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目の前の人を尊重する時代へ


時代はしっかり流れ始めているのだろう。様々な出来事が公になり、辞任や組織の再決定が繰り返される中で確実に目に見えているのは「時代の変化」。




私自身、性別に対しての葛藤を抱えてきた分、そこには少しだけ慎重な自分がいて、だからこそ普段生活するだけで気になるエピソードはあるけれど、1つ1つ「怒って訂正して消化して」なんてことをしていくのは不可能だと思って諦めてきた。


勿論、傷つけることを言う方が絶対的に悪いと思う。それでもこの悩みや環境に触れてきたから「痛みが分かる人」と、触れてこなかったから無意識で発言してしまう人は必ずしもいるわけで。触れてこなかった、つまり「考えてこなかった人」のつい口をついて出た言葉は悪気があっての発言でないということへの理解は持っているつもりだ。


だって私だって分からないこと、知らないことなんて山程あるし誤った認識を持っていることもある。大人なんて興味の対象は人それぞれだと言うことを日々実感しているはずなのに、さらに大人が頭ごなしに否定し喧嘩をして、というその繰り返しを起こさないように理解しあえ関係を生み出すべきなのに。


そんな風に思っていた矢先、渡辺直美さんご本人のYoutube配信がとても心に染み渡った。


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「もう2020年代なんだから」


小さい頃から学んできた「人を理解しようとする世界」をそろそろ基盤として生きていきたい。同じようなことを繰り返して問題になってその度に多くの人が発言するにも関わらず、また繰り返されるという誰も得をしない無限ループから。脱却を目指し協力していく環境を作っていかなければいけない。


もう本当にいい加減に、人種とか性別とか体型とか年齢とか所得とか、そういうことで人を括ることはよくないと思うのですが。


あの蔑んだような目を向けられた日、他の人が同じようにその目を受けることのない優しい世界になれば良いと願ってきた。多くの人が多くの傷を受け、それを周囲に広めていかないように同じように考えてきたはず。技術の発達により今、安易に誰でも発言できる世界が広まったことで自由度は増し、個人の活躍に繋がるようになったけど、良いように使うのでなく、匿名での悪意も同じように発信しやすくなってしまった。そんなことのために進化を続けているわけではない。



もう次のステージに進もう。



と私一人が思ったところで、この問題は何一つとして解決されない。だからせめて私ができる範囲として、私の周りにいる人達をこれからは傷つけないように、自分は今何を話したら良いのか、相手が求めている事は何なのか、私にできる事は何なのかを頭の片隅に入れておこうと思う。



私の周りの人たちはすでに優しい人たちばかりで、この人達のために私がしてあげられることを考えていきたい。そして穏やかな、頼りあえる関係性を強固にしていきたい。苦しい時に共に乗り越えられるような。



そういう自分でありたいと、今本当に思っている。そう思う人がどうか私以外にもたくさんいますように、とも思っている。決して欲張りではないことだと信じていたい。

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