やさしさ

周りの人たちは皆やさしくて、今では私に対して嫌がらせをしてくるような人もいない。ほとんどが穏やかなるやさしさを持って接してくれる人ばかりだ。時にちょっと嫌な感じの人が現れたとしても、目の前からはすぐに消えるし、私は私でそういう人にはちゃんと呪いをかけるので、二度と私の前に現れることも無い。アイツはきっと毎晩のように金縛りにあって悶苦しんでいることだろう。そうして、今ではもう、見渡せばやさしい人だらけになってしまった。私の喉が痛いときにのど飴をくれるような、そんなやさしい人ばかりである。なので自分もやさしさを持って誰かと接しようと思って、たとえつまらない話題でもなるべくにこやかに相槌を打ったり、悩みを相談されたら神妙な顔つきで頷いたり、していた。もしかしたら逆で、「シマナカさんがやさしいから、皆やさしいんですよ」とか言う人もいるかもしれんが、それはきっと無い。なぜなら私はすぐに邪なことを考えるヨコシマさんである。暴力的かつ性的眼差しで女性の口元を凝視したり、嘘に嘘を塗り固めて無垢なる田舎の人を欺いたり、誰彼構わず毒ガス撒き散らして暴れたいと企んでいたりする。現に、周りがやさしい人ばかりであるこの状況が、どこか退屈でつまらないとさえ思っているのだ。唯一やさしくないのが相方で、たとえば私の体調が悪くても心配など一切しないし、一緒に歩いていてもズンズン勝手に先に行く。ライヴを勝手に決めてはこちらに投げっぱなしてくるし、舞台上では普通に暴力、蹴り飛ばしたりしてくる。ちょっと色々と欠けている人なので、「周りの人たち」からは除外していた。

そもそも、穏やかなるやさしさが果たして人を幸せにするのかと問われたらイエスとも限らず、死にたいと願う人を→そんなの駄目だよor息の根を止めてあげるor静観して頷く、どれもがやさしい行為だとすれば、結局その想いは当事者にしか感じ取れぬものだろう。きみは「一緒に死のう」って即答して私に手を差し伸べたから、私はちょっと救われた。

やっぱり孤独で、どうしようもない寂しさを抱えているから、人と会って会話をしたり、ノートに落書きをしたり、舞台に立ったり、するのだろう。その孤独は、時に笑いになったり、怒りになったり、熱情になったり、ロマンチックになったり、愛になったり、する。本当のやさしさとは、決して穏やかなるものではなく、もっと孤独を貫いた先にある、消えない炎のようなものではないだろうか。


何もいりません。舞台に来てください。