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つぶやき

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毎日のつぶやきのまとめ ブログ記事にする前の、気づきの記録
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#毎日note

「パートナーとは運命共同体ですね」
「そうとも言うな」
「喜びも悲しみも分かち合えるよう、隠し事なく何でもオープンにしたいんです」
「それはやめた方がいい」
「なぜですか?」
「いずれお互いを傷つけ合うことになるからだ」
互いの境界線を尊重し、相手の領域に踏み込まないことが大切だ

人生で手放したいもの
それは、善悪の判断

それは正しい、あれは間違ってる
私は正しい、あなたは間違ってる

善悪の判断をすると、人や物事を裁くようになり、正しくないものに対して怒りを覚える
争いごとはこうして始まる

正しいことよりも、自分の心が喜ぶ楽しいことに意識を向けよう

人生で手放したいもの
それは、他人の機嫌取り

他人の顔色を見て、自分の行動を決めていないだろうか
人の感じたものはその人だけのもの
それを他人が何とかしようとするのは失礼だ

他人の機嫌を取るのは、他人の感情の責任を負うこと
自分の機嫌は自分で取り、他人の機嫌は放っておくに限る

今日は5歳の娘のチアダンス大会

まだ始めて半年経たないので、そんなに上手に踊れない
それでも、今日は初めて大会に参加する

どうやらこのチーム、全国大会を狙うらしい
「できそう?一回見せてみて」
「本番までのお楽しみ!」
娘は笑顔でそう言うが、客席の私はドキドキが止まらない

「いじめられている子を見るともどかしいです」
「どうしてだい?」
「怒っていることを言葉や態度で示せばいいのにやらないからです
いじめられる側にも問題があるんです」
「それは被害者に言う言葉ではない」
あなたにも問題があるという気づきを与えようとするのは、第二の加害者がすることだ

人生において手放したい感覚
それは、優越感
「あの人よりも優れている」
優越感は他者との比較により生じる
優越感を持ちやすい人は、劣等感も感じやすい
上か下かの序列で価値を決める
劣っている人を見下してしまうが、自分が見下されているとも感じやすい
優越感より心の欲求を大切にしよう

人生で手放したいもの
それは自己否定

他人の素晴らしいところを見つけては「自分はどうせダメなんだ」
「自分は同じようにできない」
と自己否定してはいけない

自分とずっと一緒に寄り添ってくれるのは、他でもない自分自身
大切な友を励ますように、自分だけは自分の最高の味方でありたい

小2息子のブームはニンジャパーク
そこにはテレビ番組SASUKEさながらのアクティビティーがあって、
そりたつ壁やスパイダーウォーク、クライミングができる

子供達だけで楽しめばいいものを
「パパもやってみせて」と無茶ぶり
数分やっただけで腕が震えてる
子供に付き合うものじゃない

「成功するにはどうしたら良いのですか?」
「成功者の真似をすれば良い」
「全く同じように真似をしたら、自分らしさがなくなってしまうと思います」
「自分らしさとはそんなものではない」
どんなに真似をしようとしても、違いが出て来るのが個性
自分らしさとは、自分の内面から滲み出るものだ

自己受容も他者受容も
感じている感情はそのまま否定せずに受け入れることが大切だ

感情を受け入れるとは、生じた感情を深く味わい尽くすこと
それは存在そのものを受容することになる

だが、次の二次感情は味わってはいけない
それは本来の感情である一次感情を受け入れないためのものだから

人生で手放したい感覚
それは、義務感

「〜ねばならない」「〜べきだ」という義務感は、ときに自分の心の欲求を抑えつける働きをする

責任感が強い真面目な人ほど、これを強く持っている傾向がある
正しくあることに固執すると、人間関係にトラブルも起きる

義務感を手放して心軽く生きよう

「甘やかす」と「甘えを受け入れる」の違い

子供のありのままを認めて受け入れるとは、何でも思い通りにさせることではない

子供の要望を何でも受け入れるとしたら、それは甘やかしだ
甘えを受け入れるとは、思い通りに行かなかった子供の悲しい気持ち、切ない気持ちに寄り添い共感することだ

2月といえばバレンタイン
毎年なる早で帰宅しているが、今年は終電帰宅
(今年はどんなチョコをくれるんだろう?)
帰宅して目にしたのは…
グミやカラムーチョをコーティングしたチョコ
味覚音痴かと食べるのを躊躇するが、残すわけにはいかない
なぜなら「パパ大好き」の手紙が添えてあるから

「うちの子は不登校なんです
自己肯定感が高まれば学校に行けるんじゃないかと思って、その子の辛い気持ちを受容してあげてるんです
それなのに、いくら受容しても行けるようになりません」
「それは本当の受容ではない」
受容とは感情を取り除く目的でするのではなく、それ自体を受け入れることだ