見出し画像

豪快に笑う人の美しさ。


今年26になる1995年生まれだけれど、そばかすシワが増えてきた肌に少しづつ向き合い始めている。でも完璧に全てを消し去って赤ちゃん肌になりたいとわけではなく、顔を出すタイミング・スピードを少しだけ遅らせたい。どうして気にしているのかというのは「なんとなく」、それくらいの気持ちなのだ。


〜〜〜


豪快に笑う人が好きだ。

上品な人は美しい。所作・教養の本が多く出版されているけれど、それでも上品な人は遠くから見ているくらいでいいと思っている。「ふふふ」よりも「あはは」の方が明るくて一緒に笑い合うには良いじゃないか。深い笑い皺を作ってしまうような楽しさが伝わる豪快さは素敵だ。歳を重ねてその笑い皺が残っている人を見て、それを気にする先輩たちを見ていると、愛嬌があり、何よりも純粋な美しさを感じる、そしてこんな風になりたいと憧れている。


「豪快」というと勘違いをしそうになるけれど、「マジ」「ヤバイ」「ウケる」そう言う言葉を連発して使うことに関しては密かに反対している。手軽だし意味が通じるから大きな声では反発が出来ないけれど、もっと他に良い言葉があるのにな、と残念に感じてしまう。それを周囲に言うと「何良い子ぶってんのよ」と背中を笑って叩かれる。声の抑揚で十分その場面を乗り切れるということは分かっている。それでももっと言葉のバリエーションが増えてそれをしっかり使いこなせられれば、更に感情を相手に伝えることが出来るのに、という気がしてならない。


人間は歳をとっても経験を積んでなんぼ、ペーペー白々な経験不足では勿体ない。だからこそ色々な事と向き合っていく必要がある。口を一文字にしたままではなく、笑い泣き怒りながら、感情のコントロールを身につけていく。その過程で格好悪くて何がいけないのだろうか。寧ろ、綺麗で美しくお淑やかである必要はあるのだろうか。その美しさは本物なのだろうか。


私は将来必ず生まれる顔のシワを刻むのならば、見た目やイメージを気にして出来たシワよりも、沢山の言葉で相手との関係を作り、より多く豪快に笑ってついた笑い皺の方がいい。そんな大人になっていたいと豪快に笑う先輩たちを見ていて思う。


この記事が参加している募集

#習慣にしていること

130,873件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?