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7月25日ひとりバンド喫茶@三国ヶ丘FUZZ
バンドで出演するつもりが、都合あって私ひとりで演奏することにした。アコースティックギターの弾き語りである。ライヴハウスでひとりで歌うのは初めてのこと。会場入り、リハーサル、本番、をひとりでこなす。スタッフの方がやさしくて嬉しかった。本番ぎりぎりまで何を歌うか決まらず、結局普段バンドで演っている歌の他にも色々と歌った。演奏を終えて感じたのは、ひとりだと、リアルタイムで内向的になっていくということ。言
もっとみる7月23日バンド喫茶@京都GATTACA
京都のライヴハウスからお呼ばれして、バンドの演奏をした。ガッタカッ!
昨日は和歌山、今日は京都へ。車があって良かった。ブンブンするのは楽しいから。「JPオルタナティブ」という名のイベントで、楽屋でオルタナティブって何やろ?という話になり、色々調べたり考えてもよく分からず、おれたちは果たしてオルタナティブなのか…?となった。呼んでくれたブッキングの方は音源を聴いて、京都のバンドだと思ったらしい。大
7月20日『マンザイスリーピンネタスリー』
我々ヤングと、ボニーボニー、村橋ステム、POØPY藤原さん、の4組でネタを3本ずつ演るライヴ。計12本もぶっ続けで見るのは結構大変じゃないかなと思う。個人的には、最近色々また舞台もあったし、漫才3本?はぁ、マジでめんどくさいな、と思った。思ったのだから仕方無い。あんまり普通にただ良い漫才を3本するのもつまらない、かといって、テキトーに流すのも嫌、なので、こうしたライヴでなければ出来ないことを考える
もっとみるバンジージャンプを引き止める
「とある芸人が多額の借金をしていて、その禊にバンジージャンプをするというテレビの企画があり、自分はその見届け人として出演することになった。その芸人とは、会ったことはあるけど喋ったことは殆ど無くて、何故自分が選ばれたのかよく分からない。バンジージャンプで借金が無くなるわけでも無いから、企画としてもよく分からない。本番前にプロデューサーに呼び出される。実はこれはテレビの企画では無くて、奴の借金があまり
もっとみる7月19日『ふれくるず』
楽屋Aでのユニットバトルライヴ『フレクルズ』であるが、今回は人員が足りぬためバトルにならず、急遽『ふれくるず』というユニットライヴになった。我々はMCとして呼ばれた。
お客は正直少なかったが、ただでさえ平日の夜、来てくれた人たちを笑かしたい、楽しませたい、という気持ちで、自由にネタとコーナーをやる。
終演後にピン芸人のハヤイカガヤイが話し掛けてくれて、二人で色々と話した。もう何度も共演している
7月14日『ヤングのきまぐれベストフレンドスペシャル』
月に一度のトークライヴが記念すべき50回を迎えるので、スペシャルを開催した。満席御礼!前半は新作漫才を約1時間、前回お客から募集したお題を元に6本の新作を演った。ちなみに採用お題は「ポール・スミス」「マッチングアプリ」「漫才虎の穴」「お祭りの屋台」「聖徳太子」「チェインオブフールズ」。きっと、採用された人は嬉しかったと思う。いつも『きまベス』では新作漫才をひとつ披露しているのだが、結構な頻度でテキ
もっとみる7月10日『I RASHIKU 狂気爛漫』
沖縄でお世話になった上江洲店長主催のイベントに呼んで頂いた。上江洲さんは元々東京でロフト系列のライヴハウスで働いており、下北沢シェルターの店長をしていた経験などから、今は沖縄outputというライヴハウスの店長をしている。90年代、2000年代の東京における地下のライヴハウスシーンを作り上げてきた一人といっても良いだろう。大阪だとベアーズやココルームといった、関西アングラのゼロ世代と言われるシーン
もっとみる7月9日『ヤングVSにぼしいわし全面戦争〜東京大決戦〜』
東京の街は相変わらず混沌とした様子で、キラキラとドロドロが混じり合っていた。曇り空、蒸し暑くて、人々は汗だくでうなだれながら歩いている。終了した都知事選のポスター看板が撤去されずに放置されていて何となく眺めていたのだが、あまりに気味悪くゾワっとしてくる。色んなことから解放されて、純粋な気持ちのまま、笑って素敵に暮らしたいよね…って思う。西荻にある勤労福祉会館ホールは駅からも遠くて、自分はレンタサイ
もっとみる7月8日『漫才新宿闇修行』
昼から新幹線で東京へ。外はとにかく阿呆みたいに暑くて、汗だくになる。新宿、歌舞伎町はどろどろに溶けている。大久保公園近くの劇場で『漫才新宿闇修行』。出演は我々の他に、ザ・パンチ、LLR、タモンズ、リニア。滅多に共演出来ないような東京のベテラン漫才師たちである。舞台でも言ったが、THE SECONDのお陰でこうしたライヴにも呼ばれるようになった。熟練された漫才を袖で拝見、中でもザ・パンチのアドリブ漫
もっとみる7月5日『青春漫才』
毎年夏にハイスクール漫才というものがあり、高校生の漫才全国大会、甲子園みたいな感じなのだが、今年準決勝進出した高校生漫才師たちによるライヴにゲストとして呼ばれた。我々は高校一年生のときに第一回M-1甲子園(ハイスクール漫才の前身)で関西代表として決勝進出している。それが相方と漫才を始めたきっかけというか、漫才おもろ、とか言って今までずっと続いている。21年前の話である。現役の高校生がまだ生まれても
もっとみる壊れてしまう前にぼくらは
なんかもう暑くて日差しも強烈で、かと思えば雨も降り出す始末だから、もう全部どうでも良くなっちゃう。自分の店のこととか、今度のライヴのこととか、晩ごはんのこととか、全て忘れてしまいたい。裸になって冷たい湖に飛び込みたい。だけど、自分は今日も汗水流して街を歩き、仕事をして、ライヴのことをぐるぐる考えて、晩には鰹のタタキとか食べてる。結局明日もそうするのだろう。
長くて残り25年かと思うと、多分あっと
6月30日『ナイトオブコメディー』
月に一度の主催ライヴ。楽屋のエアコンがまたしても付かず、汗だくの熱気ある舞台となった。今月も、ほろほろになりながらも企画を考えて、皆に連絡したりと、主催としての心は何度も折れかけたが、当日沢山のお客が入っているのを見たら、あぁもっとやりたい、と思ってしまう単純な奴。
企画は「村橋ステムの音ネタクイズ」「説教中にボケよう」。村橋くんが、全部新作を作ってきました、と言ってくれたときの嬉しさ。演歌歌手
6月29日『イタズラ・サイエンス・フィクション』
先月ちょっと熱が出て寝込んでいたときに、布団でうなされながら頭の中でドレミファソラシドのアナグラムみたいな遊びををしていた。ソラ、空、ミレ、見れ、シソー、思想、みたいな感じでやっていたけど大して上手くいかず、余計に悶々として熱が出た。だが、あるとき、ドレミファソラシドは、いろはにほへと、でも表せるじゃん、と思って、そしたら何か閃いた気持ちになったので、ひとりでライヴをしようと決めた。
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