下河哲也

東京生まれ。19年の公務員生活の後、文筆業へ。noteでは介護の経験をつづった自伝的小…

下河哲也

東京生まれ。19年の公務員生活の後、文筆業へ。noteでは介護の経験をつづった自伝的小説「看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~」を連載中。

マガジン

  • 寛解

    主人公が最悪な状況となり、もがき、そこから脱出するまでの物語。

  • 看取り4~緩和ケア

    緩和ケアに移ってから看取りまでの話しです

  • 看取り3~パクリタクセル

    父の2度目の抗がん剤でした。

  • 看取り2~シスプラチン、TS1

    父が最初に投与された抗がん剤でした。

  • 看取り1~プロローグ

    子供のころ母と死別したときのことを元に書いてみました。

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自己紹介

私は53になりました。 大好きだった両親がなくなったのは、母が35歳、父が75歳。 私は、8歳と43歳でした。 父が生きているときは全然考えていなかったけど、母が死別し、兄弟姉妹もいない、つまり父と死別すると、私は天蓋孤独になるのでした。それまでの経緯がnoteに連載した「看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~」です。 それから、何もかたまらなくなってしまって、19年務めていた公務員の仕事をやめてしまいました。それからの転落劇があるのですが、それは、2作目の小説にま

    • 看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(最終話)

      第1話へのリンク 前話へのリンク 3月11日(金) 昼休みに病院に行く。寝ていたのを起こしてしまい、「起こして悪いね」と言ったら、「家族なんだから」と言って僕を慰めてくれた。しゃべるのもつらそうなので、「夜また来るよ」と言って職場に帰ったのだが、午後大地震が起こった。ものすごい揺れだった。 お父さんは大丈夫だろうか?心配だったが、その日は職場のみんなで職場に泊まり込み、非常時の業務をしたので、病院には駆けつけられなかった。 夜にナースステーションに電話すると、変わりないと

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      • 看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(23)

        第1話へのリンク 前話へのリンク 3月6日(日) 日曜のミサに預かってからH神父様に「病者の秘跡」という儀式をしていただいた。最初は病院までタクシーでお連れしようとしたら、神父様は気を使ってくださって電車で行こうとおっしゃったので電車で行った。 到着すると、神父様はお父さんに話しかけられたが、お父さんはぽかんとしていた。僕が神父様に「父は耳も目も悪くて」というと、病者の秘跡を授けてくださった。司が終わって、神父様を見送ろうとすると、神父様は、「道は分かりますので、下河さん

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        • 看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(22)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 3月2日(水) お父さんはいきなり夜中の12時半頃から栄養剤を投与しだした。「ゆっくりと点滴しないと胃が痛い」と言っていた。時間を勘違いしたらしい。いつもと様子が違うので心配になり、僕は布団をリビングに持っていて寝た。6時前にみてみると栄養剤の量ほとんど減っていない。止まったのか自分でとめたかわからない。「胃が痛いので(栄養剤は)捨ててくれ」といった。昨晩も栄養剤の投与はできなかったようだ。痛み止めのオキノームを飲ませてたら、少し吐いた。

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          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(21)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 2月25日(金) 栄養剤もシャワーも全部一人でできた。今日は暖かかったが、「散歩にいく体力はない」と言っていた。 2月26日(土) 僕が起きるよりも早くから栄養剤をしたようで、6時半ころ全部終わった。ケアマネのTさんたちが16時半に来られたので、その前にシャワーも済ませた。お父さんはTさんたちに、「目が見えなくなったら、哲也に仕事辞めてもらって・・・」と言ったら、Tさんたちに反対されていた。僕は黙っていたが、やめる覚悟は決まっていた。

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(21)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(20)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 2月1日(火) お父さんが介護保険を11月までしか払ってないのを知って、僕はちょっと怒ってしまった。振込用紙をもらったので、明日払って来よう。味噌汁を飲みすぎたのか嘔吐した。しゃっくりがよく出る。 2月2日(水) お父さんは自分で髪を切った。でも変になってないので驚いた。寒いので外出してない。昨日のように無理に食事してないので、様子は安定している。 2月3日(木) 昨日より調子はいいようだ。 2月4日(金) 普通。久しぶりに散

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(20)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(19)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 1月1日(土) 新しい1年を迎えられて感謝。体調は普通だけれども、普通であることが実はものすごく幸せなことなのだと痛感する。 1月2日(日) 一緒に散歩した。途中で、「僕仕事辞めるからね」と言ったら、すこしうれしそうな、当惑したような表情をした。 1月3日(月) 声がでないといっていた。体力が随分落ちたような気がする。 1月4日(火) 胃ろうが漏れてしまい、栄養剤が外に漏れてしまったので、明日T病院に連れて行くことになった。

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(19)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(18)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 12月1日(水) パクリタクセル3クール目の3日目。O先生から「元気そうでよかったです」と言っていただいた。足取りもかなり良い。 12月2日(木) 頬の赤みがまた出ているが、調子は良さそうだ。 12月3日(金) 頬の赤みがとれていた。 12月4日(土) 競馬新聞を買ってきたら、一生懸命読んでいた。 12月5日(日) 近くのスーパーに一緒に歩いて行った。牛乳とプリンを買って、帰ってから食べた。 ... 12月6日(月)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(18)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(17)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 11月1日(月) 不思議と副作用はない。調子は良さそうだ。 11月2日(火) 昼電話したときは声がかすれていたが、夜は調子良さそうだった。 11月3日(水) 調子は良い。栄養剤を始めるのが少し遅かったようで、終わるのも遅くなったようだ。 11月4日(木) 3クール目。病院は連休明けだからすごく混んでいた。30日分の薬をもらったので、帰りが大変だった。当然タクシーで帰宅。 11月5日(金) 先週はみられなかった頬の赤みが今日

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(17)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(16)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 10月1日(金) 日中電話したときの声が弱々しかったが、帰ると顔色は良かったので安心した。 10月2日(土) 14時ころ車椅子で散歩したが、帰ってきて元気だったのか団地の廊下を歩いて一周した。今日は調子良さそうだったが、明日あたり調子を崩すか? 10月3日(日) 車椅子で散歩してたところ、父をちょっとだまして教会に連れて行った。私の属しているお祈りの会の集まりがあったので、そこに父を少し連れて行った。父はちょっと渋ってたが、ちょっ

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(16)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(15)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 9月1日(水) 栄養剤を変えたのだが、冷たくて胃が痛いようだったので、温めてもらったら痛くなさそうだった。顔色は良い。声のかすれも昨日よりいい。「もう病院は飽きたな」といっていた。 9月2日(木) 抗がん剤の点滴。やはり今度の栄養剤は温めても胃が痛むので、元に戻してほしいといったら、O先生が、明日から違うのを試してみようと言っていた。やはり声がかすれる。 9月3日(金) 新しい栄養剤は粉末を水に溶かすタイプで、胃も痛くない。やり方

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(15)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(14)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 8月18日(水) 引越しの時頼んだ介護タクシーで病院まで行った。O先生から説明があって、点滴は明日から、今日はレントゲンと心電図をとる、とのこと。点滴がないので、僕は昼頃帰った。今日は調子良さそうだったが、夜電話をもらったとき、若干声がかすれていた。検査でつかれたのだろう。 8月19日(木) 今日から新しい抗がん剤、パクリタキセルの使用となる。これまでの副作用か、若干脱毛したか?声もすこしかすれているけどそんなに調子が悪いわけでは

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(14)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(13)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 8月1日(日) 体調が戻らない。牛乳を飲んだだけ。いろいろ昔話をした。昔住んでいたアパートの話とかお母さんの話とか。お父さんの兄にあたる方に電話をしたが、いろいろ感慨深いところがあったようで、少し涙ぐんでいた。「治るまで2,3年かかるのかな?」と言っていた。お父さんはあきらめていない。僕もあきらめない。 8月3日(火) 眼科で検査を受けたが、白内障ではなく、抗がん剤の副作用ではないかとのこと。来月また検査する。帰りはとてもつらそうだっ

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(13)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(12)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 7月18日(日) 散歩は少ししかできていない。本人も体力が落ちた、と言っていた。右目の目やにがやけに多いのが気になる。 7月19日(月) 海の日。調子は戻ったようだが、食欲がない。僕が昼寝をしてるとき、散歩にいってきたようだ。 7月20日(火) 今日も昨日くらいの調子。やはり食欲がない。僕は牛乳と饅頭を買ってきた。父はダイエーで水を買い、1000円の床屋に行ってきてだいぶ短髪になった。 7月21日(水) 調子はいいと言っていた

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(12)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(11)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 7月1日(木) 朝から声が若干かすれている。昼電話したが、調子は悪そうだった。カボチャのスープとカリフラワーのスープを買った帰った。僕が帰宅すると、座っているのも辛そうだった。 7月2日(金) 朝左目がよく見えないと言っていた。午後半休をもらって、練馬の眼科に連れて行った。白内障があるが手術するほどではないそうだ。眼底出血があるとも。抗がん剤の影響かもと。夕方少し見えやすくなったようで安心した。 7月3日(土) 僕は半年ぶり位にブ

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(11)

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(10)

          第1話へのリンク 前話へのリンク 6月20日(日) 今日も少し調子が悪そう。朝急に競馬をしたいというので、僕は少し怒ってしまった。教会から帰ったのは1時半くらいなので、結果的に競馬の受付に間に合った。一緒にレースをみたが外した。夜、急に葬儀のことを心配したのか、僕に不安を話してくれた。「(ケアマネの)Tさんに頼むといいよ」といっていた。僕は返答に困ったが、「教会で全部やってくれるから心配はいらないよ」と話すと、わかったかわからなかったかは不明だが、安堵したような顔をしてい

          看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(10)