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看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(3)

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平成22年(2010年)2月12日(金)
 
あれから、33年年間がたっていた。大学を卒業してすぐにとある官公庁に勤務し、42歳になっていた。僕は結婚もせずに、父一人子一人の生活をしていた。話すと長くなるが、僕はカトリックの洗礼を受けていた。
僕も中年になったがお父さんも74になっていて、お互い食事には気を付けるようになってので、食事はなるべく作るようにした。とろが最近僕が作った食事を残すようになった。僕は面白くなかった。何か面白くないことがあって、わざと僕の作った食事を残してるかと思った。
そんな時お父さんは僕に尋ねた。「哲也、ちょっといいか?」
僕は不機嫌にこたえた。「何?」
[お父さんガンかもしれないんで、いっしょに病院に来てほしいんだよ。」
僕は青ざめた。いつでもいいから一緒に病院にいくからと伝え、その後深い後悔に打ちひしがれた。お父さんはガンで食事ができなくて残していたのだ。それなのに僕は不機嫌になってお父さんに冷たい態度をとっていたのだ。
ただ、まだガンと決まったわけではない。ガンじゃないかもしれないと期待しようと思っていた。
 
2月16日(火)
 
お父さんとともにGクリニックにいって先生に話しを聞きに行った。やはりガンがあるらしいので、T病院に紹介状を書いてくださったので、そこで手術かどうか相談してください、といわれた。G研はどうかな、と思ったが、それだと時間がかかるんで、T病院だと、早くに対応してくれるとのことだった。
僕はお父さんのメンタルが気がかりだった。しかし、特に落ち込んでいるようには見えなかった。父一人子一人で育ててもらったので、今度は僕の番だと思った。僕が全力で支えていこうと思った。
 
2月17日(水)
お父さんと二人でT病院に行って外科のY先生にお会いして、治療をお願いした。「数週間後に入院できるように手配しておきます」と言っていただき、特に検査とはせず帰ってきた。

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