甲子園は五輪なんかと比べてとても健全だ…(日記 2024/8/11 日)
帰省2日目。しばらく朝食を食べない生活を続けていたが、当然実家は一日3食とるので久しぶりに朝食をとった。母は朝から盆前だからと掃除をしていた。数年ぶりにお盆に帰省をしたが、田舎のお盆の重要度はこんなにも高いものかと驚く。そもそも私としてはこの土日がもうお盆という認識なのだが、実家的にはまだ「お盆前」らしい。しっかりと日付としてお盆が認知されているようだ。
実家のプライバシーと衛生観念は、都会かぶれで一人暮らしの自分のそれとは全く異なる。それは帰省が億劫な理由の一つになっている。たとえば、現在実家の庭の剪定に庭師が朝から夕方まで来ているのだけど(そしてそれが私の友人の父で、人見知りの私としては距離感がむず痒いのだが)、窓からこちらの居間が覗けなくもないし、また家庭内での会話が聞こえてしまう。そういった距離感は、上京のずっと前から不快だった。
普段の生活と違い実家は四六時中テレビがついている。甲子園を今年初めて見た。スポーツ観戦に否定的な私だが、甲子園は五輪なんかと比べてとても健全だと思った。
まず実況が野蛮ではない。当たり前だが、甲子園の実況解説はどちらかのチームに肩入れすることはない。それも対象が未成年なので、言葉を繊細に選んだバランスのよい実況だ。それと比べると「〇〇(国名)が△△に勝った!」などという五輪の実況がいかに恥ずかしいものか。
また、甲子園は要は野球というよりも部員のドラマの消費なので、敗れたチームにも「夏の終わりの悔しさ」「3年生最後の夏」「甲子園の土」のような美しい物語が用意されている。それたたしかに消費される物語ではあるものの、そのおかげで負けの描写に嫌な感じがない。
もちろん、まるで高校生が人生で最も価値があるかのような青春の価値観を再生産するイベントであることには注意をしなくてはいけないが。
野球というスポーツは、ヒットが出る確率・タイミングであったり、一球一球プレーが進む感じに、とてもパチンコ的な面白さがある。他の常に動き続けるバスケやサッカーのようなスポーツと比べて、これは結構特異なことである気がする。
母方の実家へ顔を出す。母型の祖父母はまだまだ元気そうだ。父よりも健康である。
今日も実家の祖父母と話した。簡単な介助もした。父も問題を抱えている。今後の介護生活とその負担が母ひとりにのしかかることが本当に心配だ。かといって私がこちらに帰って来られるわけもなく。その未来を思うと本当に暗い気持ちになるし、泣きそうになる。母は何を思って毎日を生きているのだろうか。でもそれは知るのが怖い。帰省する頻度を上げようと思う。
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