇が融け合う──田部京子 ピアノ・リサイタル(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第2回

光と闇が融け合う──田部京子 ピアノ・リサイタル(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第2回

 6月27日に、師である田部京子先生のピアノ・リサイタルを聴いた(佐倉市民音楽ホール)。曲目は、シューベルトのソナタ第4番、ショパンのソナタ第2番「葬送」、そしてシューマンの《クライスレリアーナ》。
 シューマンの演奏前のトークで、先生は、《クライスレリアーナ》のロマンティシズムが「感傷的でない」ことを強調されていたが、その「感傷的でないロマンティシズム」は、先生の演奏自体にも言えることであろう。

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優しさが静かに満ちる──ペヌティエのシューベルト(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第1回)

優しさが静かに満ちる──ペヌティエのシューベルト(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第1回)

 ピアニストのジャン=クロード・ペヌティエが2010年にリリースしたシューベルトのアルバム(ソナタ第18番「幻想」、同第20番)を、最近、ようやく聴いた。
 私は彼の大ファンだが、実はその割に、彼の録音はそれほど熱心には聴いていない。2019年の連載時にも書いたが、凡そペヌティエほど、ライヴこそを聴くべきだと感じる演奏家もいないからである。録音も素晴らしいことには違いないが、特にあの音の人の手のよ

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