見出し画像

短篇|Christmas Eve〈クリスマスの夜〉

 いつものように星がきれいな夜だった。しかし正確にはいつも以上に、いや特別に、とびきり美しい夜だったことを、少年は知ることになる。

 ベツレヘムの郊外で、彼はその夜も野宿をしながら、仲間と交代で羊の番をしていた。やわらかな毛に覆われて、むくむく太った羊たちが獣に襲われないように。盗賊に盗まれないように。やんちゃな1匹が群れからはぐれないように。

 汚れたマントにくるまって、大きな岩に背中をあずけ、少年は満天の星空をながめた。ちらちらと瞬く光が今にも天からこぼれてきそうで、もしそうなったら自分が誰よりも先に受け止めよう。そんな想像を楽しみながら、いつものように長い夜を乗り切ろうとしていた。

 その夜はやけに空気が澄んでいて、羊たちはおとなしかった。
 ベツレヘムの町は、いまごろにぎわっているのだろうか。少年の心にふと、冷たい影が差した。このところ、皇帝が住民登録を命じたとかで、たくさんの人びとが町へ繰り出し手続きをしている。
 でも自分たち羊飼いは、その中に含まれていないのだ。

 自分は星空が大好きだ。羊たちも好きだ。父も母も好きだ。兄や妹も好きだ。だけど町の人びとは、自分たちを蔑んでいる。安息日に休むことができないから。そして、礼拝に出席して神をあがめることもしていないからだ。
 羊たちの世話は1日だって休むことができないのだから、どうしようもないのに。

 町の人びとは、羊毛からつくられた絨毯や服は好んで用いる。だけどその羊毛は、もとは羊たちのものだろう? それなのに、羊たちの世話をしている羊飼いのことを、彼らは見下しているんだ……。

 いつの間にか、少年の目には涙が滲んでいた。
 視界は潤んで、大好きな星の光も、滲んでくっつき合ってぐちゃぐちゃになった。
 こんなこと、考えていたってしかたがない。
 彼は鼻をすすり、両手で目をぬぐい、まばたきを何度かして顔を上げた。
 息をのんだ。
 目の前に、何千個もの星が天からこぼれてきたみたいに、まぶしい光が輝いていた。まぼろしを見ているのだと思った。
 その光に包まれていると、静かで、あたたかくて、なぜかとても安心した。

〈今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった〉

 光の中から声が聞こえたような気がした。知らない言葉だったけれど、そう言われたのだと思った。意味が心に届いてくる、そんな感じだった。
 静かで優しい光だった。静かなのに、どんな楽器とも違う歓喜の音楽が鳴り響いているみたいだった。光自体が音楽で、身体と心に沁みてきて、芯から一緒に震わせる。そんな不思議な感覚だった。

 少年は泣いていた。さっきの涙とは異なる、喜びの涙だった。

 気がつくと、何事もなかったかのように夜空の星が輝いていた。
 まばゆい光はどこへ行ってしまったのか。辺りを見回しても、もうどこにも見えなかった。
 ただ、それは消えてなくなってしまったのではないのだと、少年には思えた。目には見えなくても、あの光は自分の中に確かにある。あり続けているのだと、信じることができたのだ。

 仲間たちが起きてきた。
「見たか」
「聞いたか」
 口ぐちにささやいて、やがてみんなで確信した。それぞれが、それぞれの形で同じような体験をしていたのだった。
〈今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった〉
 それが具体的にはどういうことなのか、説明できる者はいなかったけれど、ベツレヘムで何か特別なことが起こったのは確かだった。さらにはとびきり素敵な、喜ばしい出来事だということも。
 自分たちは、その知らせを受け取ったのだ。

 その出来事に名前をつけるなら、「希望」という言葉になるだろう。
 羊たちも起き出して、せかすように足踏みを始めた。

「行こう、ベツレヘムへ」
「その出来事を見に行こう」
 羊飼いと羊たちは、町へ向けて歩きだした。小さなランプの灯りが頼りだったが、夜の闇に不安を覚えることはなかった。
 星の光が彼らの行く手を導くように照らしていた。
 さらに言うなら、ひとりひとりの胸の中にも、静かな光が宿っていた。だから、恐れは感じなかった。
 間もなく彼らは、ベツレヘムの町はずれの馬屋の中で、生まれたばかりの赤ん坊を見るだろう。その子の若い両親と、馬屋にいる家畜たちとともに、希望の誕生を祝うだろう。

Merry Christmas!

「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

ルカによる福音書2:14-17 新約聖書 新共同訳


――希望のみ子の降誕を祝うこの夜から、
  私たちひとりひとりが、平和を選び取っていけますように。
  すべての人が、愛に包まれますように。

◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから
snafu_2020さんの作品を使わせていただきました。
ありがとうございます。


この記事が参加している募集

眠れない夜に

ありがとうございます。みなさまのサポートは、詩や文章を生み出すための糧として、大切に使わせていただきます。また、お仕事のご依頼はページ下部の「クリエイターへのお問い合わせ」からお願いします。キリスト教メディアの出演・執筆依頼も歓迎です。