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明日からも頑張って生きられる気がしている

レジェンズシートのすぐ後ろで試合を観戦することが出来た今日。上沢投手投げるかなと思ってたけど伊藤君。それも当然嬉しい。でも登板はなくても練習の段階で私はすぐにヒーローを見つけられます。


専修大松戸時代を含めると約10年見続けてきた。でも出待ちでサインを貰うことはもちろん、手を降ることも話しかけたこともない。憧れすぎて安易にキャーキャー言えないし遠目で観るので精一杯なのだ。こんなにかっこいい人はいないと本気で思っている。(私が他人に愛情を持てないのも、1%くらいは上沢投手の責任があると思っているのだが、、、)

久しぶりにその姿を見つけた瞬間に心が満たされる感覚、そして幸せだと思った。14の私は16の上沢投手の存在を知り、ストーカーのごとく日ハムファンになったけど、心の充実感を一番に与えてくれる憧れの人は今日も美しいフォームで練習をしていた。周囲に花が舞って見えるほど。


〜〜〜

普段職場や友人に「誰のファン?」と聞かれれば「なべりょ」と答えてしまう。それは何だか恥ずかしさが存在しているからだ。松戸の時の学生服を着た上沢投手の格好良さを周りに聞かれて教えたくないという、独占欲が心を支配して、普段の生活では誰にも話したことがないくらい。高校時代友人にもシークレットで野球観戦に行っていたくらい私の人生は大きく変わってしまった。少しおかしくなってしまったようで、今日も姿を見ただけで、この交流戦の1番の記憶が更新されてしまったようだ。困った困った。


試合を見終わると、また明日からも頑張ろうという気力がいつの間にか心に備わっている。そして自分も何かのプロになりたいと願望を持つのだ。野球選手は格好いい。それは顔や筋肉、色々な視点からの言葉だけれども、私が格好いいと思う最大の魅力は「1つのことを突き詰めたその背中」だ。

汗だらけ泥まみれになり、怪我をして手術してまた練習して。その繰り返しは字体で見るにはあまりにあっけらかんとしてしまうけれど、そうではないのだろう。それを「プロ野球選手になる」という夢を掲げて実現させてきたその選手の背中が格好良くて大好きで憧れなのだ。その背中を唯一、ほんの僅かだけれども過程を生で観ることが出来たからこそ、上沢投手にこんなにも加担しハマってしまっているのだ。たかがそれだけの理由。されどこんなにも素敵な理由じゃないか。



今シーズンは球場でまだ2回しか、マウンドに立つ姿を見られていないけれど、それでもいつでも心で応援しています。行けない日は画面の向こうで応援しています。本当にいつでもどこでもどんな時でも、本当に応援しています。次に試合を見に行くのはきっと夏が終えたらになるけれど、それまでのエネルギーをこの交流戦で受け取ることが出来たから、また明日から、私は頑張って生きていける気がしている。


さあ、家に帰ろう。


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