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日本の古代の近さと祖先の身近さ


漢文の素読

 明治期では教育の現場で漢文の素読は必須だった、と言われていて、福沢諭吉や夏目漱石等は素読教育を受けていたそうですが、芥川龍之介はこれを経験していないので、この時期に教育とリテラシーの乖離、格差が生じたといわれています。

 個人的にも、古本屋で昭和初期に翻訳されたベルクソンなどが100円くらいで売られているのをみかけて買ってきたものの、漢字が読めず、放置したまま、という経験もあって、どんどん識字能力を落とされているなあと思います。

ヨーロッパの古代の遠さ

 かなり前からヨーロッパでもラテン語が必須ではなくなり、リテラシーの低下を危ぶむ声があがっていましたが、研究者になるのでなければ「古語」は必要ない、と考える人は増えていると思います。それでも古典を知っていることの意義を認識している人は多く、教養といえば「古典」を学んでいること、という共通認識がなくなることもないだろうと思います。

 ヨーロッパで古典といえば、古代ギリシア語とラテン語の文学をいう。
この二つの言語は現代の言語とは隔絶されていて、そのままでは到底読むことができないし、意味をくみ取ることもできない。
言語の骨格からして違っているのだ。
<中略>
 ヨーロッパ、とくにドイツでは古典が教育の眼目とされてきた。
ヨーロッパでは、古典を学ぶことが、人格を形成するうえで、もっとも有効だと考えられているからである。

教養脳 『万葉集』福田和也

 福田和也はラテン語を含めて「言語の骨格から違っている」と言いますが、イタリア語、スペイン語そしてフランス語もラテン語系の言葉ですので他の言語と比較するとその近似は明らかで、特にイタリア語、スペイン語はラテン語とかなり近いです。
 ただし、ここでは「古典が教育の眼目とされてきた」点にフォーカスして古典を学ぶ意義をみていきたいと思います。

 ただし、ここで期待されているのはギリシア古典のなかのソクラテスやプラトン、あるいはラテン文献のなかのキケロやマルクス・アウレリウスといった哲人の言葉や思想に触れることによる良き影響というものではない。
 それよりも重要視されてきたのは古代の遠さである。
 いかに古代の生活が、近代のヨーロッパ諸国の現実から遠く、無縁であるかということである。

上掲書

 この認識が正しいとしたら、日本とは少し異なる状況ではないかと感じます。たしかに日本でも古典は必須ではなくなり、識字率を落とされる教育がすすめられていますが、遠く、無縁なものという認識はないのではないでしょうか。日本で古代、中世を遠く、無縁なものとは感じていない、ということを福田和也も述べています。

 日本の古典はけして現在の日本の言葉とその情緒、表現、気分と隔絶していない。きわめて根強い、詩情において一貫したものがあって、それが日本の文学を形作っている。
 つまり、日本の文学は『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』の時代から一貫して日本文学として存在しているのである。
 あたりまえだと思われるかもしれないが、これは大切なことなのだ。

上掲書

先祖のおまつりと神話

 私たちの古代からつながっている、この一貫性はどのようにして生まれ現在までつづいているのでしょう。

 私たちはなくなった自分たちの祖先を身近に感じて生活しています。
お盆やお彼岸など、祖先を家に迎えてともに過ごす機会が何度もあります。

 日本人は、古来、人は亡くなってもこの世にとどまって、いつでも子孫を見守ってくれている存在だと考えてきました。だからこそ、日本人は祖先をおまつりしてきたわけです。現代に生きる我々も共有する考え方でしょう。

先祖のおまつりについて 神社本庁

 このような生活を私たちたずっとつづけていて、いつも「子孫を見守ってくれている」という感覚は「祖霊」という言葉の意味にも残されています。

 古来日本で「ミオヤノタマ」「ミオヤノミタマ」と呼びならわしてきた祖霊の概念では、子孫に害悪をもたらす祖霊はあり得ず<以下略>

祖霊 Wikipedia

 またお祭りについては次のような話もあります。

 神社の日々のお祭りは
"神話の再現"と言っていい。

 例えば、
宮中の新嘗祭では
御神霊のこもった新穀を、
采女が神前に供えます。

 これはアマテラス大神が
ニニギの命に斎庭の稲穂を
授けられた場面を再現しているのでしょう。松浦光修

 神話は歴史と区別するような”教育”が一般化していますが、クレタ島の王ミノスや、トロイ戦争のアガメムノン王は、ギリシア神詰のゼウスの子孫とされていますし、また古代ゲルマンでも王の家系は神様とつながっていたとされています。このように神話が現在の実在する王家につながっている状況は日本だけではないのです。

 日常において、いつも祖先とともに暮らしている感覚は、私たちに祖先の感性や想いといったものを変わらず、同じものである、という認識を醸成し続けているのではないでしょうか。

万葉集の率直と寛容

 さて、教養脳 『万葉集』で福田和也が万葉集から取り上げている歌がいくつかあるのですが、その中の一首に次のようなものがあります。

 遠妻と手枕交へて寝たる夜は鶏がねな鳴き明けば明けぬとも

 「遠妻」とは、七夕の織姫のことで、要するになかなか会えない妻のたとえなのだろう。「手枕交へて寝たる」は、男が女の頭の下に枕代わりに腕を貸している。
 「鶏がねな鳴き明けば明けぬとも」というのは、朝よ来ないでくれ、といっているのではない。来ないほうがいいのだけれど、そうはいかないことはよくわかっている。だから、朝が来るのは仕方がないけれどせめて鶏は鳴かないでもらたい、そうすれば寝ていられるから、という(意味)なのだ。

上掲書

 なかなか会えない妻、というのはどういう状況なのかとちょっと考えてしまいますが、地方へ赴任した官吏とかなのでしょうか。

 追記:画像は以下のWikipediaのものを使用しています。

 追記2:万葉集ナビ


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