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「生き直す」のは難しいけど。

自分語りが許されるのは、よく言われる「ストーリー」がある時だ。
様子が伝わる具体的エピソードは、人の興味を惹きつける話に仕上がる。
そんなエピソードの積み重ねにより、読み手は書き手の人物像を描きやすくなり、親近感が生まれやすい。

note界の街中でモテるのも、「 自分 」をある程度見せている人。
仕事、家族構成、趣味など生活の一部が明らかになれば、読み手は書き手をイメージしやすい。圧倒的に親近感も湧いてくる。

わたしはここで、実生活のことをほぼ書かない。
書きたくないから、書かない。
書こうと思えばネタなんてくさるほどある。
それでも、書かない。


現実の暮らしは、様々な不本意の上に成り立っている。

幼い頃から無意識に植えつけられたネガティブ。
選ばざるを得なかったもの。
採るはずじゃなかった手段。
人と人との関わりの末に生まれた、残念な結論。
だから、やりたいことをやっては来れなかったし、本当の自分で生きてはいないという意識がものすごく根強い。


だから、そんな日常をわざわざここで書きたくはない。
面白おかしいエッセイ風に書いてみたことはあるけど、スキをどんなにいただけても自分がなんだか楽しくない。

『 楽しく書くべきなんじゃないの? 』

そう思ったら、書きたくないことは書きたくなくなった。

ただ、そうは言っても、生きて来て大切なものもたくさん残った。
心から笑えた時間、他の人が知らない感情、忘れたくない時間、この道だから得られた財産、今も決して失いたくない物。

これは、生真面目に生きてきた分、歪みすぎた道にならないよう神様が助けてくれたからだと信じている。



今、noteを書いているのは、「 生き直す 」ため。

最近の一時期、この「 生き直す 」という言葉にやたら惹かれていた。

ああ、生き直したいんだ、わたしは。
不本意な人生だったから、若返るのは無理だから、せめて生き直したい。
そんなふうに切望しはじめた。
投稿記事のタグにも #生き直し なんてつけたりした。

でも、そう思ったからといって、突然日常のすべてが無垢の白いキャンバスに戻るわけじゃない。

すべてを棄ててゼロから積み上げるなんて、できやしない。

今、現実に生きているわたしは、不本意だろうと何だろうと、今まで生きてきたわたしが積み重なって出来上がっていることを否めない。

それを無しにすることは不可能なことで、本当に死んでしまって生まれ変わるしかない。

そう思ったら、生き直すなんてできないと悟った。
というか、だいたい「 生き直す 」って何なんだろう、といったん立ち止まり、あらためて考えてみた。


今まで不本意だったのなら、本当のわたしはいったいどうすれば悦ぶのだろう……?


それは、出来る限り、自由に好きに生きること。
やりたいことだけやりながら、大切なもの、愛しいもの、心地よいものだけに囲まれて生きていたい。

だから、要らないものは捨てたい。
この欲求を手っ取り早く物理的に満たせるのが断捨離でもある。

今まで生きてきて、手放さず残したいものもある。

愛すべきものだけでキャンバスが埋まるように、残す部分は残して、いらない部分は好きなもので上塗りする。

その上書きのためにこのnoteを書いている。
書かない部分の色を、やりたいこと、書きたいことで上書きしながら。
そうして生き続けながら、いつか死ぬ時には「 いい人生だった 」なんて思いたい。

わたしにとって生き直すとは、そんな感じだ。

そのために書いている言葉が少しでも誰かに届いて、心の中のものをそっと動かすきっかけになれば幸いだとずっと思って書いてきた。
自分のために書いてはいるけど、誰かにも伝わってほしいから書いてもいる。


note界の街の中でここにいるわたしには、それくらいの意気込みと暮らし方が、たぶんちょうどいい。



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