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アルベルチーヌが逃げ去った…(日記 2024/10/26 土)

『センスの哲学』を読み終わった。軽い読み物程度で読み始めたけどなかなか面白かった。図書館で借りて読んだがあらためて買うかもしれない。

岩波文庫の『失われた時を求めて』11巻「囚われの女Ⅱ」を読み終わった。やっとアルベルチーヌが逃げ去ったところで終わり。いよいよ終盤という感じがする。アルベルチーヌが消え去る朝とその直前の文章などは、エンタメ作品顔負けの面白さだった。
「私」によるアルベルチーヌへの嫉妬をもとにした心情分析はこれまで主に①さまざまな悪しき可能性の想像 → (いっときの安堵とアルベルチーヌへの無関心) → ②想像していなかった方角からの苦しい事実の伝聞 → ③それによる悪しき可能性の想像の増殖 → ④その可能性による過去の記憶の省察、というようなパターンを何度も反復していたと思うが、この失踪に関しては「私」が具体的に危惧していたことがそのままダイレクトに実現する、という点で質が異なるような感じがする。
前者が複数のありうる未来から何が生じるかに対する不安と、その後生じた現実によるすでに生じた過去の書き換え(と現在地点の動揺)だとするなら、後者は1つだけ予想された悲しき未来が、避けられぬものとして一直線に到来してしまう点で、「悲劇」的なモチーフだと言えなくもない。
『失われた時を求めて』における「私」の、特にアルベルチーヌに対する言動は、一般的な道徳と照らし合わせればまあひどいものだが、それでもこの朝の彼女の失踪による「私」の苦しさは読んでいて胸に迫るものがある。

明日は衆院選挙投票日。昨日今日とあいかわらずいくつも自民党関連の人間のおぞましい言動がSNSで流れてくる。河野太郎は街頭演説で醜く耳障りな暴言、若手候補大空こうきの公職選挙法違反(戸別訪問)、お前に何ができるんだ森下千里の比例当選確実の報。本当にゴミのような連中だ。殺されて当然のやつらばかりだが、日本だから殺されずに済んでいる。まだ殺されていない今日をありがたく思えよ。

今日の写真

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