見出し画像

日曜日のnote:街コンへ参加した日の話

この日曜日のnoteでは、Aセクシャルな私の悩み・経験・過程等、様々な支えと共に今、そしてこれからのことを記録していきます。同じ悩みを抱える人の目に偶然止まった時、どこか楽な気持ちになれますように、そして読んだことをすぐに忘れられるくらい優しい日常になりますように心を込めて。


===

いつだったか記憶も曖昧になってしまうほど前のことだけれども、一度だけ街コンに参加した事がある。高校の友人に誘われた当時セクシャルに不安を感じ始めていた私は「新しい人との出会い」を目的とし、都内のお洒落隠れ家的バーでの機会に応募して、明らかに受けの良さそうな柔らかいワンピースと履きなれていないヒールを履いて行った。街コンが始まる前の私は、ようやくドラマのような幸せなビジョンへ私も足を踏み込む事が出来るのだと、高揚していたにも関わらず、帰る時には絶望していた。

街コンは正直な感想をいうと退屈だった。話をしていて楽しいと思う瞬間は最初だけで、暫く経つと聞かれる質問が同じだと言うことにすぐに気がつく。

「どこに住んでるの?」「彼氏は?」「仕事は?」「どんな人がタイプ?」「結婚願望ある?」

これは純粋に出会いを求める人達には当然なやりとりなのかもしれないけれど、私にとっては「タイプ」や「結婚」に関して答える事が難しく、曖昧に返すと「クールだね」「ミステリアス」と勝手に煽てられることに疲れてしまったのだ。はっきりいうとS気質と盛り上がられても困ってしまう。「あぁ、場違いなところに来てしまった」と理解し時間が早く過ぎ去れと願いながら、誰とも連絡先を交換することなく帰宅したのだ。


===

高望みをしてしまった自分への罰のようにすら感じた。ちょっと足を伸ばせば普通の幸せを掴むことなんて難儀ではないという少しの期待が打ち砕かれた日だった。

上手く答えなくてはいけない。空気を読まなくてはいけない。不快な思いにさせたらいけない。笑顔でいなくてはいけない。気に入られたい。理解されたい。そう思ってあのフリータイムの質問時間を過ごしたけれど、結局私は本当のことを誰にも言えなかった。更にいうと、一緒に行った高校の友人にも当時はカミングアウトをしていない時期だった。嘘で固めてた自分のまま、安直な考えを持ってあの場所へ向かった自分が嫌だったし、そんな自分に話しかけてくれる方に申し訳なく、苦しく辛い街コンは幕を閉じた。


===


あの経験は今、何かに役に立っているのかと自分へ問うと、正直全く浮かばない。何歳の時の出来事だったのか、場所はどこだったのか、明確なことを全てスポンと忘れてしまったくらい、記憶の隅に追いやられてしまったことであり、そして輪郭しかないその記憶を無理に思い出そうとすると、鎖骨の下あたりがギュッと痛む。

信頼できる人にしか自分のセクシャルは話せないと決めている。そう思っている私は、じゃあそれ以外の人には何一つとして正直に向き合うことが出来ず、きっと周囲から見たら、無愛想で隠しごとの多い女として認識されてしまうのだろうけれど。仕方ないじゃないかと、怒ってみても誰にもぶつけることが出来ないのがマイノリティの苦しさだ。

どこかで声を上げると少数派は思ってもいない部分で叩かれ、多くの場所で晒される。「ウケるw」とか暖かみのない言葉で完結されてしまうのが今の世の中の現状なのだ。この「ウケるw」という言葉、見た目が本当に嫌いな理由は、はっきりとした人から発せられるワードではなく、文面でしかないという点だ。向き合えばもう少し言い訳もできるのに、機会を挟んでしまうと今はそれすら出来ない。それが怖くて余計に何も言えないのだ。


実際に街コンへ参加して結婚し家庭を築く人は多くいるだろう。それでも私はあの場所でひどく自分が見窄らしく感じた。わかりやすくギラギラした男女が持ち上げ合い、最終的に今夜ホテル行かない?的な雰囲気がすぐ隣にある空間を、私はきっとこれからも楽しく思う日はない。


そんなちょっと思い出したくない日の話。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?