見出し画像

日曜日のnote:嫉妬の感情が欠落した私の話


この日曜日のnoteでは、Aセクシャルな私の悩み・経験・過程等、様々な支えと共に今、そしてこれからのことを記録していきます。同じ悩みを抱える人の目に偶然止まった時、どこか楽な気持ちになれますように、そして読んだことをすぐに忘れられるくらい優しい日常になりますように心を込めて。



===


嫉妬の種類は多くある。その中で仕事・生活水準・実力といったことで自分よりも優れた才がある人を見ると羨ましく恨めしく思ってしまうという経験をプライドが高い私は何度もしてきた。そしてその度に一息ついて冷静さを取り戻す術も身につけてきた。でも経験したことがない嫉妬がある。それは恋愛に関しての嫉妬だ。

誰かが親しく誰かとの関係を持つことに対して起こる嫉妬とはどういうものなのか。例えばそれは芸能人が結婚した時に起こる「ロス」とは違う種類だと聞くけれどそう言われてしまうとますます分からないもので。「どうして分からないの?」と誰かと付き合うたびに言われることが重い、と一方的に思ってしまう私がいる。

「嫉妬するのが嫌だから、あんまり他の人と仲良くしすぎないでほしい。」
「あんまり触ったり触られたり、笑ったりしないでほしい。」

これは恋愛漫画の台詞ではなく、もちろんドラマのものでもない。私が相手に言われた言葉であり私はそれを守っていた。「自分なんかを好きでいてくれる人に私がしてあげられること」と思えば重さを受け入れることは安易だったけれど、実行出来なかったことがあるとすれば、それは「嫉妬してほしい」という彼の願望だった。

===

自分に自信があったわけではない。ただ彼が他の女の子と親しげに話していても、アイドルに釘付けであっても「嫉妬」と言う感情が芽生えない。心がギュッとするとか嫌な気持ちになるとかそう言う感覚がないから、いつも通りに彼と接すると彼はひどく拗ねていた。「俺が他の子と話しててもしいなはどうでもいいの?」と機嫌が悪くなり、それの機嫌をとる毎日は申し訳なさと苛立ちだけが増えていき喧嘩が増えた。分からないものは分からない、私にしっかり教えてよ!そう言ってしまいそのままお別れをしたこともある。


嫉妬してほしい=承認されたい、誰かの特別でありたい

それが本当なのだとしたら、私は彼らの思考を否定してきたことになるだろう。理解しようともせず分からないの一点張りを続けてきた、本当に自分勝手でどうしようもなかったなと、今になって反省をしている。


でも兎にも角にも今でも私には嫉妬がわからないのだ。


すごく正直な言葉であえて言うのであれば、彼が誰とどんな関係でも興味がない。親しいの中に、一般的浮気とされる範囲まで足を踏み込んでいたとしても、悲しさや悔しさがない。「そうなんだ」の一言で終えてしまう私はやっぱり、周囲との恋愛話についていけるわけもなく、今でも頷いてニコニコしてなんとか時間をやり過ごすしか出来ないでいる。


嫉妬って何?どんな感覚なの?それってしたほうが幸せなの?

そばにいるだけじゃダメなの?と、迷路に迷い込んでしまうほど「嫉妬」とは難しいワードなのだ。困った困った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?