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【小説】自分が育てた花に囲まれながら、94歳の女性が最後まで願っていたことは

2020年、東京で夏のオリンピックが開催されるはずで、インバウンドは東京から遠く離れた北海道にも波及されるはずだった。

「今年は、例年以上に海外からのお客さんが多そうだね。忙しくなる」

2020年のお正月、おばあちゃんは嬉しそうにそう言った。

ところが、その直後、世界中が謎のウイルスに包まれて、亡くなる人が激増した。

加えて、日本の陸上で最初にコロナが蔓延して緊急事態を宣言したのが、北海道だった。

「北海道は危険だ」

札幌市から160kmも離れた北海道の十勝地方の中にある帯広市は、感染者がほとんどいなかったのにもかかわらず風評被害に苦しんだ。加えて、県をまたいでの移動を自粛するようにお願いが出されたため、北海道は巨大な孤島と化した。

「今年も綺麗だあ」

2020年6月、帯広市にも遅い春が訪れて、15000坪(6ヘクタール)に及ぶガーデンにも数百種類の花が咲き誇っていた。

しかし、広大なガーデンを訪れる人はほとんどいず、閑散としていた。

「少し休んだほうがいんでない?」

93歳になるおばあちゃんの身を案じて、家族は言った。おばあちゃんは元気だったが、車いすに乗っていた。高齢だし、万が一コロナにかかったら重症化するかもしれない。

それでも、おばあちゃんは毎日花の手入れを欠かさなかった。そんな生活はもう30年になる。

「アマビエを描いてみたの。どう?」

ガーデンにはオリジナルグッズを売る店もあって、その作品のほとんどはおばあちゃんがデザインしていた。おばあちゃんはいつも花をモチーフにした作品が多かったから、描いたアマビエを見たとき、家族やスタッフは驚いた。

「早く世界が平和になるといいね」

グッズにするだけでなく、ガーデンのグッズ売り場を訪れたお客さん一人一人に、車いすに乗りながらおばあちゃんはアマビエに込めた想いを伝えた。

「ワクチン接種が始まったんだってね。あともうすぐでコロナも終わりだあ」

2021年4月、帯広市でもワクチン接種が始まった。いちばん最初は医療従事者が対象だ。

帯広市の桜の開花は、例年ゴールデンウィーク中で、満開になるのはゴールデンウィーク明けであるが、今年の春は寒かったのにもかかわらず、ゴールデンウィーク前に満開を迎えた。

それはまるでコロナの収束を待ちわびているかのようであった。

おばあちゃんは65歳をはるかにこえていたが、施設に入所していないため優先順位が少し下がって、6月1日からの接種になっていた。

「ワクチン接種の予約を入れておくよ」

と家族が声をかけると

「ありがとう」

とおばあちゃんは言いながら、左手にコリアンダー、右手にパンくずを持った。

毎日、自宅の庭の手入れをしたり、スズメにパンをあげたりするのもおばあちゃんの日課だ。

バタン、玄関のドアを閉めて少しすると、おばあちゃんは庭に咲く花を見渡した。

その直後、おばあちゃんはその花の中に倒れた。自分で育てた大好きな花たちに囲まれ、スズメがチュンチュン鳴いていた。それは、暖かなみどりの日だった。

「わたしに隠れた才能があったわけではない。わたしは大地と人と花に育てられた。皆さん、希望を見失ってはいけません」

おばあちゃんの育てた花は、これからも広大な北の大地で、毎年、豊かさを魅せてくれるだろう。地球には、まだまだ隠れた美点があるのだから。

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今回は、実在する紫竹ガーデンを作った紫竹昭代さんの生きざまに感銘を受けて、小説を書かさせていただきましたが、この小説に出てくるおばあちゃんやその家族は架空の人物で、セリフは想像したものです。紫竹昭代さまとその御家族とは無関係です。

また、ラストシーンは、コリアンダーと小麦(パン)の花言葉からヒントを得て書かさせていただきました。

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