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心から、応援したい恋がある。

 その恋は、幼子おさなごに初めて芽生えた、おとぎ話のようなものではなく。
 人生という旅の終焉でようやく見つけた、運命的なものでもなく。

 ただただ、一人の少年の人生をこれからも守り続けてほしい……
 そんな切なる願いを込めたくなる恋なのだ。



 少年は、毒親と言ってしまっても過言ではない父親と、同じく毒親と言われてもやむをない母親の間に生まれた。

 その夫婦にとっての、一人息子である。

 少年の両親は、何故これまで結婚生活を続けてきたのか、他人からは理解できないほど不仲だ。
 家の中で顔を合わせれば、すぐに口汚くののしり合い、暴力行為へと発展することも日常茶飯事。
 警察を呼んだことなど数えきれず、管轄の警察署内では有名な家庭のようだ。

 
 少年の父親は、酒を飲んでも飲まなくても、とにかく家の中では暴言を吐く。
 荒々しい言葉で少年が幼い頃から叱咤し、時には力づくで自分の言うとおりにさせた。
 少年の目の前で、母親に対して高圧的な態度や暴力で威嚇をすることも、もはやよくある日常の光景となっていた。

 父親は、金銭的にも口うるさい。
 一応仕事はしているものの、二言目には自分は金がないと声を荒げ、生活費の多くを少年の母親に払えと強要した。
 その裏では、自分名義の預金口座にしっかりとお金をたくわえているうえ、50才をとうに過ぎているのに、自身の母親からいまだにお小遣いをもらっている。
 父親の口座に振り込まれているはずの児童手当金も、一体どうなっているのかわからない。

 さらには、少年の母方の親戚に対するふるまいも、目をおおいたくなるものばかり。
 少年からすれば母方の祖父に対し、金がないからといって平然と援助を頼む。当然返す気などさらさらない。
 また、母方の祖母が孫である少年のためにと買ってきたおやつを取り上げて、自分の腹へと好き勝手に落とし込む。
 少年がその祖父、祖母や親戚からお小遣いをもらったなんて知ろうものなら、すぐに取り上げてしまう。

 親孝行のつもりなのか、自分の栃木の実家に、時折泊まりがけで少年を連れてゆく。
 そこでもまた、少年がいる前で、自分の父母に対して少年の母親の悪口をあることないこと散々言いふらすのだ。


 一方の、少年の母親。
 父親から暴言を受けると、つい真っ向から全力で応戦してしまう。聞き流したり無視をすることも、過ちを決して許すこともできない、真面目と言えば真面目な性格なのだろう。
 正しい事を言い返してはいるのだが、父親の激しい言葉には対しては、彼と同等の語彙力をもって返すのが常だった。
 腕力に関しては、どうしても女性の方が弱い。少年の父親から身を守らねばならない場面も多々あった。

 一人息子である少年のために、彼女なりに誠心誠意尽くしたつもりだ。
 ただし、一生懸命がすぎる部分もあった。
 他の子供達が、肌着と長袖Tシャツ1枚でちょうどよく過ごせるような春の陽気でも、息子が風邪をひくからと肌着2枚に厚手のトレーナー、さらに上着をはおらせていた。
 彼女は自分自身を「 馬鹿だから 」と自称する。それは構わないとして、だから息子も馬鹿だと困るから、と少年が2歳頃から数年間、知育発達系の塾へと通わせた。
 それでも、小学校に上がってからの少年のテストの点数が100点には程遠いことが多かった。すると、やっぱり息子も馬鹿なのだ、これからどうしたらいいのかとあちらこちらに相談をもちかけていた。
 ある時期は、お金がないと言いながらも、少年に休むまもないほど多くの習い事を熱心にさせていた。

 子供のために良かれと思い、先回りをして過度に手を尽くす。
 言ってしまえば、この程度の母親は特に少なくもないだろう。
 しかし、それが子供本人にとっては煩く息苦しいものであることも、決して珍しくはない。
 母親のお世話そのものがひどい虐待ではないとはいえ、子供としての素直な甘えが少年にできていたかと言えば、おおいに疑問が残ってしまう。

 
 相手の悪口を言うという面では、彼女も少年の父親と変わりはない。
 父親のいないところで、少年に父親や父親の実家の悪口を吹聴する。
 事あるごとに父親を引合いに出し、あなたはあんなふうになっちゃ駄目と言い含める。
 聞いている限りは、確かに少年の父親のような大人になっては駄目だろう。
 ただ、父母の双方から、お互いの悪口をはけ口のようにぶつけられながら育った少年の心境を思うと、やるせないものがある。





 性質が悪いというべきなのか、父母の双方ともに、それなりに少年を思う気持ちがあることに間違いはない。


 父親の方は、少年が小学校に入ってからクラブ活動で始めたバスケットボールを応援し、公園で練習に付き合ったり、公式戦でも練習試合でも熱心に応援に駆けつける。
 少年の友達には、優しく、気さくに声をかける。
 その友達の保護者に対しても同じような態度だ。
 時には、少年と友達数名を引率して遊びにでかけることもあった。
 傍から見ている分には、『 子供思いの面倒見の良いパパ 』にしか見えないのだ。

 
 母親の方は、看護師としてとにかく一生懸命働き、そのお給料で少年の学資保険や塾代、自家用車の税金、ローンなどを支払ってきた。
 共働きでも、家事分担のほとんどが、当然のごとくその母親の負担だ。
 それでも、少年のために、と忙しい中でも母親は手料理をできるだけふるまった。
 少年の好きそうな食事のレシピを見つけては作り、少年も喜んで母親が作ったご飯を食べた。そのおかげもあって、少年の体格は立派に成長している。
 少年にとって必要ではない、過ぎた熱心もあるのかもしれないけれど、彼女なりに精一杯大切な一人息子に寄り添っているのだ。





 年月と少年の成長ともに、少年の父の方の行動は猟奇的になる一方だった。

 少年の母の手料理をゴミ箱に捨てるようになり、自らが買ってきたスーパーの総菜を食卓に並べ出す。
 
 母親が少年に暴力をふるうから、と勝手に少年を連れ出して二人でホテルに宿泊する。

 少年が中学生になった頃から、何か気に入らないことがあると息子に母親を殴れと煽るようになった。
 そして、息子と妻が争う様相を止めることなく、傍で笑って見ていた。

 さらには、対外的に母親を悪者にしようとして、あらゆることが母親のせいだと言うように、少年に強要した。
 少年が通う塾を強制的に休ませ、その理由を、母親が少年と接触をはかったことにより少年が心身不調に陥ったためだと説明していた。

 

 自分の勤務先や住んでいるマンションの管理組合との間でも、父親はトラブルを起こすようになっていた。その多くは、金銭に絡んだもので、些細な先方の不手際に付け込んでは金で解決しようと目論むのだ。

 

 警察沙汰も珍しくないことは先も書いた。
 警察、そして少年が通う学校で、少年の母親は生活費を一切出さず、少年に自ら暴力をふるい、少年を過呼吸などのパニックに陥れている狂気的な存在なのだ、と父親はもっともらしく述べた。
 それを知った母親は当然、激しい憤りとともに反論し、正反対の事情を説明する。
 警察も学校も、どちらの言い分が正しいのか、混乱を極めるばかりだ。

 

 もともと運動神経が良い少年だが、中学生になってから空手を習い始めた。
  
 「 お母さんが暴力をふるうから、自分の身を守るため 」
 少年は友人にそう話していた。

 それを聞いた時、わたしはちょっと不自然に感じた。
 
 その時点で、少年は既に母親よりも立派な体格をしていた。
 そして、過保護すぎるといえ、根は純粋に優しくて自分から人に暴力をふるうような母親ではなかったからだ。


 また、ある時少年は、
「 父親の方がわずかだけど母親よりお金がある 」
「 父親に逆らうと、何が起こるかわからない 」
とつぶやいていた。
 そして、それ以降、彼は父親側につくことを選んだ。
 つまり、子供というまだまだ非力な存在ではどうしようもない状況で、自分がどうすれば最も恐ろしいことにならないかを判断したうえでの対応なのである。

 父親は、息子が母親ではなく自分を選んだことに狂喜乱舞し、母親を一層邪魔者扱いした。
 この父親にとって、この一人息子は、感情のすべてを向けて執着することで、自身の孤独を回避するための必要不可欠な存在なのだ。



 母親を『 敵方 』にまわすこと、それにより生まれるはずの少年の感情は、彼の心の中の何処を彷徨さまよっているのだろうか。
 それとも、もはや様々な思いを押し殺してきたことで、芽生える哀しみも簡単に踏みつぶしてしまっているのだろうか。

 あるいは、母親からの情も重荷で、それはそれで解放されたいという気持ちも否めず、その結果の行動でもあるのかもしれない。




 そんな環境で育ってきた、まだ未成年の少年。

 今を生きる彼の救いは、小学校から中学校まで続けているバスケットボールのクラブ活動と、学年がひとつ下の彼女の存在だ。

 その彼女の家は母子家庭。母方の実家と近居のため、自分の祖父母とも頻繁に行き来があるようだ。


 少年のような環境でなくても、両想いで付き合い始め、うれしくて楽しい気持ちでいっぱいの二人なら、当然出来る限り会いたいと思うものだろう。
 それに加えて、家にいるのが息苦しい少年は、たびたび彼女の家へと足を運んだ。


 二人でいる時間、少年が彼女に、自分の身に降りかかってきたことを、どこまで、どんな言葉で伝えているのかはわからない。

 抗えない日々の中の、『 苦しい 』なんて簡単な言葉では言い表せない気持ちを、一緒に抱えて涙を流しているのだろうか。

 それとも、少年は詳しいことは何も言わずに、ただただその彼女の傍で安らぎを得ているのだろうか。

 

 優しい彼女は、少年を支えて続けている。

 祖父母の家で栽培したトマトやキュウリを、
「 家でご飯と一緒にたくさん食べてね 」
と少年にたびたび手渡す。

 二人が付き合いはじめてから初めて迎えたの少年の誕生日。
 精一杯気持ちを込めて選んだ文房具に、『 ずっと一緒にいようね 』と言葉が並んだメッセージカードを添えて、彼女は少年にプレゼントした。

 彼女は毎日のように、可愛いメモ用紙や学校のノートの切れ端に書かれた小さな文字で、少年にエールを送り続ける。

『 バスケットがんばってたね、
かっこよかったよ 』
『 今日もたくさん笑えますように 』
『 よく眠れますように 』
『 笑顔で一日が終わりますように 』
『 空手で怪我しないでね 』
『 明日も学校で会おうね 』
『 一緒にがんばろうね 』


 安堵の空気の欠片もない自宅の自分の布団の中、大柄な身体を丸めてそんなメモを毎日握りしめながら眠りにつく少年の姿が目に浮かぶ。

 まだまだ幼い少年が、心からの『 安心 』という感覚を知ったのは、きっと、この彼女とこの恋に出会ってからだ。
 彼女といる時間と彼女の存在だけが、今の彼の日常の唯一にして最大の拠り所なのだ。

 この二人が、いつまでもいつまでも一緒にいてほしい。

 恋愛が壊れることも、人生経験になることはなる。
 けれど、この少年がやっと手にした優しくて大切なものを失う必要なんて、果たしてあるのだろうか?

 辛い思いをもう充分すぎるほどしてきた彼なのだ。
 この先は、大切に思える存在と穏やかに笑う時間だけあれば、もうそれでいいはずだ。





 先日、この少年に、高校生になっても部活でバスケを続けるのかと尋ねた。

 彼の答えは、こうだった。

「空手の方を続けながら、
アルバイトをする」


 それは、正しい選択だ。  
 彼は、賢い。

 小学校時代のテストの点数なんて、はっきり言ってどうでもいい。
 幼少期に通った知育系の塾の成果、かどうかはわからないけれど、彼は生きてゆくうえで充分に必要な賢さと判断力を身に着けている。

 父親から自分と大切なものを守るのに充分な腕力と、縛られずに自由に過ごして行ける経済力が必要なのだ。
 彼は、そうわかっているのだ。



 少年が成人するまで、あと数年。

 これまで生きてきた時間と比べたら、あと少しと言ってもいいはず。

 どうにか、乗り越えてほしい。


 おそらく彼は、大人になったら、まず自分だけのスマホを手にするのだろう。
 それはきっと、少なくとも父親とは決して繋がることのない、その時の彼に本当に必要な存在だけが連絡をとれる道具だ。

 そして、父親の抑圧と母親の息苦しくなるような過保護から逃れ、遠く遠く、今の土地ではないところで、あらためて人生を始めてみてほしい。

 願わくば、今の彼女と支え合いながら。



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