心で見なくちゃ……星の王子さまが、ますます好きになりました ~ルドルフ・プロット『「星の王子さま」と聖書』

 noterの土屋きしょうさんの記事を読んで、ルドルフ・プロット著『「星の王子さま」と聖書』(パロル舎)の存在を知りました。

↓こちらの本です。

↓そして、土屋きしょうさんの『星の王子さま』に関する記事はこちらです。現在はどちらも前半が無料公開で、後半はマガジン購入者限定となっています。(当初は全文が無料公開されていて、私はそのときに拝読しました。素敵な本のご紹介と、興味深い記事をありがとうございます!)


 サン=テグジュペリの名作『星の王子さま』は、昔から大好きな本です。たしか高校生のときにはじめて読んで、大泣きしました(笑)。以来、「この本が私の人生の〝バイブル〟だ」と思っていたほど。当時はまだクリスチャンではなかったので、聖書よりも『星の王子さま』を生き方の指針にしていたのですね。ちなみに、いまでも読み返すと涙が滲んで、うっかりしていると泣きそうになります。

 その『星の王子さま』と、聖書との関連について、キリスト教の信仰的な視点から書かれているのが本書『「星の王子さま」と聖書』です。著者は、1963年に来日し、日本で活躍されているカトリックの神父。

 これはぜひ読みたいと思い、はじめは図書館で借りました。すると、とてもいい本で、この先もたびたび読み返したいものだったので、古書で探して購入しました。版元のパロル舎はもうない会社ですが、幸い古書はいまも流通しています。

 まず「はじめに」で、私はサン=テグジュペリが幼いころから身近に聖書の物語に親しみ、イエズス会の学校にも通っていたことを知りました。

 さらに、著者はこう語ります。

 こんなわけですから、サン=テグジュペリが心を傾けて書いた「星の王子さま」に、聖書の教えや思想や道具立てが色濃く反映していても、当然といえば当然でしょう。
 しかし事実はそうであるにもかかわらず、聖書が常識となっているとは言えない日本の読者の方々には、そのことは必ずしも気づかれておらず、そのためにこの書物の本当の意義や味わいが十分つかみとられていないということはないか、――そう私は考え、少しでもそれに対してお役に立てることならばと願ってこの本を書き始めたのでした。
(ルドルフ・プロット『「星の王子さま」と聖書』より)

 本編では、聖書と『星の王子さま』を行ったり来たりしながら、王子さまの心、飛行士の心、そしてイエス・キリストの言葉に触れていきます。聖書も『星の王子さま』も、必要な箇所は引用されているので、それらを別に開かなくても、内容を理解して読み進めることができます。
 やわらかい語り口調で書かれていますから、幅広い読者にとって読みやすい本だと思います。カトリックでもプロテスタントでも、ノンクリスチャンでも、とくに『星の王子さま』がお好きな方にはおすすめしたいです。

 全編を通して感じたのは、ルドルフ・プロット神父は『星の王子さま』が大好きなんだなあ、ということ。そして、もちろんイエス・キリストへの愛がそれを支え、何倍にも豊かなものにしているのだなあ、と。

 イエス・キリストの言葉について、こんなふうに語っている部分がありました。

 前にも書いたように、この言葉を「理解しよう」と思えば、「心で聴く」ことが必要です。その「理解」は、約束してくださるイエスを受け入れ、信じ、愛する所から生まれるのだと思います。
(同)

 深く共感します。

 日本でキリスト教や聖書について出版されている本は、全般的に、知識として頭で理解することを前提としたものが多いように感じます。
 でも本書が言うように、ほんとうの「理解」はまず、信じて愛するところから始まる。そういう角度からあらためて聖書に触れてみると、頭で理解しようとしていたときとは異なるものが見えてきて、「ああ、ほんとうはこういうことを言っていたんだな」と腑に落ちる。つまり、心で納得できる。それが「心で聴く」「心で見る」ということなのではないかと思います。

〝かんじんなことは、目に見えない〟のですから。

 本書を読んで、『星の王子さま』がますます好きになりました。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、HanaKokoroさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。


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