女の体を持つ私を、いないことにしないでほしい #NoBagForMe
#NoBagForMe ドラッグストアで生理用ナプキンやタンポンを持ってレジに行くと、ほとんど必ず茶色い紙バッグに入れて渡される。その時「あ、私その袋いらないです」って言ってみてはどうだろうか、という提案らしい。
あーーーーーー それな!!!まじで。それな!!!!!!
それなってあんまり使わない私が思わず使いたくなるほどの共感マーケティングのうまさよ。。。だれかそれなボタン作ってくれ。へぇボタンのように押したい。(古い)
なんとも言えない感覚
毎回、レジの人がイレギュラー対応の手つきで袋を取り出すとき、なんとも言えない感覚がただよう。恥のような、苛立ちのような。「食品とご一緒に入れてよろしいですか?」って、いいに決まってるだろう。早く入れてくれ。「はい。」と言うと、目隠しのような袋に特別扱いのように入れてくる。(別に私はあなたがナプキン買ってもなんとも思ってませんけど外で見られると恥ずかしいかもしれないから隠してあげますね)って配慮が聞こえてくる。しかし私は別に恥ずかしいものを買ったわけでも法的にヤバいブツを隠し持っているわけでもないじゃないか。
なぜ隠すのか。
しかしながら。実際のところ、この茶色い目隠し袋は役立ってくれてしまう。生理日にうっかりナプキンを忘れた時、思ったより早く生理になったとき、ビジネスバッグからナプキンのパッケージが見えるのを防いでくれてしまう。だから今まで私は結局のところ、この茶色い袋を断ったことはなかった。
ちなみに、私たちが隠しているのは生理に限らない。購入したパンツやブラは?コンドームは?ローションは?ラブグッズ(アダルトグッズ)は?見えないように持つだろう。性的なこと、シモに関することは、私たちは隠したがる。
悪いことではない。奥ゆかしさ、美徳というか、文化かもしれない。極端な話、その辺の道で用を足すことは人間として恥ずかしいというのは割と総意ではなかろうか。「おしっこ」も「トイレ」も「パンツ」も「経血」も「ナプキン」も全部恥ずかしい。シモに関することは、恥ずかしく感じて無理はない。なんで恥ずかしいのか。それが排泄でもセックスでも月経でも、普段「人間」ということになっている自分が実は「動物」でもあることを感じ、そのズレをどうにも処理しづらいということではないかと私は思っている。(妊娠・出産はそのあたりどうなのだろうか。まだその感覚は自分の身では感じたことがないのでここでは触れないでおきます。)
それでも、恥も美徳も投げ捨てて「その目隠し袋いらねえっすから!!」と啖呵切りたくなる瞬間というのは、いったいなんなんだ?
女の体を持つ私を、いないことにしないでほしい
たぶん、無視され続けてきた「女の私」がその存在を主張しているんだと思う。
私は、きっと多くの女性がそうだったように、思春期に生理を嫌悪した。さらに、これはちょっと極端かもしれないが、自分を女性だと思いたくもなかったし、胸は潰して男装(?)していたし、生理よ止まれと念じ続けて本当に止めたこともある。悩みの末に体を男性にすることはやめたものの、長い間、社会的に男性のように活躍したくて自分の体の声には聞く耳を持たなかった。
思春期の私は社会で活躍する父を尊敬し、家でことあるごとに怒っている母を下に見ていた。母のようにはなるまい、父のようになりたいと思っていた。
その願いは叶わず、私は父のように活躍できず、母のように怒っていた。結局、自分の体からは逃れられない。というよりも、この体こそが自分だ。逃げる必要はどこにもない。父のように活躍しなくていいと思えば、別に怒る必要はなくなった。別に、母も怒りたくて怒っていたわけではなかった。
私が育ったのは、いわゆる戦後日本の高度経済成長を支えた中流家庭で、父は企業戦士として、母はその戦士を支える家事育児担当として奮闘していた。家庭に入る前の母は職場で指導的立場として活躍していたが、私を妊娠したことで会社に解雇された。
経済成長を成し遂げるために、女性性ははっきり言って邪魔と思われていたようだ。毎日同じ時間に起きて、気分良く、通勤して、きっちり働いて、体調を崩さないで。休まないで。それができなくなったらもう要らない。
そんなのは、ひどい。
女性としての自分のことも、母のことも、もっと前に生きた女性のことも、今生きる多くの女性のことも、大事にしたい。女性のままで、楽しく人生を送ったり活躍してほしいし、自分もそうありたい。
人間だもの。でもその前に、動物だもの。
いわゆるロボット的な男女平等は、何周か回ってもう完全にオワコンになってきた。だって男と女が同じわけないじゃん。と、薄々感づいていたことを、口に出す人も多くなってきた。生理中、妊娠中、育児中に普通に働けるわけがないし。そうじゃなくても、体の調子でできること、できないことは変わる。
加えて言えば、男性だってあやしいものだ。
「女性」ではなく「女性性」という言葉がある。女性にも男性性があって、男性にも女性性がある。男性も、女性ほどではないにしても、男性にも体調、バイオリズムはあると思う。だって、一人の動物だから。(こう書くと人間ってロボット的ニュアンス帯びててやばい)
精神的なことでいえば、男性こそ女性性を圧迫されすぎている。別に、男性だって弱音吐いてもいいし、繊細でもいいし、サポート役でもいいし、感情の起伏が激しくてもいいし、体力なくてもいいし、可愛くてもいい。ぜんぜんいい。
ロボット的な男女平等を超えて、 ありのままの男、女、(そのほか性別の捉え方はいろいろ)、ありのままの自分でいたいという気持ちが私たちは強くなってきた。
そういうわけだから、 #NoBagForMe の運動は結構強烈だ。私たちの人間性と動物性が混乱してたまらない。そんな自由な時代に生きられて、面白い。
薬局へ行ってみよう
そんなわけで、薬局に行ってみよう。生理用品売り場へGO。
生理用品と私
私は普通に紙(化学繊維)ナプキンを使っていたが、布ナプキンを知ってハマるものの、仕事が忙しくなり洗うのが大変で離脱し、オーガニックコットンナプキンに移行している女であります。このうさぎちゃん最高(以下写真参照)。まじで最高。肌触り良すぎ。布ナプの代わりに十分なってくれる。(環境的には布ナプの方がよいのだと思うけど...)
そして去年くらいから私はタンポンを見直し、特に夜に薄いナプキンとあわせて使用しているのだけど、「オーガニックコットンのタンポン」ってどこを探してもない。だから体に悪いなあと思いながら化学繊維タンポンを体内に入れていたわけだけど。
ついに!!!
出た。ソフィから。オーガニックコットンナプキン!!!
これを、待ってました!!!
今、日本で唯一。
で、肝心のお会計で...
よし、「その袋いりません」って言うぞ!
と、レジの人の一挙手一投足に注目していたら...
茶色の紙袋ではなく灰色の袋が出てくるではないか。ほかの食品と一緒に色つきの袋に入れる戦法のようだった。
(あ、普通の白い袋でいいです... )
いや、別にいいか、白い袋に戻してもらわずとも...いや、よくない、ここはNoと言うべき、...
結局、言えずに私はグレーのレジ袋に包まれた生理用品を持ち帰ってきた。
なんとも言えない感覚にまたなってしまった...
紙袋が出てこなかった、グレーのレジ袋のせいだと思いたい...
最後、かっこつかなかったぜ....
次回こそは....!><
#NoBagForMe は、ソフィのユニ・チャームさんのプロジェクトということで、まるでPRのような写真を撮ってしまったが...このオーガニックコットンタンポン、試すの本当に楽しみ。オーガニックコットンナプキンも、うさぎさん派だけど、試してみるべく買ってみました。生理はやく来い♡(そう思えるのって、地味に本当にすごいことだと思う。ありがたい。)
*追記*
このプロジェクトについて説明が不足した部分があったので追記的なnoteを書きました。
*追記ここまで*
こちらにゲスト講演されていた、illuminateのハヤカワ五味さん、EMILY WEEKの柿沼あき子さんの素敵な活動、陰ながら応援しています。
↓お二人のトークが前編後編ともに面白いので、ぜひ読んでみてください。
◎●◎ 私の文章を読んでくれた方へ ◎●◎
ふだんの活動も知っていただけたらとっても嬉しいです。私は以下で生計を立てていくことを目下の目標としています。(2019/6/28 追記)
ひかりのいしむろ(天然石アクセサリー/ペンデュラム)
出張リラックスセラピー(とくに産前・産後・妊活中の方におすすめ)
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