【小説】同じ空の保田(やすだ)さん~regret~ 39
人の心が動くとき。
────── 例えば、誰かの声。
例えば、誰かの笑顔。
例えば、誰かの言葉。
例えば、誰かの姿勢。
何でもいい、自分の心の奥底まで届いたもの。
そして、自分の中の扉を叩いたもの。
響き、揺らされ、扉が少し動いて開き、そして微かでも光が射した時。
大切なのは、この光が射していることに気づけるかどうか。
眩しくも、光の向こうを見ようとしているか。
そして、その先の一歩を踏み出すことができるかどうか。
その日の夜。
夕方になって高校から帰ってきた瑞季と一緒に家でナポリタンを口に運びながら、昼間の駅前のカフェでの話を伝えた。
善ちゃんが、わたしと瑞季と親しい間柄になりたいがために、できれば自分を下の名前で呼んでほしい、あだ名でも何でも構わないという、あの件を。
「 え!?ほんとに!?
じゃあ、今からゼンキチって呼ぶ! 」
と瑞季は即宣言する。
「 で、梢ちゃんは結局ゼンキチに色々やってもらうことにしたの? 」
「 うん。信用できそうだし、やっぱり自分で調べてやってみるより、弁護士さんの方が絶対安心だから 」
「 ふ~ん 」
それきり瑞季は黙々とナポリタンを食べ続ける。
ただ、どことなく嬉しそうな様子ではあった。
瑞季の後見人選任など、法律関係の手続を頼む見返りとして彼をあだ名で呼ぶ話になったという経緯は、瑞季との会話では省いた。
父母の離婚後に母親を亡くしてしまい、父親とも疎遠の瑞季に、報酬がどうのこうのとあまりお金に絡む話を積極的にはしたくなかった。
***
─── 腹減ったしついでに何か食ってもいいかな?と善ちゃんが言い出して、結局そのまま二人で昼食をとるに至った。
カフェのランチメニューでオススメはあるかと彼に聞かれ、そこではパンケーキくらいしか食べたことがなかったわたしは、ごめん、ここの食べ物はあまり知らなくて、と正直に謝った。
すると彼は、メニューにあったナポリタンに目をつけ、それを注文することに決めた。わたしも小腹は減っていたので、サンドウィッチで付き合うことにした。
オーダーしたナポリタンとサンドウィッチがやってくるまで、本当に何となく、とりとめのない話を続けた。
いつも忙しそうだし、仕事大変なんだよね?と彼に尋ねると、まあ、起きてる間はなんだかんだで仕事してる感じかな、と苦笑いする。
でも、その顔に浮かんだのは嫌気ではなく、この生き方に慣れきったという余裕だ。
彼は、もともとは虎ノ門にある大手の法律事務所で働いていた。そして、五年ほど前に司法研修所の同期で特に親しくしていた弁護士さんと一緒に事務所を荻窪で開いたと説明してくれた。
彼の仕事の話に興味がないわけじゃないけれど、それよりも、『 アナタみたいな本当にいい人が、どうして恋人もいなくておひとり様なんですか? 』と気にかかって仕方なかった。彼女がいないなら、と何かを期待したいわけじゃなく、シンプルに、本当に疑問だったから。
でも、そんな質問をするのもちょっと下世話すぎるかな、でも親しくしていいなら聞いてもいいのか、でも余計なお世話だし、と心の中でひとり迷っているうちに、ナポリタンとサンドウィッチが一緒に運ばれてきてしまった。
お弁当に入っていそうな赤いソーセージと、細切りの玉ねぎとピーマン。それと太目の麺をいかにもケチャップで混ぜわせたような、トマト色のべったりとした見た目のナポリタンをひと口食べると、うん、これウマいな 、とお世辞ではなく心からそう呟く彼。
弁護士さんなら、都心のもっと高級なお店で美味しいものを食べているのでは?と問いかけると、どこでいくらのものを食べようがウマいものはウマいでしょ、と彼はさらっと言葉を返してきた。
そんなふうに気取らず、でも太い指先で器用にフォークを操りくるくると麺を巻く様子に、今までに女から好意を持たれたことが無いはずがない、と邪推が渦巻く一方で、そんなことばっかり気にしてるわたしもオバチャンだよなあ、と思いながら、ハムとチーズとレタスが具材のサンドウィッチをつまんでいた。
その後、彼とは駅前で別れた。
これから色々進めるにあたって確認しなきゃならないことがあるし、また連絡するから、という彼の言葉は、張り切っているかのような響きだった。
そう聞こえたのは、わたしの自惚れだろうか。
***
よほどお腹が減っていたのか、ひたすらナポリタンを頬張っていた瑞季が、急に顔をあげる。
そして、口の中のものをごくんと飲み込み、
「 ゼンキチの事務所って、荻窪?だよね。なんか、弁護士3人しかいないんだけど、そういうもんなの?
ゼンキチくらいのオジサンの人と、あとおじいちゃん先生みたいな人も入れて 」
と話を始めた。
「 え、おじいちゃん先生もいるの?っていうか、なんでそんなに詳しいの? 」
「 もらった名刺に、事務所の名前書いてあったじゃん。調べてみたらすぐわかったし 」
スマホで検索したらしい。Z世代とはこういう感じなのか。
「 あ、そうそう、聞いてよ、これ。
やっと見つけたんだよ、カメキチとゼンキチの喋りがうりふたつの動画 」
そう言いながら瑞季がポケットからスマホを取り出し、ちょっといじってからこちらに差し出す。その画面には、声優さんの配信番組が表示されている。サムネイルは、黒ぶちの眼鏡をかけ、少しパーマがかったチョコレート色の艶っぽい髪に、薄紫のカラーがちらほら混じっている男性が、大きな口を開けて爆笑している画像だ。
善ちゃんの声が人気声優のカメキチことカメダキチノスケと激似と彼女が絶賛していることから、ゼンキチという呼び方をしているのは確認するまでもなかった。
ちょっと聞いてみて、と彼女が再生ボタンをタップすると、音声が流れる。
この眼鏡のカメキチくんが、ハイテンションでトークを展開する。善ちゃんと似てると言われればそう聞こえるし、言われなければそうでもない気もする。正直、何とも言えない。
確かに、見た目は高い声で陽気に喋りそうな風貌のカメキチだけど、想像よりは少し低くて大人っぽい声をしている。
兄貴肌、と言えばいいのだろうか。俺についてこい、という感じの堂々とした喋り方は、善ちゃんと似ている……のかもしれない。
「 …………ね?そっくりでしょ! 」
と嬉しそうな彼女に、まあ、そうね、と適当に返すしかなかった。
スマホをいじりながら、瑞季が話し続ける。
「 学校でさ、友達にゼンキチの顔見せて、この人の声がカメキチなんだって話したらめちゃくちゃ盛り上がったし 」
「 顔って?写真なんて持ってるの? 」
「 だから、事務所のページに顔が出てるんだってば 」
呆れたようにそう言われて、わたしも自分のスマホで検索してみる。寺崎善哉、とフルネームを検索窓に入れてみたら、簡単に事務所のページがヒットした。
確かに、今日の昼間に青砥の駅前でナポリタンを食べていた人と同じ人が、スーツ姿の真顔で、少しだけ微笑んで画面に表示されている。
「 年はもうアレだけど、でも独身らしいってみんなに言ったら、結構アリって子がいたよ。
見た目まあまあだし、声がカメキチなら全然アリでしょって。
カメキチだって今35歳だし 」
「 アリ?それって、付き合ってもいいとか、そういうアリってこと? 」
「 弁護士なら、絶対お金持ちそうだし 」
へえ………現役の高校生女子達にも、そう思われるのか………お金持ちという加点が大きいとしても、年上の彼氏として立派に通用するのか。
「 ……43歳のオジサンでもいいんだ? 」
「 えっ?ウソでしょ? 」
「 嘘じゃないよ。今日、本人がそう言ってたし、ここにも生年月日書いてあるじゃん 」
わたしが自分のスマホの画面を指さすと、
「 マジかぁ~、お父さんとほぼ同じ歳じゃん… 」
と瑞季はがっかりしたような声をあげた。
瑞季の父親は48のはず。
わたしからすれば、48歳と43歳はまだまだ全然違う。
でも、高校生からすれば、どっちも自分の父親と似たり寄ったりのオジサン年齢らしい。
善ちゃんとまともに向かい合って話した日を境に、瑞季はすっかり明るくなった。
姉が生きていた時は、自分から言葉や会話を発することは少なかった。
今では、学校から帰宅すると、今日は誰々ちゃんが誘ってくれてお昼を一緒に食べたとか、部活でこんなことがあったと話すようになった。
そして、学校の話をひととおり終えると、今日はカメキチ、じゃなくて寺崎さんと何か相談したの?とやたらと善ちゃんからの連絡を気にするのが彼女の日課になっていた。
カメキチが推し声優ってわけでもないのに、善ちゃんの声が彼女の何のスイッチを入れたか、本当によくわからない。
それにしても、年齢で嘆くということは、瑞季にとっても彼は『 アリ 』なんだろうか……まあ、余計なことは聞かないでおこう。
とにかく今は、瑞季が楽しそうなら今はいい。自分をネタにして笑顔になってくれるなら、ときっと善ちゃんも許してくれるに違いない。
わたしはあらためて、スマホの画面の中にいる彼をよく見てみた。
今より少し長目の前髪が斜めに流れている。
大きくはないけど、意思の強そうな眼。
真っ直ぐ通った鼻筋と同じくらい、真っ直ぐ結ばれた唇。その両端が少しだけ強気に上がり気味なのと、頬から顎にかけての骨っぽい輪郭が、この人なら頼りになりそう、と自然と思わせてくれる。
そんな顔つきの彼が、今のわたしの掌にいる。
写真の下の部分に経歴も簡単に書かれている。
千葉県出身、地元の国立大卒、司法試験は大学を卒業した年に合格したらしい。
趣味はスポーツ観戦、映画鑑賞、スキーはインストラクター資格あり、中学、高校時代は野球部所属………さすがに身長・体重はそこに載ってはいないけど、実際の体格を見れば、野球部だったという過去に納得だ。
こんなところに趣味なんか載せる必要あるの?でも、書いてあれば、依頼人との話のきっかけになったりするのかしら。
──── 彼は別に、芸能人でも著名人でも有名人でもない、普通の人だ。
でも、仕事のためとはいえ、こうしてネットに名前が本名と顔が上がっている人と実際に知り合って、話をする仲になって。
ここで宣伝されている弁護士さんを、わたしは善ちゃんと呼んでいる。
弁護士になった理由が、父親の背中を見続け、人を助けるためだとこの経歴欄には書かれていない。
でも、そのことをわたしは知っている。
……… この写真の顔、笑うと目尻が思いっきり下がるんだよね。よく見るとちょっとタレ目だし。話してみると結構お喋りで、豪快に気持ちよく笑う人なのよね。
それにしても、やっぱり若く見える。いつ撮ったのかわからないけど、この写真と実際の本人は髪型以外ほぼ同じ。プロフにある生年月日を見て、この人40を越えてるのかと驚く人が絶対いるよね。
………好みの顔かと言われると、なんかちょっと違うんだけどね……でも、体格は結構好きなんだけどな。
ぼんやりとそう思いつつ、彼が独身だからってやたらそういう目で見るのも失礼だろう、わたしまで女子高生か、と自分に少し呆れる。
──── なんだか不思議な気分で写真の彼を眺めながら、あらためて日中の会話を思い返す。
………もしかしたら。どこか、淋しいのかもしれない。
人を助けて生きる。その立派な信条を貫く中で、時には誰かにすがるように頼りたい時があるのかもしれない。
父も母も亡くして、兄弟姉妹もなくて。
お姉さん、みたいな人が欲しいのかもしれない。ちゃん付けで呼んでくれるような、気兼ねない存在が。
親戚みたいな関係、か。
確かに、そんな言葉が似合う。
肉親を同じ交通事故で失うという、まったく一緒の不幸から始まった関係。それを、友達と呼ぶのもしっくりこない。
家族じゃ近すぎる、でも繋がりのある、遠い親戚みたいな関係でいられたら、と語った彼の言葉が、急にすとんとわたしの心の奥にはまった。
「 ………ごちそうさまでした。美味しかったよ。なんか、玉ねぎとピーマンがくったりして柔らかくて 」
瑞季がフォークをお皿に横たえる。
「 ああ、そう?それならよかった 」
「 珍しいね、梢ちゃん、ナポリタン好きじゃないって言ってたよね? 」
「 そんなこと、瑞季に言ったことあったっけ? 」
「 私が中一の時、おばあちゃんがお昼にナポリタン作るって言ったら、梢ちゃんは好きじゃないからいらないって言ってたよ。
急にどうしたの? 」
確かに、わたしはナポリタンもミートソースもそれほど好きじゃない。
ペペロンチーノ、ジェノベーゼ、カルボナーラ系か、せいぜいペンネアラビアータがトマト系のいいところだ。
「 ………別に。夜ご飯何作ろうかなって、思いついたのがナポリタンだったから 」
本当は、昼間ナポリタンを美味しそうに食べていた善ちゃんが忘れられなくて、自分も食べてみたくなったから、だけど。
つづく。
(約4700文字)
*『 regret 』とは、『 心残り 』を意味するの英語です。1~34話までがnote創作大賞2023の応募作品で、その続き部分の話に『~regret~』とつけてあります。
最初のお話と、創作大賞2023応募の最終話部分のお話です。よろしければ ↓
このお話の前話です。よろしければ ↓
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