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「私」という本に帯をつけるなら


「私」という本に帯をつけるならどんな帯をつけたいか、ということをよく考える。国民の健康を守るための宣言下で私はそれなりに一生懸命生きてきている。それが解除されても今後の生活が急に大きく変わるわけではない。


辛辣に捉えられるかもしれないけれど、他の人がどう行動していようが心が大きく乱される事はなかった。それは「興味の対象外」というよりも「自分のことだけで他に手が回らない状態」だったからだと思う。そしてそれは今も同じことで。



私の人生は私のもので

あなたの人生もあなたのもので

彼女の人生、彼の人生も

先輩の人生も、後輩も

すれ違う人たちみんな別々のもので。



だから基本的には本人が望まぬ時以外は口出しをするべきことではない、みんなが人生作家だと思っている。にも関わらず私の人生という作品は他の人の支配を受けやすいということも自覚している。望んでいたわけでもないアドバイスを受けて、心がその方向へ流されそうになったり、押し戻されたり、引っ張られたり。


言われなくても私の欠点は私が一番理解している。それは言うまでもなく毎日顔を合わせる相手は自身であって、欠点を知ったうえで人生を描いていこうとしている私に、あなたのためよと言わんばかりの微笑みと「優しさという仮面をつけた刃」を平気で至近距離で突きつけられる事は悲しいけど日常だ。


「あなたのためよ」と言う言葉はなかなかのパワーワードだ。言われた瞬間間違いを指摘され、先導されてしまいそうになる。誰かに自分の作品を乗っ取られてしまいそうになる。


でもよく考えると、私はあなたのために生きているわけではないのよ。アドバイスが欲しくなった時は、「お願い!話聞いてくれ!」と拝みながらプラスアルファで夜ご飯をご馳走するから(デザートも勿論OK)その時だけにして欲しい。


望んでいないアドバイスほど返すのが難しいものはない。


〜〜〜


私みたいに自分のままを望むくせに他からの影響を受けやすい人間は、SNSがコミュニケーションツールであり常識の世界で、真っ直ぐ歩くにはあまりに困難だ。寄りたくない寄り道をして転んで、振り返ってばかり。あまりに苦しくて音楽を聴く余裕すらなくて、音の流れてないイヤホンをした日。急いでトイレに駆け込んで顔を洗った日。そんな日にはInstagramは開かない。他人のカラフルな日常に嫉妬してしまうことでより自身を傷つけることを知っているから。


でもいつかそんな日常を今よりも穏やかに振り返る日は来ると先人達は言う。「止まない雨はない」。その言葉通りいつかは必ず良かったと思える日が来ると信じている。だからこそ一人で乗り越えて、人に頼って、真っ直ぐでなくてもフラフラ道でも一生懸命に歩いているのだ。


「私」という本に帯をつけるならどんな帯をつけたいか。


今のところ帯には読みたいと思わせるような言葉はなく、誰かの推薦文もない。真っ白でどの色にも簡単に染まってしまうような危うい本だけれど、今後は時間をかけて好きな深緑色で優しく染めて、穏やかな言葉を載せて、傷ついた人が簡単に手に取れるような、そしてすぐに忘れられるような重すぎない本を作って行く予定だ。どうかその時はコーヒーを片手にサラッと読んでみてほしい。



傷つきやすい自分を助けるのと同じくらい、傷つきやすい誰かのことも助けてあげたいと、最近になって思い始めた。自分のためがいつか誰かのために繋がれば良い。


そいういう存在になりたい。そんな人生でありたい。そんな本を作れれば良い。だから私は明日からも、雨が止む日を想像して描き、自分と誰かのために生きて行く。



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