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幸せが勝手にやってくるほど都合良くない

「生まれ変わったら男と女どっちがいい?」

この質問にこれまで幾度となく遭遇してきた。それは素面の時でも酔っ払った時でも、ちょっと気まずい人との小さな話題でも。今の世の中その枠だけには囚われる必要は決してないけれど、私はその都度迷わず「男性」と答えてきた。

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まず女性として生きていて面倒は多い。第一に容姿重視は撤廃を求める声がいくらあげられたとしても、こんなにも「加工」や「アピール」が充満していてその中心世代がこれから社会に出ていくのだから消える事はないだろう。そのための化粧やケアにはお金がかかるし何かと比較をしてしまう。

それから全く知らない場所で勝手に自分の話が誇張されていくことへの苛立ち。仕事に関しては私は恵まれているけれど、営業をしている友人は何度も悔しい思いをしてきたらしい。結婚や子供への話題が増え粗探しをされることも多く、趣味も「女なのに」と酔っ払いに絡まれる。つまり数え出したらキリがない。

でもそれって女性としての視点だけだから、男性だって同じように面倒事が多いはずだ。ただその経験をすることが出来ないから想像もつかないだけで、それなのに「女性の方が大変」みたいな思考があることは疑問でしかない。だからそもそもこの質問自体、無意味なものなのだろう。


私はこの質問に「男性」と答えてきた。それは来世は男性になってその面倒ごとを経験してみたいと思っているからだ。想像もつかないプレッシャーや圧を跳ね返し頑張っている人たちは素敵だし、格好良い。そして出来ることならばモテモテを経験したいとも思う。欲張りだろうか。例えば性別に違和感を感じるのであれば信じるものへ進めばいいだろうし、主張できる環境を作るべきだ。ただ私は今世は女性に生まれそこに不満を感じないからこそ、自分のできる範囲のことで女性を全うしたいと私は思う。

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そんな思いで最近気になっていた「まつげパーマ」を体験してきた。1時間の施術を終えると今まで見たことのない自分のカールしたまつ毛。心なしかパッチリと見える目元。それが人に気が付かれなくても自分では大満足でときめきを感じた。時間のかかるアイメイクの一手間がなくなった喜びと、見た目の変化に対しての小さな変化に楽しいと思った。メイクや美容は人のためにするのではなく、自分の気持ちを安定させるための方法なのだと改めて体感したけど、それ以上に思ったことは

確かに「大変さ」や「理不尽さ」を数える事は簡単だ。それは意識せずとも向こうから勝手にやってきてしまうから。反対に幸せなことは滅多に簡単に歩いてこない。自分から近づかないといけないからこそ億劫に感じて、どうしても物足りなくさに苛まれるけど、結局自分から足を踏み出したかどうかなのだ。

私を含めほとんどの人は「幸せが勝手にやってくるほど都合良くない」。それなのに足を踏み出すというその行動を起こしていないのに「不幸せ」を語ることは決して格好いいことではないんじゃないかな、と。ならば私はやってくるネガティブよりも多く、とにかく歩き回って小さな幸せを多く数えていきたい。今回のように「まつげパーマ」も自分から動かないと当然やってくるものじゃないんだから。

男とか女とか、そんなことは幸せには関係ないことだしそもそも性別に支配されてはいけないことなんだと思った。女性だって楽しい、男性だって楽しい、迷っている人だって楽しい。それは自分次第でしかないということに、気がついた最近の話。おやすみなさい。

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