
どう死にたいか?を考えたら飲食店を開きたいと思った。
はじめまして、ばるじぇのの太い方と申します。
齢32歳にして、飲食業界にシフトチェンジし、業界未経験から開店まで漕ぎ着ける…か?という道中半ばのnote投稿になります。
主旨としては、
「これから人生を変えてみたい」
「新しいことに挑戦したい」
「人の挑戦の行く末を傍観したい」
「未経験から飲食店をやってみたい」
そんな方の何かの足しになれば嬉しいと思っています。
しがない経歴から飛び出たい
はじめに簡単な経歴です。
元日本語教師
元教育コンサルタント
現人材会社マーケティング
元々は大学で、外国人に日本語を教える日本語教育を専攻しており、専門学校で非常勤として働いていました。
そもそも幼少期から海外で働くことに、ある種のステータスと憧れを抱いており、一旦はベトナムで教育コンサルタントの仕事に就きました。
この辺りの話はまた自伝的に書き残したいと思いますが、ベトナムでの仕事はさまざまな理由があり2年もしないうちにお仕舞いに。
帰国後から現在にかけて人材会社に身を置かせてもらい、法人営業、マーケティングと、飲食には全く関係のない業務を行っています。
そして今は昼間に正社員として仕事、夜は調理師学校に通っている状況です。
なぜ、飲食店をやるのか?
ぼくは、全くの未経験で飲食店をやろうとしています。
実家が飲食店をやっているわけでもありません。
飲食店で働いて喜びを感じたこともありません。
料理は好きでしたが、それを仕事にするなんて考えたこともありませんでした。
きっかけはコロナ禍になってからでした。
業績が急降下し、会社からは残業代を浮かすため残業するなの指示があり、給与も賞与も激減。仕事量も減り、何のために仕事をしているのかもわからなくなったのがこの頃でした。
ああ、この会社で働いて死ぬのは嫌だ。
と、毎日思えば思うほど、転職サイトを見に走り、実際に何社か面接を受けました。
掃いて捨てるほどよくある話だと思います。
ただひとつ考えたのは、たとえ年収が安定していても、仕事にやりがいを感じても、60歳まで会社で勤めあげることはできないだろうということです。
ぼくは人生の終わりの瞬間を想像してみました。
どう死にたいかと。
価値のある人間になりたい。
死してなお価値の存続する人間に。
それは、価値を遺すこと。
価値とは、思想であり、意志であり、文化であり、財産であると。
アブナイ哲学に片足を突っ込んでいますが、
まあ、これもよくある話だと思います。
ぼくにとっての価値や、遺せる価値は具体化していませんが、ひとつの手段として、空間の提供が思い浮かびました。
その空間とは、暮らしの旨味がぎゅっと味わえる場所。
ぼくが感じる暮らしの旨味とは、たとえば気の知れない友人と深夜まで語り明かす居酒屋であり、家族と団欒するダイニングであり、社会人の先輩から疎ましくもありがたいことばを貰えるバーであり。
そういった無くても死なないが、あるとカラダもココロも喜ぶ場所を創りたいと思ったのです。
これが一番の理由です。
これからnoteで書き記すこと
ぼくは2023年の春に、生まれ故郷の金沢市に帰ります。そこで、お店を開く予定です。
既に、住居兼店舗の目星をつけ、ローンの審査が通り、あとは具体的に詰めていくだけです(「だけ」なのかははじめてなのでわからない)。
ただこの道筋も簡単じゃなかったので、平凡なサラリーマンがいかにしてお店を開いていくのかを細々と記していきます。
会社に内緒で調理師学校に通う話
副業アルバイトを3日で辞めた話
いまだに料理が下手な話
カフェとバーとダイニングと図書館を作る話
「イイね」と言われても「大丈夫」とは言われない話
などなど。
最後に、店の名前は「ばるじぇの」です。
スペイン語で「ばる」は「バー(bar)」、「じぇの」は「お腹いっぱい」だそうな。
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