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ブラック企業の上司から「極小サイズのハンコを作ってこい」と言われて私がとった細やかな反抗。

「脱ハンコ」のニュースを見て、わたしは10年以上前に勤めていたあるブラック企業を思い出した。

朝は午前6時半に起きて、激混みの満員電車に疲労困憊した我が身を運ばれ、昼休憩は1時間確保されていたが、夕飯時間はほとんどなく、連日、終電間際まで働いて、帰宅は午前様。

“深夜残業は無い”のが暗黙のルールだったから、午後10時前後にはタイムカードを打刻していた。

それでも、午後10時までは残業代が出るから良い会社と本気で思っていたわたしは、そのとき、きっと何かに毒されていたんだと思う。

一方、その残業代のお陰で、同年代の女性の派遣やパートよりもわずかばかり良い給料を貰えていた。

しかし、上司が変わると、その上司はわたしが所属していた部署毎、

「残業代稼ぎ!残業代ドロボー!」

と連日罵倒しに来たり、一人一人呼び出すようになり、ついには、残業代の支払いは月20時間までとなってしまった。理由は、

「あなたたちの仕事は月20時間の残業で済む。」

と。これを仕事ができる上司に言われたのなら、こちらとしても改善しましょうと思えたけれど、わたしたちの部署がやっている簡単なことも理解できないような人で、はっきり言って恐ろしく仕事ができなかった。

わたしは派遣社員だったし、1年も働いていなかったので、そんな上司を雇う会社にとっとと見切りをつけ、退職を決意した。



順調に引き継ぎをしていたある日、上司から、

「各自、早急に(極小の)ハンコを買ってくるか、作ってくること。」

とお達しが出た。そのハンコの使用理由は、“デタラメな残業届出書”に押すためだった。

デタラメな残業届出書とは、月20時間以内しか残業をしていない風にみせるために、会社やその他諸々に報告するための書類で、例えば、

23時まで残業した日は、18時帰宅と書き、それに、わたしのハンコと上司のハンコが押された。

このハンコを押す欄がとても小さいため、そこにきちんと収まるくらいの極小のハンコを押せ!というのが上司の言い分だった。

わたしは、平日は残業で閉店時間前にはハンコを買いに行けないから、休みの日を利用して、比較的大きめなデパートに行った。

わたしの名字のハンコなんて売られていなかった。しかも、極小サイズなんて。そりゃ当然だ。わたしの名字は、全国で約1,000人くらいしかいないのだから。

わたしはハンコ屋の店員さんに聞いてみた。

「わたしの名字を極小サイズで作るとすると、おいくらですか。それはどのくらい時間がかかりますか。」

「あー、それは、珍しい漢字ですし、画数も多いので、料金は1,000円前後で1週間前後かかります。」

と。

(あのわたし、あと1ヶ月もしないうちに今の会社辞めちゃうんですけど!しかも、1,000円って、残業代大幅カットされている今のわたしにとって、時給換算すると約2倍なんですけど!)

「アホくさっ!」

わたしは帰り道、上司の憎々しげな顔を思い出して、吐き捨てるように言った。
結局、デパートのハンコ屋さんには頼まなかった。



わたしは家の近くの100円ショップに入ると、いろいろなサイズが無造作に10個以上入った消しゴムを買った。こんなにたくさん入っても、たった100円(税別)だった。

きっと、消しゴム工場から出された半端ものの売り物にならない“クズ消しゴムの集団”なんだろう。

「おまえたちは、わたしと一緒か。」

わたしはクズ消しゴムの集団が入ったビニール袋を夕日にかざして、それらをマジマジと見た。

「わたしのために、一肌脱いでくれ!」

家に着くと、袋から消しゴムの1つを取り出して、ボールペンで消しゴムの表面に、

澤田(※)

と書いた。その澤田が消えないように、澤田のまわりをカッターで彫っていった。

「やっちまった。」

“幸”の部分を間違って切ってしまったのだ。

「これじゃあ、“幸せ”じゃなくて、“辛い”じゃないか。」

2個、3個、4個、5個と挑戦し、ようやくそれらしい物が出来上がった。

「ナンシー関さんって、やっぱり、凄かったんだなぁ。」

月曜日、いつものようにデタラメな残業届出書にデタラメな帰宅時間を書き込むと、例の消しゴムをそっと出した。

朱肉に消しゴムを押しあて、デタラメな残業届出書の上にそれを押した。わたしはそれをドキドキしながら上司の元に持って行った。

「その調子で仕事してね。」

帰宅時間しか見ていなかったのか、上司は印影が消しゴムハンコとは気づかなかったようだ。

だが、消しゴムハンコは、1回押す毎に、ポロポロと崩れていったので、わたしは5日に一度作り直さねばならなかった。

「どうにか持ちこたえてくれ!」



消しゴム工場から出た半端者で売り物にならないクズ消しゴム集団は、わたしの退職日まで見事に戦い抜いてくれた。

「ありがとう!同志よ!」

わたしは、赤く染まったり、ボロボロになった消しゴムたちを両手ですくうとお礼を言った。

(※)わたしの名字は澤田ではありませんが、画数が多くて彫るのが大変なことを説明するために使わさせていただきました。

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